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主観・自我・身体性〈柄谷行人・メルロー=ポンティ・志賀直哉〉[占領下の抵抗(注xxxviii)]

柄谷行人は『日本近代文学の起源』の中で、志賀直哉の「濁つた頭」から引用しながら、志賀について

彼にとって、「主体」たることは暴力的な抑圧だったのだ。他の連中が「意識」から出発したのに対して、彼にとって「意識」とはせいぜい「濁つた頭」にすぎなかった。
「近代文学」が、一つの主体・主観・意識から出発したとすれば、志賀はそのこと自体の転倒性に反撥したのである。「一つの主観」を疑うところからはじめたのだ。

『日本近代文学の起源』柄谷行人[64]

と述べています。

また同著の中で、柄谷は、拙論せつろんでも取り上げた志賀直哉の「クローディアスの日記」に出て来る

兄の夢の中で兄を殺

日本近代文学の起源』柄谷行人[64]

すという

驚くべき「殺人」

『日本近代文学の起源』柄谷行人[64]

を引用し、さらにメルロ=ポンティ『眼と精神』(滝浦静雄木田元訳)所収「幼児の対人関係」に出て来る

ヴァロンがシャルロッテ・ビューラーの著者から借りてきた

メルロ=ポンティ『眼と精神』(滝浦静雄・木田元訳)所収
「幼児の対人関係」

というある

小さな女の子の話

メルロ=ポンティ『眼と精神』(滝浦静雄・木田元訳)所収
「幼児の対人関係」

を「クローディアスの日記」の夢と関連付ける為に引用しています。

それは

彼女はその家の女中ともう一人の女の子のそばに坐りながら、何か不安そうな様子をしているうちに、やがて不意に隣の女の子に平手打ちを食わせ、そしてその理由を聞かれたとき、意地悪で自分をたたいたのはあの子だから、と答えました。その子のひじょうに真剣な様子からすると、でっち上げの嘘を言っているとは思われません。

メルロ=ポンティ『眼と精神』(滝浦静雄・木田元訳)所収
「幼児の対人関係」

という内容で、メルロ=ポンティはこういった例などから

幼児自身の人格は同時に他人の人格なのであって、この二つの人格の無差別こそが転嫁てんかを可能にするわけです。こうした人格の無差別は、幼児の意識構造の全体を前提とするものです。

メルロ=ポンティ『眼と精神』(滝浦静雄・木田元訳)所収
「幼児の対人関係」

と結論づけています。

このメルロ=ポンティの帰結を引用しながら

柄谷行人は志賀直哉について

おそらく志賀が幼児的だとか原始人とかいわれる理由はここにある。しかし、重要なのは、志賀が、私は私であり他者は他者であるという区別に先立ってあるような身体性を感受していたことである。

『日本近代文学の起源』柄谷行人[64]

と述べています。

メルロ=ポンティは先の論の中で

幼児は三歳頃になりますと、これまでみた癒合的社会性の段階のときとは違って、自分の身体ばかりか思考をさえ他人のものだと思うようなことはやめます。彼は自分を、〈状況〉そのものと混同したり、また自分に負わされることもありある〈役割〉そのものと混同したりすることがなくなります。彼は自分固有の視点やパースペクティヴというものを採用するわけです。いや、彼には、状況や役柄がどれほどの多様性をもっていようとも、自分はそうしたさまざまの状況やさまざまの役柄を超えた〈或る何者か〉だということがわかってきます。

メルロー=ポンティ『眼と精神』(滝浦静雄・木田元訳)所収
「幼児の対人関係」

と云い

幼児が最初そこに埋没していた直接与件としての〈感覚的光景〉と、今後自分の考えで選んだ方向に経験を再編成したり再配分したりするような〈主観〉というものとが、二つに分かれなければなりません。

メルロ=ポンティ『眼と精神』(滝浦静雄・木田元訳)所収
「幼児の対人関係」

と三歳頃に主観が現われ出て来る事を示し

そしてそうなると

幼児には他人の眼ざしが邪魔になり、他人が彼の方を見ると、彼の注意は果たすべき課題からそらされて、その課題を遂行しつつある自分自身の表象に向けられてしまうといった風になるのです。

メルロ=ポンティ『眼と精神』(滝浦静雄・木田元訳)
所収
「幼児の対人関係」

と述べています。

しかしその上でメルロは

自我エゴ、つまり「私」というものが、他人から見た私によって二重化されずに本当の意味で現れて来ることは、三歳児においてはありえません。

メルロ=ポンティ『眼と精神』(滝浦静雄・木田元訳)所収
「幼児の対人関係」

と述べ、三歳児において見られる現象は

もっと後で起こって来るような意味での〈羞恥心〉、つまり〈裸であることの恥ずかしさ〉(それは五・六歳頃にしか現れません)が問題なのではなく、また叱られるこわさも問題ではないからです。

メルロ=ポンティ『眼と精神』(滝浦静雄・木田元訳)所収
「幼児の対人関係」

としています。

柄谷行人が述べたように

志賀が、私は私であり他者は他者であるという区別に先立ってあるような身体性を感受していたことである。

『日本近代文学の起源』柄谷行人[64]

とするなら、それはメルロ=ポンティに即すれば3歳頃に現れる主観以前のものであり、5、6歳頃に芽生える自我エゴからは更に距離の或る感覚です。

メルロ=ポンティの考察を元に柄谷行人に即して考えれば、私が志賀の「濁つた頭」、「クローディアスの日記」を含む一連の作品から自我を感じられなかったのは、当然のことと云えるのかもしれません。

「幼児の対人関係」の後段でメルロ=ポンティは

おそらく癒合的社会性は、三歳とともに清算されてしまうものではないでしょう。かの他人との不可分の状態、さまざまの状況内部で他人と自己とが互いに侵食し合い、互いに混同されている状況、同一主体が多くの役柄に顔を出すといったことは、成人の生活にもまだ見られます。三歳の危機は、癒合性を抹殺するというよりは、むしろそれを遠くに押しやるだけのことなのです。

メルロ=ポンティ『眼と精神』(滝浦静雄・木田元訳)所収
「幼児の対人関係」

と論じています。

このような

成人の生活にもまだ見られる

メルロ=ポンティ『眼と精神』(滝浦静雄・木田元訳)所収
「幼児の対人関係」

癒合的社会性

メルロ=ポンティ『眼と精神』(滝浦静雄・木田元訳)所収
「幼児の対人関係」

を志賀の一連の作品はとらえていると云えるのかもしれません。


引用文献: ①『日本近代文学の起源』[64]
著者: 柄谷行人
1988年6月10日第1刷発行
2006年3月1日第35刷発行
発行所: 株式会社 講談社
引用は本書の中のⅢ「告白という制度」(初出季刊芸術1979年冬号)より

②『眼と精神』
著者: M. メルロ=ポンティ
滝浦静雄・木田元共訳
1966年11月30日 第1刷発行
2022年4月15日 第36刷発行
発行所: 株式会社 みすず書房
引用は本書所収「幼児の対人関係」(1950〜51年にかけてパリ大学文学部で行われた幼児心理学の講義録)より


この記事は↓の論考に付した注です。本文中の(xxxviii)より、ここへ繋がるようになっています。

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