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大学生という時間

大学四年間という時間。人生の中で短くもあり、長くも感じるかけがえのない、尊く、儚くもあり、楽しくもあり苦しくもある、常に悩みを多く抱え、正解のない何かに向かって闇雲に飛び込み続ける、一喜一憂を繰り返し、1人の人間として多くのものを感じ、まだ見ぬとてつもなく広い世界、社会に飛び込んでいく、そんな時間。


皆さんは、大学生という言葉を聞いて、どんなことをイメージするだろうか。



社会に出る前の準備期間。
人格形成の場。
勉学に励み、世の中に貢献できる人材を輩出する場。
サークル、部活で何かをやり切る場。
自身の将来を切り拓く場。
バイト、旅行、好きなものにひたすら没頭する場。
良い企業に就職する為の場。
プロサッカー選手になれなかった人が来る場。


人によって様々な感じ方、捉え方があり、そのどれもが正解でもあり、人によっては不正解でもある。様々なバックグラウンドを持つ学生が集まる大学という場では、その目的、目標が異なるのはある種必然である。


そんな多種多様な人材が集まる場において、どれだけ大学生という限られた時間を有意義なものにできるか。どれだけ自分のなりたい姿に向かって心を、體を突き動かすことができるのか。

長い人生においては、たかが4年間かもしれない。でも何にも変えがたい4年間でもあると、そう思う。

だからこそ、この限られた大学の4年間という時間は、

掴みに行く、掴み取る


ことが何より大切なのではないかと思う。


多くの人が口を揃えて言う。
「大学は、自分次第だ」と。

まさしくその通りであると私も思う。
自身の意思で大学を選び、自身の目標を達成する為に必死になって大学に入学してくる。そういった人たちが、何かを掴みに行く、掴み取るという心がなければこの4年間はただの無意味な時間を過ごすだけのものになってしまう。

正直、私は大学に入ってサッカーが上手くなったとはあまり思っていない。特段監督やコーチが徹底的にサッカーを教えてくれるわけではないし、プロにも勝る戦術があるわけでもない。環境も、いる選手のレベルもプロに勝るものはないだろう。

ユース出身の選手や強豪校出身の選手はそこのギャップに苦しむ人も多いだろう。自分自身も一年目はそうだった。プロになれず、プロにリベンジする為に大学に進学したのに、思っている以上にサッカーを教えてくれない。何かをめちゃめちゃ要求されるわけでもない。本当にプロになれるのか、焦燥感を抱きながらも、与えられた自身の仕事をこなし、盲目的にただひたすらにサッカーに取り組んでいた。


正直楽しくはなかった。この生活が四年間も続くのかと。海外に留学した方が、どこかクラブを探した方が、なんて何度も考えた。サッカーで上に行くということはそれ相応の環境にいないとダメだと思っていたから。

だが実際、そんなことはなかった。と、今は思っている。もちろんサッカーだけをやるのであれば、サッカーだけでとことん上に行くのであれば、その選択肢は間違っていないだろうし、そうすべきである。

だが本来、大学という場は、プロの選手を輩出する為の場ではない。社会に出ていく人材として、社会の模範となる様な、社会をより良くしていける様な人材を輩出していく場だ。

プロのサッカー選手という職業はあくまでもそういった広い枠組みの一つのパーツでしかないのだ。

そこの認識が甘かったし、薄かったのだと昔の自分に言ってあげたい。大学は本来そういう場であると。

もちろん、ひたむきにただ一点を見つめてプロを目指すことを否定しているわけではない。それも素晴らしいことだ。

ただ、せっかく大学というある種守られた環境にいるのであれば、自分自身で何かを掴みに行くべきであり、プラスアルファを自分自身で生み出して行くべきだと私は感じる。


自分の武器は何か?
サッカー以外に何があるか?
プロサッカー選手に技術で劣るなら何で勝負するのか?

いきなりこの質問をされたら、すぐさま答えを言えるだろうか。
言えない人がほとんどではないだろうか。


大学という環境は、サッカー以外のことに触れる時間がとても多い。授業、私生活、バイト、就活、社会に最も近い場所であるが故、社会人の方と関わる機会もかなり増えてくる。


自分の周りにあるたくさんの情報の中で、何をすべきか、何をしたら自分自身を磨いていけるか、考えて考えて、考え抜いて、トライし続ける。
トライアンドエラーを繰り返し、人として一回りも二回りも大きくなる。


大学という環境はそのトライする過程で失敗しても何か大事になることは滅多にない。
プロの選手だったらどうだろうか。一つのミスで負けたら、私生活で何か問題を起こしたら、一瞬にして大バッシングを浴びるだろう。そんな厳しい世界で戦わなくてはならないのだ。


私たちは守られている。社会人と見なされても良い年齢の中で、大学という大きな枠組みの中に守ってもらっている。
しかも、何かを強制されることもない。大学からこれをやりなさいと何かを求め続けられているわけでもない。守ってもらっているのに、自由。なんともありがたい話だと思う。


だからこそ当事者である私たち学生はトライし続けなければならない。自分はこれだ、この生き方が自分なんだと決して決めつけてはいけない。たくさんのことが吸収でき、たくさんの選択肢があるからこそ、私たちには可能性しかないということを理解しなければならない。


大学側が主導で何かを私たちに与えないからこそ、こうなりたい、こうしたいと思ったことに対して、自分で掴みにいかないと、何も始まらないのだ。

学びを止めない、失敗を恐れずに挑戦を繰り返し続けることができるという点が大学生という時間の価値なのではないだろうか。


だからこそ、自分自身に秘めている可能性を自分の力で潰さないで欲しい。
やろうと思えばなんだってやれる。

掴みにいく意志さえあれば、誰だって輝ける。

それが大学4年間という時間だと私は思う。


この4年間、サッカーの技術はプロの選手に比べたら、うまくなったとは正直言えない。
でも私は1人の人間として、1人のサッカー選手として、この4年間大きく成長できていると胸を張って言える。


プロの内定を勝ち取ったわけでもなければ、選手として何か大きな実績を残したわけでもない。社会的に見れば何も成し遂げていないちっぽけな人間だ。



それでも私の人生、大学生活はとても充実している。
毎日がとてもワクワクしている。


それは、この4年間で多くの気づきを得て、それを自分のものにする為に、必死に掴みに行き続けたから。たくさんの出会いを、つながりを自分で掴み取りに行ったから、先が見えない中でも必死にトライし続けたから。


みんながみんなこの生き方をしろだなんて思わない。
人によっては何かを掴み取る必要なんてないのかもしれない。

それでも、何にでもトライできるこの4年間という時間を本当に大切にして欲しい。


生き方は様々だ。

人によって大切にしているものも違う。


それでも、自分のやりたいことに、自分の生き方に一生懸命になることはできるはずだ。


社会のことはあまり詳しくはわからないが、社会に出たら、自分の意思が通用しないこともあるかもしれない。自分のやりたいプレーを犠牲にして、自身の特徴と正反対のことをしなければならないかもしれない。

社会に出る前の最後の4年間。

この4年間でしか、思う存分自分の好きなことに好きな様に挑戦することはできない。


どうか後悔しないで欲しい。
卒業して大学生活を振り返った時に、悪いイメージしかないということにならないで欲しい。


自分自身の人生。自分の力でより良いものにしていって欲しい。
自分と合わないことに対する反発心、何かをしたい時に邪魔するプライド、そんなものにいちいち心を揺さぶられるべきではない。

自分がどうしたいか。


常に自分の意思に忠実であって欲しい。

それが自分の人生を生きるということだと思う。



かけがえのない4年間。誰でもこの4年間はきっとあっという間だろう。
どう生きるか、充実したものにするかしないかは全て自分次第。
自分で自分の望む人生を掴み取って欲しい。

そんな大学の4年間にして欲しい。
それが可能なのがこの大学生という時間なのだと私は思う。

このノートを読んで1人でも多くの人がこの4年間をよりポジティブな思いで過ごせる様になること、そして、自分自身の人生を胸を張って生きれる様になることを願っています。


次回も楽しみにしていただけると幸いです。




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