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【失感情症】書くことで自分の感情が見えてくる、という話。

私には、失感情症の傾向がある。それも多分、いやかなり強い。
特にネガティブな感情を認識しにくく、「恐怖」「焦る・慌てる」「罪悪感」以外を感じることは滅多にない。無感情かポジティブな感情表現に偏るので、物心ついた時から「四六時中ぼへーっと淡々としていて、時々笑う」という感じでアラフォーまでずっと生きている。

……のだが、私の書く文章はかなり、そうでもない。自分で言うのも何だが、過去の話を書くとめちゃくちゃネガティブな出来事や思考が羅列されていて、感情表現は「苛立ち」「怒り」が頻出する。ポジティブっぽく書いてもキレ芸や自虐ネタばかりの感じである。

なので、noteで過去話を書くと、割と毎回自分でビックリする。
これ、この時の私って、めちゃくちゃ辛かったんじゃないの???――と。

勿論、漠然とした印象はある。「あれはしんどかったなー」とか「あれは納得いかなかったわー」みたいな感じの記憶が。だからわざわざnoteに書こうと思うわけで、エピソードとしてはそれなりにボリュームがあると思ってはいるし、実際書くとかなり長くなっている(長文になりやすくてすみません)。
だが、「泣いた」と私の文章に書いてある時、過去に実際「涙が出た」のは確かなのだが、悲しかったり寂しかったりした記憶は特になかったり、あっても大した濃さではなかったりする。

なので、自分で書いたものを文章として読み返すとき、つまり「書かれている内容から、主人公の『私』の気持ちを想像した」時、自分の記憶に残っている感情と比較すると、種類や強さがあまりに豊富に見えて、毎回驚く。自分で言うのもアレだというか、自分だからこそ思うのだろうけれど、非常に強烈で色鮮やかなネガティブ感情が読み取れる、ように思うのだ。
私の主観で言うと「出来事の記憶」「思考の記憶」と比較して、「感情の記憶」の解像度が低すぎるというか、粒度が荒すぎるというか、そういう事なのだろうと思う。

例えば直近の「夫のブツを見たことも触ったこともない」記事で、私は当時を思い返して、こう書いた。

私の手は握ろうとしないのに。
私の頭は撫でてくれたことがないのに。
私の事は抱きしめてくれたことがないのに。

夫は、床に寝転びながら手慰みに猫の尻尾を弄り、息子に背中に登られてヘラヘラしている。私が隣に座ったら、すぐさま最低でも30cmは離れるのに。

これは、当時の夫を眺めながら私が考えていた「思考の記憶」である。
私はこの文章の通りに考えていた。だが、「何となく辛い気がして、見ていたくないと思った。これは嫉妬だなと考えた」しか、この時の自分の感情を記憶していない。「見ていたくない」度合いも、例えばTVに苦手な芸能人が出ていたレベルでしか感じていない。
何だか読んで下さった方を騙しているようでアレなのだが、私の中ではこの箇所はその程度の、感情的には「若干ネガティブだが、まぁまぁフラットに近い記憶」であって、この文章から普通に想像できるような「死ぬほど切なかった嫉妬の記憶」ではないのである。

これって結構、重症な気がする。

もしこの文章で「この時の作者の気持ちを答えなさい」と出題されて、「何となく辛いなぁ、嫌だなぁと思っていた」と回答したら、バツを食らいかねない。でも、当時の私の「感情」は本当に、それしかなかった。何年も経って記憶が薄れているという話ではなく、当時の私は誇張なしに、そのぐらいにしか感情を認識できていなかった。

そして上記の記事では連続して、こうも書いた。

「誰の事も愛さず、誰に触られるのも嫌がる」夫の事は辛うじて許容できても、「息子や猫は可愛がり、自分からも積極的に触るのに、私には触ろうとせず、触られるのも嫌がる」夫は、私には許容し難かった。

これもまた「思考の記憶」である。
私の中ではこの文章に近い考えが(文章としての形状はしていないけれど)記憶されている。悲劇的に盛って書いている、というのともまた違う。
「『だめだ、なんか嫌だ。私はこれを許容できない』と考えて、物理的に見ないようにしていた」というのが当時の私の主観だ。「毎日死ぬほど辛くて悲しくて苦しくて、これ以上耐えられないと感じていた」感情の記憶を「許容し難かった」という文章で表現しているのではないのである。
ちょっと何を言っているのか分からないかもしれないが、とにかく一事が万事、私の記憶はそういう風だ。

私の文章について、「客観性」や「俯瞰して見ている」ことを誉めて下さるコメントを頂くととても有難く嬉しいのだが、同時に申し訳なくも思う。私は、概ね記憶をただ要約して書いているだけだ。つまり「これ以上主観的に書けない」のであって、意識的に客観視して書いている訳では全くない。残念ながらと呼ぶべきか、自分の個性だと開き直って良いのか、迷う所ではあるのだが。

とはいえ、私の本来の感情が、それだけだったはずはない、とも思う。
この思考――「私の事は抱きしめてくれたことがないのに」とか「許容できない」という思考があったからには、恐らくこの時の私の「素の感情」には、客観的に読んだ人が想像できるぐらいの強さかそれ以上の、切なさや寂しさや悲しさがあったはずだ。恐らくは。
そして当時の私はそれを無意識に抑え込み、「何となくこれ嫌だなぁ。とりあえず、見ないようにしとこう」というレベルまで、自分の感情の認識レベルを落としてしまっていた。当時はストレスのかかる環境でもあったが、そういう風にして自分にかけていた負荷も積もり積もって、当時のうつ病の原因にプラスされていたのではないかと思う。

夫に関する記事を二つ、何度も自分で読み返しながら書いて、書き上げて、それを自分で読んで思った。

「私はこんなに我慢してたんだなぁ」、そして「こんなに我慢するほど、夫を好きだったんだな」と。

私は夫について、「元カレ達よりも大して好きではなかったのに結婚してしまった人」だと思っていたけれど、少なくともこうして書いて読んでみると、夫について我慢してきた量は、元カレ達の誰よりも多かった。

無論、結婚という制度の縛りもあるし、子供がいるという状況もある。
でも、私はそれ以上にちゃんと、夫を好きだった。
だから夫のために、長年色んな種類の我慢をし続け、それが報われなかったことに「怒った」。どの元カレ達よりも自分を分かって欲しいと望み、でもそれを夫に嫌われたくない、負担をかけたくないからと諦め、その結果として(当然なのだが)発生した夫の無理解が悔しくて、悲しくて、寂しくてやりきれなくて、それで「怒った」強さがやっとリミッターの閾値を越え、私の自覚できる感情として噴出したのだろう。

そうか、私はちゃんと、夫を好きだったんだな。
と、そう自分で気づいたら、泣けた。シュレディンガーのブツとか一人でゲラゲラ笑いながら書いていたくせに、投稿してもう一度読み返して、自分で「作者の気持ち」を想像して、そこでようやく「私は交際し始めた時から、ずっと、ちゃんと、夫を好きだったのだ」と分かって、そこでわーわー泣いた。
ようやく、泣けた。私はきっと、ずっと、泣きたかったのだろう。
書けて良かった。読んで下さる方がいて良かった。と心底思う。

記憶されている私の感情と、私が自分で書いたものを読んで想像する「作者の気持ち」の間の差は、かなり激しい。深刻な、恐らく感情の振れ幅が大きかったはずの出来事ほどその差は顕著で、ゲームで言えば今のswitchやPS4と、初代の白黒ドットのゲームボーイぐらい違う。
そして恐らく、私が自分の文章を読んで想像できる「作者の気持ち」は、私自身の記憶よりもずっと、本来発生していたはずの私の感情に近いのだろう。

上手く伝わる自信が全くないのだが、つまり、私が過去について書いているエピソードは大半が(感情の種類や状況にもよるが)、読んだ人が自然に想像するほど「辛かった記憶」ではない。感情的にはせいぜい「これ嫌だったんだよなー」「あれはちょっとイラっとしたわー」程度にしか過去の私は体験できていなくて、書きながら、あるいは書き終わって読み返したときにようやく「本来その時に味わうべきだった辛さ」を初体験できる、というタイムラグが発生している。

そして書いて読んで、ようやく体験する感情は、凄まじく生々しい。30年前の記憶を書いてはメソメソ泣き、5年前のことを書いてはわーわー泣く、そういう感じで、私は過去話を書くとめちゃくちゃに感情がジェットコースターになっている。
だが、泣き終わると非常に疲れるが、その分とてもスッキリする。一個ずつ何かの塊が溶けているような、一つ話を書くごとに自分が身軽になっているような、そんな感じだ。

記憶を書いて、それを読んで、そうしてようやく私は、過去の自分が凍結させてしまった感情を解凍できる、味わえる、消化することが出来る――という事なのだと思う。

noteで色々書いてきて、今の私は数か月前より大分身軽になった気がする。書く事で、自己受容の前の認識のフェーズを、ようやくクリアできるという事なのかもしれない。

凍結させたままの感情を、過去にすることは恐らくできない。
でも例えば夫への感情は、こうしてきちんと解凍して認識できたのだから、これから徐々に過去に出来るかもしれないな、と思ったりもする。

多分、私の中に冷凍された感情の記憶は、まだまだ残っているはずだ。
何しろ6,7歳頃から40歳までの30数年分である。ちょっとやそっとで解凍しきれるボリュームではないだろう。
でも、それらを出来るだけ多く解凍して、きちんと咀嚼して、消化して、過去を正しく過去にすることが、今の私には必要だと思っている。
現在の自分を確固たるものにするためにも、これからも書いて、自分の中の時間を進めていきたいと思う。


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