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やってるつもりでも出るドーパミン

目先の作業に没頭するというのは楽だ
あらゆる本質から目を背けて現在を過去と未来から隔離することができる

部下の数が増えると、だんだん細かく目が行き届かなくなる。
小さなチームのリーダーから主任、係長、課長、部長進むにつれて仕事の規模は大きく、組織もすそ野が広くなっていく。
そのために編み出された手法が組織マネジメントだ。限られたトップが限られた手数の中で、多くの部下を動かし成果を挙げ、恒常的にモチベーションが高い状態を保つ。

部下の側もわかりやすくていい。
会社の戦略を理解できていなくとも目の前のプログラムを書くことはできる。会社の中期計画を理解していなくとも目の前の案件をクロージングすれば評価される。
大きなミッションの塊を切り分けてタスクとして落とし込むことによって、全員でタスクを積み上げて最後はミッションを達成することができる。達成できなかったとしたらボトルネックはどこにあるのかを切り分けることができる。

小さなタスクに集中すれば大きなタスクは目に入らなくなる

曰く「仕事は自己実現の手段であるどころか、かえって非人間化(疎外)をもたらすものである」という。

労働者は、生産手段の独占者である資本家に対して、みずからの労力や手腕を売るように強いられているからだ。労働者の生産物は、生産に必要な条件や手段とともに、みずからの手を離れる。(中略)われわれの本質や、われわれの意思や欲求は、われわれのおこなう労働と無関係のものである。

経済学・哲学草稿 / カール・マルクス著 長谷川宏訳

時に、マネジメントは思う。
部下は怠けているのではないだろうか?
部下が2倍の能力を発揮したら業績も2倍になるのではなかろうか?

この瞬間こそマネジメント側の仕事が疎外される瞬間である。
その瞬間に仕事はわたしのものでなくなってしまった。

マネジメントとは成果を挙げるものである。
しかしその成果とは、一面的な尺度に過ぎない。
業績や顧客満足度の指標もまた組織にとってのタスクに過ぎないのだ。
そのタスクに没頭し、本質的な仕事の意味を放棄し、ともすれば部下を使い捨て自らが窮地に追い込まれた時の言い訳にすらしようとする。

本質的な仕事の意味とは何か。それはわたしの数だけ存在する答えだろうが、賃金の大小でも、社会的に大きな意味のある事業でも、心の成長でも
そこにわたしが居なければ何の意味もないものだ。
わたしに仕事をさせている誰かの仕事に成り下がってしまう。

人間の脳には作業興奮の作用があり、何かをしていればドーパミンが分泌されさらに何かをしたくなるらしい。
何かをしているというのは楽だ。部下に何かをさせるというのは安心する。

それが本質的な的を得ていないものであっても、とりあえず満足。
それが本来意図したゴールにつながっていなくとも、とりあえず満足。
なんといっても何かしていたんだから。
何かうまくいかなくても怠けていなかったんだから。

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