嘘をつこう、もっと簡単に

難しいこともやめたい。その直後に、あなたの人生は難しいのだよ、と内なる私がささやく。面倒臭い。大概のことは面倒だ。

久しぶりに椎名林檎の加爾基アルバムを聴いている。新曲の「ちりぬるを」がとても良かった。「いろはにほへと」に対しての、「ちりぬるを」、緑と紫。浅い夢見やしゃんせ、に対する、深い夢。でも、そう簡単に対比構造にはならない、とも思った。レトリックとしては、それは向き合っているけれど、本質的には向き合うこともできないままにバラバラにあるような気がした。

でも、椎名林檎のいう「急にいなくならないで。待って置いていかないで。と云っても聞こえないね。」「せめて途中で気づけたら、もう少しそばにいられた。かなりきつい。」は、とても悲しかった。勇気づけられた。

かなりきつい。だいぶしんどい。そうだよ、と思う。ちゃんと向き合うってだいたいしんどい。なんでこんなにしんどいんだろう。

聞こえない声より、発せない声の方が多い。途中で気づけなかった結果として、あなたや、そのほかにあった可能性は消え去っている。取り返しがつかない。いろんなことへ。取り返しのつかなさへ向き合うことは、そのままあなた自身へ、そして私自身へ向き合うことだと思ったりする。取り返しがつくように、予防線を張って、いろんな仮説を張り巡らすこともできる。さらには、他者に対する興味のなさや、期待のなさを「優しさ」だと偽ることもできる。実際のところ、その優しさは他者を尊重しているよ、というポーズに見せかけた偽善で、責任のなさだ。わたしは責任を取ろうとしている。私自身へ。

***

命の重みを知ろうとすると、つらい。重みを与えている重力の奥処へ向かうことは、起源の見えないところへ飛び込むことだし。「なぜ?」の反対は、「だから」じゃない。「だから」の反対には「なぜ?」がいるけれど、「なぜ?」の奥には、何もない。「どのように?」という問いの方が、私にはずっと親しみやすい。

何かを本気で変えようと思ったり、自分の居場所を自分で作ろうとすると、原点を定めることになる。実際のところそんな原点はおおよそがまやかしに過ぎないのだけれど。ほとんどまやかしの、でも確かにある中心地へ向かっていくとき、いつも思う。

いくらでも、人生の可能性はある、と思いながら、でも実際には一つしかないな、とも思う。というか、今私はひとつだから。違うかもしれない。ひとつであることを求められているのだ。この時間軸から。

オリジナリティのある人生は、ひとつでしかありえないのだろうか。自分はもう、この道は選べないし、ここも無理だな、と思ったりする。ここに行きたい、と思ったりする。行きたいと思ったところは、狭くて暗くて、でもわくわくする。ゴキブリみたいなもんか。

他人を通して、めんどくさいなと思ったりすることは、大概、自分のめんどくささだったりする。期待することをやめよう、と思いながら、期待していない人の目を見ると、つらくなる。私は他者にいつもこの目を向けていたのだと気づく。

信用の問題だろうか。でも、あなたが信用にたる、と思えるための土台は、実のところかなり残酷ではないか。でもいつも、誰かを信用したいと思っている。自分の生きる世界が、時間軸が、生きるに値するものであって欲しい、と思っている。いつも裏切られる。その度にバラバラになった自分を寄せ集めて、もういっかい、私を「信用」へ駆り立てさせる。同じことの繰り返し。少しは前に進んだのだろうか?

私があなたを信用できない、と思うとき。裏切られた、と思うけれど、実は私があなたを裏切っていた、と気づく。

でもそれは同時に、とても気楽な仮説だ。他者はそんなに、他者の他者に対して、興味はない。何かを変えようと思って、何かへ真摯に触れようと思って、向き合う人は、少ない。まあ、私だって、その一部だろうけれど。日常に飲み込まれて、あなたを対象化してしまう。記号化する。つまるところ私自身を扱いやすくするための審級だ。記号化の境界は。

***

もうやめようかな、と何度も思って、何度もやり直す。やり直そうと思って、何度もやめる。

その度に、全く違う驚きを持って、私は私に絶望する。結局同じところを歩いているのに、なんだこれは、と思う。そして、それは態度にも、声にも、姿にもならない。ぎりぎりやっとどうにか、テクストとして残っていく。

なんなんだろう。違うことを言っていながら、同じことをいう。ここに戻って来れたと思って、なんだよまたここかと思う。思うことしかできない。

***

私のことを見てくれる人がいる。けれど、あなたが見ている私は、いったい私のどこなんだろうか?

私は、あなたに対して何も見せていない。

***

私を評価する、というとき、あるいは、あなたを好ましく思うとき、その審級は、何に結びついているのか。表象なき表象を覗くとき、目の眩むような重力に気づく。何も知らない、ということだ。私は、私も、あなたも、全く何も知らない。おぞましいほど、知らない。

何も代表しない名前で、あなたを呼ぶことの難しさ。何も移り変わらないたった一つの名前で、そして同時に、固有名ではないやり方で、あなたを呼ぶこと。

裁かれないところへ。ずっと移動し続ける正しさへ。

***

責任は重力ではない。裁かれえぬ固有名へ。私はあなたを、名付けずに呼びたかった。

過去形は強い。

そう、そうしたかった。過去形で語り出すことができるところに、今私はいるのだ。というより、そうすることで、私は私をここに現前させる。過去形という呪縛と、同時にある決別によって、私は私を前に進める。解き放つ。それは私だったのだ、と信じる力。

あなたへ触れたかった。私をもっと強いやり方で信じたかった。でも残念ながら、私の想像するあなたは、あなたのことではない。あなたの輪郭が全て消え去ったその陰のことだ。

私はあなたを傷つけることでしか、ありえなかった。

***

「傘も携え 用意周到だった だのに 濡れてる自分 不幸なんだって まあしんどいよ」「どこへも誰へも続いていないこの道 まあひどいよ」(椎名林檎『TOKYO』)







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?