占領下の抵抗(注xxv)
柄谷行人は「階級について」の中で
自我あるいは意識は、中間階級(これを中産階級と呼ばないのは、中間性を強調したいからだ)の意識であって、この階級は支配階級による禁止を逆に積極的に内面化する。
と述べた後、有島武郎について
彼にとって、書くことはこの「中間にある」意識を転倒することであり、日常の有島とは似ても似つかぬ凶暴な官能的な世界を実現することである。
と述べ、志賀直哉については
おそらく、志賀直哉だけが彼らのような「意識」から自由であり、いわば「無意識」の作家だった。だが、志賀もまた内村鑑三の門下に属した時期がある。
とし、志賀と有島について
したがって、この二人の棄教者が、白樺派のなかでアウトサイダーだったことは偶然ではない。
と2人の親近性を示唆しつつも
後段で有島武郎について
おそらく有島は最も深刻にキリスト教に内面を喰い破られた人間であり、それを転倒することこそが「書く」ことに結実していった唯一の作家だといってさしつかえない。
と有島の特異性を強調している。
これはとても納得のいく分析だと思う。
引用文献: 新版 夏目漱石集成
2017.11.16.第1刷発行
著者: 柄谷行人
発行所: 株式会社 岩波書店
引用した本著所収の「階級について」の初出は「文体」1977年秋創刊号
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この記事は↓の論考に付した注です。本文中の(xxv)より、ここへ繋がるようになっています。
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