占領下の抵抗(注xxvii)

本文中にも上げた茅島篤「国語ローマ字化の研究 改訂版ー占領下日本の国内的・国際的要因の解明ー」では綿密な調査と検討を経て

最終章では

アメリカ側からみたローマ字化の主張根拠

「国語ローマ字化の研究 改訂版ー占領下日本の国内的・国際的要因の解明ー」[3]

として

(一)軍事占領下の検閲に役にたつ、(二)国語表記の複雑さ、(三)国語(殊に漢字)の学習負担、(四)日本人の再教育・日本の民主化の一環、(五)日本人の識字率に対する疑問、(六)国語に内在する軍国主義的・国家主義的性質、(七)文字の大衆化、(八)国際社会への参加・国際理解への助長、(九)知識と思想の国境を超えた伝播、(一〇)音声表記でも立派な文学は可能、(一一)文字機械利用上の利便性、つまり経済性、(一二)文字数が少なく、短音文字で表記に都合がよい

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など多様な論拠が

有機的につながって

「国語ローマ字化の研究 改訂版ー占領下日本の国内的・国際的要因の解明ー」[3]

いたこと

また

CI&Eと使節団の間、および占領前と占領後では視点も異なり、当然異論もあった

「国語ローマ字化の研究 改訂版ー占領下日本の国内的・国際的要因の解明ー」[3]

ことを述べ、その複雑さを明示し(CI&Eは民間情報教育局。使節団はアメリカ教育使節団)

後段でローマ字化へのアメリカ側の動向をまとめています。

CI&E教育課では、占領当初、(略)ロバート・K・ホール海軍大尉を中心に、国字ローマ字化にむけて、精力的な調査が行われた。(略)一方使節団も、国語の簡易化、つまり漢字制限やかなづかいの改革は過渡期のものにすぎないとみた。CI&Eでの国字ローマ字化問題は、使節団が帰国後の約一カ月半後に持たれた同局での特別会議で、承認されず一応終止符を打つことになった。けれどもCI&Eでは、その後も国語改革担当部署を占領後半まで設置し、国語簡易化顧問にハルパーン、ペルゼル(両人とも個人的にはローマ字論者)をおき、国語審議会の会議に出席するなどして、国語改革自体には関心を示し続けた。そして四八年には、CI&Eは日本側を指導する形で、使節団が残していった実証的研究の宿題ともいえる「読み書き能力調査」を実施した。しかしこれは結果的に、日本の識字率の高さを証明するものとなり、極く一部の人々の漢字の運命の憂慮は杞憂となった。

「国語ローマ字化の研究 改訂版ー占領下日本の国内的・国際的要因の解明ー」[3]

そして

ローマ字化が実現しなかった背景としては、まず国民内部の盛り上がりの欠如にあるが、日本占領が公式には連合国による間接統治で、米国側、占領軍上層部にその確たる意思がなかったことが挙げられる。

「国語ローマ字化の研究 改訂版ー占領下日本の国内的・国際的要因の解明ー」[3]

としています。

拙論では志賀直哉がエッセイ「国語問題」を書いた占領初期の国語ローマ字化政策についてのみ簡単にしか触れなかったが、実際にローマ字化の政策がどのような論拠でどのように進んでいったのかは、拙論とも無関係とはいえず、重要な問題であると感じたため、長文を引用させていただきました。(更に詳しくは引用文献に精細に述べられています。)

この引用をする必要性に気が付いたのは、はーぼさんの記事↓でのコメント欄での対話があったおかげでした。私の不躾ぶしつけなコメントに真摯しんしに答えてくださったはーぼさんに感謝します。


引用文献: 茅島篤, 『国語ローマ字化の研究 改訂版 ー占領下日本の国内的・国際的要因の解明ー』, 風間書房, 2009.3.31.改訂版第1刷発行(2000.3.15.初版第1刷発行).


この記事は↓の論考に付した注です。本文中の(xxvii)より、ここへ繋がるようになっています。

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