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【#Real Voice 2022】 「問いを生きる」 4年・柴田徹


問いを生きる






今年読んだ本の中で印象に残っている言葉。


本の中で特段大きく取り上げられていたわけではない、何気ない文中に使われていた言葉が、何故だか目に止まった。


この言葉を見た時、



「問いを生きる」



ってなんだ?



素直にそう思った。



なんだかその人生ってとても生きづらそうだし肩身狭そうだなと、その言葉を目にした時は感じた。



実際考えを深掘れば深掘るほど、そんなことはないと思うようになったが。



この言葉と出会ってから、自分のこれまでの人生を振り返りつつも、生きている今この瞬間のことに対していろいろなことを考えていると、人生という広大かつ繊細なストーリーには無数の「問い」が存在しているんだと気がついた。



そして、何気なく生きている日常の自分の行動は常にこの「問い」というものからスタートしている。とも感じた。




朝は何時に起きるか、起きてから、その日の過ごし方はどうするのか。誰と会い、どこへ出かけ、何をするか。夜は何時に寝て、次の日は何時に起きるのか。そしてまた次の日は何をするのかという数え切れないほどの「問い」に対して生きている。



これらだけでなく、自分たちが知らない、見つけられないところに「問い」というものは限りなく存在しているのだと思う。





そんな「問い」まみれの世界。



「問い」まみれの人生。



「問い」まみれというか、「問い」でしかないのだろう。




俺はしっかりと、世の中に存在する問いに対して、心の底から自分の頭で判断をし、自分の生き方をすることができているのだろうか。




この言葉と出会ってから、考えなかった日はない。

意識しなくても、気がついたらそんなことを考えている日も多かった。




自分の人生に生じる「問い」を生きるということは、人生そのものが「問い」なのだと思う。




毎日自分の中に存在する無数の「問い」に対して無意識のうちに何かを選択し続け、1日という限られた時間を生きる。正解か不正解か、自分の中で納得しているものなのかは、おそらくわからないものも多いだろう。



そして、その繰り返しがその人の人生であり、その人にしかない「問い」に対する答えなのだと思う。



そう考えると、人生は自分自身の内側に存在する、もしくは生まれてくる「問い」への回答の連続であり、その「問い」をどう生きるのかで、その人の人生が良くも悪くも左右されてしまうのではないだろうかと思った。



そんなことを考えさせられる言葉と出会った。



俺は俺の人生を本当の意味で生きることができているのだろうか。
数え切れない無数の「問い」に対して自分が納得できている生き方をすることができているのだろうか。





今年1年間は特に自分自身と向き合う時間が多かった。



主将として意気込んでスタートした今シーズン。
忘れもしない4月16日。右膝前十字靭帯を断裂し、戦線離脱を余儀なくされた。
今年出場した試合は天皇杯、リーグ戦合わせてわずか4試合。



チームの先頭に立ち、ピッチの上で表現、体現すべきはずの人間がシーズン早々にその場を失ってしまった。



それからというもの、チームへの関わり方を、自分という人間の存在価値を嫌というほどに考えさせられた。



自分は何をすべきか、自分には何ができるのか。


そして、自分には何があるのか。



そんな「問い」に悩まされる毎日であった。


ピッチ内での姿勢を評価されて主将に任命された自分がピッチの中では何も表現できない。



誰よりも戦術眼が冴えているわけでもないし、何かこのチームの中で特別な実績を残せていたわけでもない。



ピッチ内でのプレーを奪われた自分には何が残るのか。




答えはわからない。正直今もわかっていない。

日々、模索しながら、「問い」に対して自問自答を繰り返している。





正直な話、怪我をしてからというもの、毎日内心ビビリながらグラウンドに行っていた。



勝てないのに何もできない自分が、信頼なのか期待なのかはたまた呆れや哀れみなのかよくわからない皆からの視線が、チームの責任がのしかかってくるストレスが、何から何まで嫌だった。




どんなにその状況が嫌でも、苦しくても悩まされても、それでも前を向いてやらなければいけない主将というものの重みも嫌というほどに突きつけられた。



チームは勝てない、自分はプレーもできない。
声を出すにしても何か戦術面で指示を出せるようなこともない。
チームのことがあるからと、練習中にリハビリにも身が入らない。
プレーをしていないから、ピッチの中で選手たちが感じていることもわからない。





何もない。
自分という人間は何もないんだと、そう感じる毎日であった。





練習中、試合中、できる限り声は出していた。試合前日の締めのミーティングで伝えられることは伝えてきたつもりだ。



それでも、何もないという自分自身の中に存在する虚無感から解放されたことはなかった。




自分には何があるのか。自分は何をすべきなのか。今求められていることは何なのか。




考え続けてきた。
考えざるを得なかった。


毎日答えのない、答えの見えない「問い」に向き合い続け、考え続け、答えを出せずに1日が終わっていく。




1日の終わりに頭の中に残っているのは




「この1日で本当に良かったんだろうか」




という考えだけだった。




主将としてその日の取り組みが正しかったのだろうか。
みんなを前に進めることはできているのだろうか。
そして、プレーができない自分自身も、前に進むことができているのだろうか。




常に多くの「問い」が頭の中に存在していた。
その無数の「問い」に悩まされる毎日であった。


そんなことを1日の終わりに考えているのだから、特段楽しくはなかったし、生きている心地はしなかった。




また明日も、こうやって生きるのか。



また答えを出せずに終わるんだろうか、と常に考えていた。



そんな様々な重い「問い」に対して悩み続け、考え続けた末、ある時1つの考えが浮かんできた。




それは、








「自分はどういう人間なのか。そして自分はどう在ることが自分の中で後悔しないのか」









というものであった。







私たちには、限られた人生の中で、答えのない問いに頭を悩ませている暇も余裕もない。




時間は有限だ。なんでもできるわけではない。
限られた時間の中で、自分にしかできない生き方をしなければならない。



何かをしたいと思っても、常に何かを犠牲にし、その代償として何かを得て生きている。



自分の生き方をしなければ、何もできずに自分を犠牲にすることだけで、人生が終わってしまう。



その犠牲が、自分のやりたいことを押し殺すだけの犠牲になってしまってはいけない。


他人の意見に流されてしまうだけになってしまってはいけない。



終わった後に、死ぬ前に、後悔だけが残る。



何ものでもないものに人生を振り回されて終わったな、と。


怒りを覚えて死ぬかもしれない。


怒りさえも抱けず、訳のわからない状態で死ぬかもしれない。









そうであるならば、そうなる可能性があるとするならば、













俺はいつだって楽しみたい。いつだって笑っていたい。












そんな人間でありたいと、そう思った。






怪我で試合に出れなくても、チームが勝てなくても、自分には何もないと絶望しても、










それでも楽しもう。それでも笑おう。












それが俺という人間なんだ。それが柴田徹なんだ。




そう思った。







軽いと思われるかもしれない。甘いと思われるかもしれない。

降格したのだから、この考えが間違っていると言われても仕方がない。





でも、たとえそう言われても、そう思われていたとしても、




思考を、行動を、誰かの影響で抑制してしまうのは、それは自分の人生とは言えない。

自分の人生なんて決して胸を張れない。






誰もが持ち合わせている人間性。

その人にしかない人間性。





存分に発揮しなければ、存分にその人らしく、自分らしく生きなければ、





人生において自分にしかない大きな価値を見出すことはできるのだろうか。






自分のなりたい姿、やりたいことの為、自分が好きな誰かの為、何かの為に、悩み、苦しみながらも考え続け、必死に何かをやり続ける、挑戦し続ける、そこには大きな価値があるかもしれない。




だが、目に見えない何かのために、会った事もない誰かの為に、自分を犠牲にし続けることに、本当に感じ取れるリアルな価値を見出せるのだろうか。





自分の好きなことだけをする、という意味ではない。





限られた人生を生きる上で生じる無数の「問い」に対して、自分の本心で答え、自分の意志で生きることができているのかということである。





たとえそれが、楽しく、好きなことばかりではなくても、

自分が逃げ出したくなるようなことだったとしても、






自分の本心で答えてその道を選んだのであれば、そこに「後悔」という2文字は残らない。






周りがこう考えているからとか、こう思う人が多いから、世間的にはこうあるべきだから、とか、そんなことは正直気にするべきではない。






自分の人生だ。





一生に一度の限られた人生だ。



自分にしか送れない、自分にしか生きれない人生だ。



自分の人生に、自分の選択に、後悔してはいけない。一瞬たりとも。





自分の選択に誇りを持て。





自分の生き方に誇りを持て。






その生き方こそが、自分の人生を生きていると言える状態なのだと私は思う。




そしてその人生こそが、リアルで嘘偽りのない、





「自分が自分に納得できる生き方」




そんな自分の魅力満載の「人生」なんだと思う。




そんな人生をこの先も送っていきたい。




いや、送っていく。




俺にしかできない生き方を。









「問いを生きる」


解釈が難しい言葉かもしれない。


意味がわかりづらいかもしれない。


頭を悩ます日が多いかもしれない。


答えの見えないものがたくさん現れるかもしれない。


自分に嫌気が差す日が多くくるかもしれない。





それでも、自分にしか導き出せない答えを生きなければならない。



自分の心と、心の底から向き合って答えを出さなければならない。




それが自分に与えられた、限りある尊い人生を生きる意義であり使命であると私は思う。






この4年間、特に最後の1年。


怪我をしてピッチに立てなかった。


降格もしてしまった。


情けない。何も残せなかった。

この組織が持っている歴史や伝統を素晴らしい形で紡ぐことができなかった。

主将失格である。






でも、楽しかった。


ワクワクする日々だった。


刺激的な毎日だった。



もちろん地獄も見てきたが。笑





怪我をしたのも、最後までピッチに立てなかったのも、降格したのも、全部俺のせい。






それでも、この1年間、自分の人生を生き抜いたと胸を張れる。






他人から何を言われようと、どう思われようと、自分の人生を生きた先に、後悔なんてない。




たとえ結果が報われなかったとしても、納得はできる。






これが俺の生き様だと。






悩み苦しんだことの方が多かったシーズンではあったが、



この言葉と出会えて、






自分という人間を見つめ直すことができた。



自分という人間のあるべき姿を改めて見つけ出すことができた。





すべては「問い」に対して考え続けてきたから。




「問い」に対して自分の言葉で、行動で、答えを見つけ出すことができたから。





「問い」そのものを生きてこれたから。









そしてこれはたまたまかもしれないし、確証はないが、





「自分が納得する生き方をすること」で、幸せが舞い降りてきたりするんじゃないかと思ったりもした。




来年から私は湘南ベルマーレという私が大好きな素晴らしいクラブに加入する。





怪我をしてからプロの舞台に行くことを心のどこかで諦めていた部分はあった。
いや、正直だいぶ諦めていたかもしれない。


留年してもう1年サッカーをするか、とかいろいろな選択肢を結構本気で考えていた。



練習参加にもいけていなかったし、今年試合を見ていただいたのもわずかしかない。






本当にプロになれるのか、と。





そんな自分にはどうすることもできない「問い」に悩まされることも多かった。






でも、この言葉と出会い、自分の心に忠実に、自分の生き方をしようと自分の中で割り切って生きていたら、奇跡的にその舞台が舞い降りてきた。(もちろん色々な方の支えなしではたどり着けなかったが。)






存在意義、自分が生きている意味、サッカーをしている意味。





生きている限り必ずしも向き合う問題だと思う。
必然的に向き合い続けなければいけない問題だと思う。






複雑で、答えの見えないものばかりかもしれない。




答えが出たと思いきや、次の日、1時間後には全く違う考えが頭に浮かんできて、方向性がわからなくなるものかもしれない。






それでも、自分を信じることだけはやめてはいけない。



自分の考えを否定してはいけない。



自分の考えだけは犠牲にしてはならない。



たとえ周りとは全く違う生き方、考え方だったとしても。






自分の考えを自分自身で尊重し、自分にしかできない生き方、自分の納得できる生き方をすれば、自ずとその人にしか歩めない人生の道は開けてくると、






そう感じることができた。






だからこの先も、自分の想いを大切に、自分に無数に襲いかかってくるであろう「問い」と真正面から向き合って生きていきたい。




後悔ない人生を歩む為に、苦しくても悩んでも、うまくいかなかったとしても、






楽しんで生きる。



笑って生きる。






最高の人生は自分自身にしか生み出せない。







「問いを生きる」





この言葉と出会えて良かった。





これから先も自分なりに



「問い」



生きていきます。





ありがとう。
















すべての皆様に感謝の思いを込めて、ア式蹴球部員として最後の部員ブログを締めさせていただきます。


4年間本当にありがとうございました。

この部に入って、皆様と出会えて、皆様に支えられて、そして最高の仲間たちと巡り合えて、熱すぎる青春を送れました。

幸せすぎる4年間を過ごせました。

皆様への感謝の思いを胸に、「柴田徹」はこれから先も自分らしい、刺激的で最高に楽しい人生を歩んで参ります。

常に挑戦。常に楽しみ、常に笑う。

常に自分らしく。

皆様への感謝を胸に。


本当にありがとうございました。愛と感謝でいっぱいです。


今後とも「柴田徹」をよろしくお願い致します。










最後に家族のみんなへ一言だけ。




愛してるぜ!!!



◇柴田徹◇
学年:4年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:湘南ベルマーレU-18
☆湘南ベルマーレ2023シーズン加入内定


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