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国語・標準語・言文一致[占領の抵抗(注xxxvi)]

国語・標準語・言文一致体は、もちろん同じものではないが、この論考の中で、これらを厳密に分けて論じることをしなかった。
日本の近代国家が成立する過程で、これらは相俟あいまって進んだ。それらを厳密に区別して定義することは可能だろうが、そうした時、国語・標準語・言文一致といった言葉が飛び交った時代のダイナミックさは失われてしまうように思います。

Wikipediaの標準語(2024.2.3)では

明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基に標準語を整備しようという試みが推進された(そのうち最も代表的で革新的だったのは小学校における国語教科書である)。これに文壇の言文一致運動が大きな影響を与えて、「標準語」と呼ばれる言語の基礎が築かれた。

Wikipedia 2024.2.3
"標準語" -"各国語における標準語"-"日本語"

とある。

国語・標準語・言文一致が相俟って進んだ様子がこの短い文からも分かる。

言文一致の代表的論客の一人だった山田美妙は「言文一致論概略」の中で

「若し我々が今日の俗語を此儘
文章に用ゐるなら日本国中で通ぜぬことがあるだろう。」

「言文一致論概略」臨川書店『山田美妙集 第九巻』 所収

という想定した言文一致への反論に対して、

小生に限ツては小生が主唱する言文一致を造るに於ては決してどの言葉でも構はず用ゐるが善いとは言ひません。じつに大阪の「さかい」や奥州の「なす」や又は長崎の「ばツてん」などは、其実古語に基づいて居るにせよ、普通の言葉とは言へますまい。又薩摩や隠岐や安房の俗語など、是も古文の変ツた物とは言へ、普通の語法とは言へますまい。普通の言葉とは言はれぬもの、又は普通の語法とは言はれぬ物を構はず文章に用ゐるなら、如何にも不通の害は有りましやう。若し左様為ないなら其様な事は有りますまい。それには普通の言葉を見出し、普通の語法を探出し、それを用いる事さへ出来れば最早十分のことでしやう。

「言文一致論概略」臨川書店『山田美妙集 第九巻』 所収

とし

今東京語の性質を精密に吟味してみると実に此言葉ばかりが前の注文に合ふ様です。事実から文を見ても東京語が通ぜぬ度は薩州語や奥州語が通ぜぬ度よりは軽いです。何処でも此東京語が不十分ながらも通用せぬ処は殆ど無い程です。

「言文一致論概略」臨川書店『山田美妙集 第九巻』 所収

と述べています。

ここには方言への蔑視べっしと東京語の優位性の意識、俗語に対する普通の言葉・語法という標準語に通ずる志向性が見られる様に思います。

また明治後の日本の国語学の祖ともいえる上田万年は「標準語に就きて」の中で標準語について

一国内に話され居る言語中にて、殊に一地方一部の人々にのみかぎり用ゐらるゝ、所謂方言なるほど者とは事かはり、全国内至る処、凡その場所に通じて大抵の人々に理解せらるべき効力をゆうするものを云ふ。猶一層簡単にいへば、標準語とは一国内に模範として用ゐらるゝ言語をいふ。

「標準語に就きて」 平凡社『国語のため』所収

と標準語を定義して

後段では

現今の東京語が他日其名誉を享有すべき資格をそなふる者なりと確信す。たゞし、東京後といへば或る一部の人は、直に東京の「ベランメー」言葉の様に思ふけれども、決してさにあらず、予の云う東京語とは、教育ある東京人の話すことばと云う義なり。

「標準語に就きて」 平凡社『国語のため』所収

言っています。
山田美妙の主張との類似性は明らかだと思います。

そして上田万年にとって標準語は文学や文章と切り離せないものです。

上田は外国の状況について

如何にしてチョーサー、シエークスピヤ等の言語が、英国の標準語となりしか。如何にしてルーテル、ゲーテ等の言語が、独逸帝国の標準語とまで発達し来たりしか。而してコルネーユ、モリエール等の言語、ダンテ、ボツカショ等の言語が、数百年来かの大勢力を有せる羅甸の旧標準語を排斥して、仏に以に皆発生を為すの止むを得ざりしを見る時は、所謂時世に伴う理想の変遷が、如何に言語の中心と文学の中心とを動かすのに力あるかに驚かざるを得ず。

「標準語に就きて」 平凡社『国語のため』所収

と述べ、日本について

文学者が此感化力に富む東京語を使用して、其大傑作を著はさゞるも、亦遺憾なる一事なりとす。予はある言文一致崇拝者の如く、何もかも俗語に憑拠して、其奴隷となり了り、却つて文学者の尊ふべき、気品という者を悉皆抛棄するが如き形跡あるは、決してほむべき事ならずと信ず。しかれども、此親しき言語の文章法単語法を基礎として、而して其美術上の妙意妙案を此上に仕組みなば、其時には唯に標準語制定上の一大補助を得るのみならず、又一種独特の美文学此間に生ぜずとせんや。

「標準語に就きて」 平凡社『国語のため』所収

と述べています。

これも

言文一致を造るに於ては決してどの言葉でも構はず用ゐるが善いとは言ひません。

「言文一致論概略」臨川書店『山田美妙集 第九巻』 所収

と云う山田美妙といつにしています。

そして、多くの文学者が東京語を元にした言文一致体の作品を書いて行ったことは、歴史が示す通りです。

このような国語・標準語・言文一致の関係について詳しく論じたものに、イ・ヨンスク『「国語」という思想』という優れた著書があります。


引用文献: ①『山田美妙集 第九巻』(全12巻)
2014年5月31日 初版発行
編者:  『山田美妙集』編集委員会
発行所: 株式会社 臨川書店
「言文一致論概略」初出:1888年(明治21年)2月25日発行「学海之指針」第八号及び3月25日発行第九号

②『国語のため』東洋文庫808
2011年4月25日 初版第1刷発行
著者: 上田万年
校注者: 安田敏朗
発行所:株式会社 平凡社



参考文献:『「国語」という思想』
1996年12月18日 第1刷発行
2002年9月5日 第11刷発行
著者: イ・ヨンスク
発行所: 株式会社 岩波書店


この記事は↓の論考に付した注です。本文中の(xxxvi)より、ここへ繋がるようになっています。

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