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この夜の気候区分/肉の等高線

軽やかに覚悟を共有すること。

知り合うことも分かり合うこともないけれど、星雲の色を名指すことは、例えば可能で、

犠牲にする、という言葉をよく考える(深く考える)。
物体運動の第三法則。

努力するという行為は美しさを生むことはあっても、
それ自体が丁寧で美しいだろうか、

たとえば、

ラジオ体操の帰り道に出会った、ドクダミの若葉にやや潰えた球体として残存している朝露の光の透過度など、
予定せぬ偶発性のなかに潜む涙や、
あなたの指を知ったそのときのカーテンがなす、
薄いグレーの淡い光や、

理論と実践、という。

車輪は二つで回ったほうが安定性は増すが、
ペダルを漕ぐその足が知るのは手触りではなく、
ただ経由された関係詞だけなのだ。

一つで回る車輪を考える。
坂を転がり落ちるゴムのチューブ、
速度は増し、前後不覚で、

速度を増すことと安定性の両立だろうか?
そうではない、両軸であることは必ずしも両立を意味しない。

今まさに複数の声に引き裂かれる、たとえば私の身体、
持ち合わせる時間は無く、その全ての微細な
間隙が私を苛んで、

軽やかになることを願う。

試しに、地面を捨てた。

オレンジは破裂して、青い海と濃度の高い透明度、
思い出すのはいつも足跡だとか、砂の手触りなのだった。

身体を願うことは、いつも悲願で、いつもアポリアで、
いつもどの瞬間でも絶対に達成されてはならない目標なのだった、たとえば星の光、夢、気だるい夏の朝、レモンケーキ。

だから、この肌の上でたとえば読み上げる、
あなたが教えてくれた言葉は愛、

私が知った言葉は日付変更線。


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