之哲/Yuki Satoru の 注・引用文献など

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之哲/Yuki Satoru の 注・引用文献など

之哲/Yuki Satoru https://note.com/tawanda の記事の注・引用文献などを上げているだけのアカウントです。 之哲の記事内の番号と結び付けています。 経緯はこちら https://note.com/tawanda/n/n08124e2a48b8

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外来文化の日本化の例としてのレベッカとSPEED[占領下の抵抗(注xxviii)として]

芥川龍之介が「神神の微笑」(*i)の中で示し、他にも多くの論者が述べてきた「日本は外来文化を日本化して受容する」という視点は、間違いであるとは勿論言えない。 それは仏教の伝来や明治期の西洋文化の受容といったことばかりではなく、私の生きた時代にも多く当てはまる。 レベッカとマドンナ 例えばブレイク後の第1期レベッカのNOKKOの衣装には、シンディ・ローパーを思わせるものと混ざり合いつつも、キャバレーのダンサー・ストリッパーあるいは娼婦の服装を私に連想させるものが幾つかある

    • 主観・自我・身体性〈柄谷行人・メルロー=ポンティ・志賀直哉〉[占領下の抵抗(注xxxviii)]

      柄谷行人は『日本近代文学の起源』の中で、志賀直哉の「濁つた頭」から引用しながら、志賀について と述べています。 また同著の中で、柄谷は、拙論でも取り上げた志賀直哉の「クローディアスの日記」に出て来る すという を引用し、さらにメルロ=ポンティ『眼と精神』(滝浦静雄・木田元訳)所収「幼児の対人関係」に出て来る というある を「クローディアスの日記」の夢と関連付ける為に引用しています。 それは という内容で、メルロ=ポンティはこういった例などから と結論づけてい

      • 国語学・民族学・文学[占領下の抵抗(注xxxvii)]

        国語は多義的な言葉である。とはいえ志賀直哉がフランス語にすると言った時の国語が日本の共通語もしくは公用語としての国語である事は疑い得ないだろう。ここでフランス語に置き換えられる事を求められている日本の国語は、言文一致と標準化が進み、ある程度の成功を収めた結果として出来たものである。 時枝誠記は「国語学史」の中で国語を と敷衍させている。 このような考えを広げていくと、日琉同祖論や日鮮同祖論に見られるようにどんどんとその領域を拡大していきそうでもあるが 時枝は としてい

        • 国語・標準語・言文一致[占領の抵抗(注xxxvi)]

          国語・標準語・言文一致体は、もちろん同じものではないが、この論考の中で、これらを厳密に分けて論じることをしなかった。 日本の近代国家が成立する過程で、これらは相俟って進んだ。それらを厳密に区別して定義することは可能だろうが、そうした時、国語・標準語・言文一致といった言葉が飛び交った時代のダイナミックさは失われてしまうように思います。 Wikipediaの標準語(2024.2.3)では とある。 国語・標準語・言文一致が相俟って進んだ様子がこの短い文からも分かる。 言文

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        外来文化の日本化の例としてのレベッカとSPEED[占領下の抵抗(注xxviii)として]

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          標準語と共通語[占領下の抵抗(注xxxv)]

          ここで標準語という言葉を用いたのは、標準語という言葉が飛び交った時代の事を想起しながら読んでほしいからです。 現在では標準語に代わって、共通語という言葉が多く使われている。 実際に日本全国で通じる言葉がある以上、それを共通語と呼ぶのは理解できる。 ただ 共通語を大辞林で引くと とあった後に〔 〕つきで と書かれている。これには違和感を覚える。 現在使われている共通語が によって作られた側面がある事は否定出来ない。 先の文言に沿うと、標準語を共通語と言い直す事

          標準語と共通語[占領下の抵抗(注xxxv)]

          志賀直哉についての記事の注xxxivの訂正部分に新たに文章を加えました。

          先日削除した注xxxivのなかの(*2)を別の文章にして、新たに(*2)として加えました。 m(_ _)m 先日の削除の経緯

          志賀直哉についての記事の注xxxivの訂正部分に新たに文章を加えました。

          志賀直哉についての記事に注xxxivを一部訂正。

          注xxxivのらなかの(*2)として加えた注意書きが、私の勘違いで間違っていたので、削除しました。引用したものと別の著作の北一輝の年齢を載せていたので、全く僕の混同による間違いです。 m(_ _)m

          志賀直哉についての記事に注xxxivを一部訂正。

          占領下の抵抗(注xxxiv)[イ・ヨンスクの『「ことば」という幻影』での志賀直哉と北一輝について]

          イ・ヨンスクは『「ことば」という幻影』の中で とし そして志賀にあるのは と述べている。 しかし の後、多様な作家達の試作によって何とか形になった言文一致体を、志賀は一度は受け入れて、それを研ぎ澄ませていったのである。 その上で志賀が国語に持った の強さは、言文一致体を完成へと導こうとした者ゆえの苦悩だといえる。 そのような志賀にとって、戦後の政策として改めて国語の改革を議論することは、もう一度 へと逆戻りすることでしかない。そのような事が受け入れ難いのは当

          占領下の抵抗(注xxxiv)[イ・ヨンスクの『「ことば」という幻影』での志賀直哉と北一輝について]

          占領下の抵抗(注xxxiii)[森有礼の簡易英語について]

          イ・ヨンスクは『「国語」という思想 近代日本の言語認識』の中で森有礼が日本の国語として採用を主張した英語が現実に使われている英語そのままではなく と呼ばれるものだった事を指摘しています。 同書によると という。 このような簡易英語の発想は、拙論でも触れた人工言語エスペラントに近いと言えるのかもしれない。 引用文献: 『「国語」という思想』 1996年12月18日 第1刷発行 2002年9月5日 第11刷発行 著者: イ・ヨンスク 発行所: 株式会社 岩波書店 引用し

          占領下の抵抗(注xxxiii)[森有礼の簡易英語について]

          占領下の抵抗(注xxxii)

          大杉重男は志賀直哉の「国語問題」について しかし志賀は、英語やフランス語が日本に導入された場合、さまざまな植民地で現実に起きている言語の混淆が、日本でも起きるであろう事を述べているのに過ぎない。それをよりポジティブに捉えようとしているところがあるとしても。 拙論でも論じたように、志賀の「日本人の血」への信頼は、もっと大きなもの、言語の強制に伴うあらゆる困難に対して向けられているだと私は思う。 「重力01」初版第一刷発行 2002年2月28日 発行者: 「重力」編集会議

          占領下の抵抗(注xxxi)[日本の異文化受容に関する著書]

          日本の西洋文化受容については、データを用いながら分析を加えた小坂井敏晶の「異文化受容のパラドックス」(1996年)という優れた論考がある。この著書の核となる視点は、「社会心理学講義」小坂井敏晶(2013年)の中でも繰り返し取り上げられている。 日本に取り入れられた中国文化がいかに日本独自のものに変わっているかということについては、中国から日本に移り住んだ際に感じた疑問を起点に、中国と日本の文化を比較検討した彭丹の「中国と茶碗と日本と」(2012年)が示唆に富んでいる。 文

          占領下の抵抗(注xxxi)[日本の異文化受容に関する著書]

          占領下の抵抗(注xxx)[沖山光「占領下における魂の雄たけび」より]

          石森延男と共に、戦後最後の国定国語教科書の作成に携わった沖山光は「占領下における魂の雄たけび」の中で と当時の状況を述べた後 とその意気込みを語っている。 その後も と力強い言葉が続く。 その上で後段では占領軍の民間情報局との難しい交渉について触れた後 と述べている。 ここにはGHQと対峙した良識ある日本の知識人層の姿勢と心持ちがよく現れている。 引用文献: 石森延男国語教育選集第二巻 昭和53年(1978年)9月10日発行 著者: 石森延男 発行所: 光村図

          占領下の抵抗(注xxx)[沖山光「占領下における魂の雄たけび」より]

          占領下の抵抗(注xxix)[徳田秋声と志賀直哉について]

          「病床にて」の中で徳田秋声は と言っている。 「あらくれ」[1915年(大正4年]のような当時の日本を代表する言文一致体の小説を書いた徳田秋声のこのような発言は、当時の多くの人にとって、国語(標準語)・言文一致体がいかに困難なものであったのかをうかがわせる。 大杉重男は「森有礼の弔鐘 ー 『小説家の起源』補遺」の中では、上述した徳田秋声の発言を他の発言と合わせながら とし と志賀と並べて論じている。 しかし志賀直哉よりも10年以上早い明治4年(1872年)生まれで

          占領下の抵抗(注xxix)[徳田秋声と志賀直哉について]

          占領下の抵抗(注xxvii)

          本文中にも上げた茅島篤「国語ローマ字化の研究 改訂版ー占領下日本の国内的・国際的要因の解明ー」では綿密な調査と検討を経て 最終章では として など多様な論拠が いたこと また ことを述べ、その複雑さを明示し(CI&Eは民間情報教育局。使節団はアメリカ教育使節団) 後段でローマ字化へのアメリカ側の動向をまとめています。 そして としています。 拙論では志賀直哉がエッセイ「国語問題」を書いた占領初期の国語ローマ字化政策についてのみ簡単にしか触れなかったが、実際

          占領下の抵抗(注xxvi)

          芥川龍之介の云う 神秘を描こうとすると、大体において、それを誘き出すか(怪談)、分析するか(心理学)の主に2つの方法に収束していくように思う。 それは芥川が述べたように のどちらかか、その混合になりがちである。 優れた作品でも、この2つの方法を避ける事は難しい。それは近年の作品を見てもわかる。 吾峠呼世晴の「鬼滅の刃」や諫山創の「進撃の巨人」のような優れたヒット作が、怪談と多様な心理学的・精神医学的カテゴリー(*1)との混淆である事は、一見して明らかであるように、私

          占領下の抵抗(注xxv)

          柄谷行人は「階級について」の中で と述べた後、有島武郎について と述べ、志賀直哉については とし、志賀と有島について と2人の親近性を示唆しつつも 後段で有島武郎について と有島の特異性を強調している。 これはとても納得のいく分析だと思う。 引用文献: 新版 夏目漱石集成 2017.11.16.第1刷発行 著者: 柄谷行人 発行所: 株式会社 岩波書店 引用した本著所収の「階級について」の初出は「文体」1977年秋創刊号 この記事は↓の論考に付した注です。本