「今、私が思うこと」 Vol.5 2年・柴田徹
この状況だからこそ
今、日本、そして世界を賑わせているニュース。
それは、人々を笑顔にするようなニュースではなく、残念ながら多くの人を不安にさせるようなニュースだ。
「コロナウイルス」
今この言葉を聞いて何も思わない人はいないだろう。
多くの人を苦しめ、命までをも奪っていってしまう恐ろしいウイルスだ。
先日、緊急事態宣言が出され、多くの人の生活が不自由な状況が続いている。
その影響で、私が所属している早稲田大学ア式蹴球部は現在、活動停止を余儀なくされている。
事態の収拾がつかない中、我々は何をすべきか。我々には何ができるのか。
方向性の見えない日々がひたすら続いている。
「今の自分には何ができるんだろう」
サッカーを取り上げられ、毎日持て余すほどの時間を過ごす中で、その問いに対する自分なりの一つの答えを出してみた。
それは、
「考えること」
である。
おそらくこの言葉を聞いたところで、しっくりくる人はあまりいないだろうし、この一言だけで何かとてつもなく大切なことであると感じ取ることもないだろう。
なぜならこれは、あまりにも聞き慣れてしまっている、そして習慣化されてしまっていることだからだ。
考えることなしに、人間が生きていくことは不可能であろう。
ではなぜこの答えに行き着いたのか。
それは、
「当たり前になっていることだからこそ」
だろう。
普段、人は自分の置かれた立場の中で、自分のやっていることに対して考えることがほとんどだろう。
どうしたらうまくいくのか。何をしたらより大きな成功を掴み取れるのか。自分が満足できることは何か。
仕事で? サッカーで?
これらだけではなく、多くの場面で常に何かしらの考えを持ち、上手くいくように、成功するように自分なりのアクションを起こしている。
これは特別なことのようで、皆が当たり前にやっていることなのだと思う。
考えることは生きていく中で欠かすことのできないことであり、最も大切といっても過言ではないほどの価値を示していると私は思う。
だがそこで、違った考えが私の頭の中に生まれた。
「いつも自然と考えている対象が一切私の前から無くなってしまったら、私には何が残るのだろう」と。
考えてみた、というよりは考えざるをえなかった。今がまさにその状況であるから。
これは私だけではなく、多くの人に考えてほしいことだ。
仕事が、学校が、サッカーが、今まで当然のようにあったものが無くなったとしたら、みんなには何が残るだろうか。
その残ったものこそが、その人の本当の価値なのではないだろうか。
今、多くの人は、
早くこの事態が落ち着いてほしい。
早く仕事を、サッカーをしたい。
みんなに会いたい。
いろんな感情を抱いているだろう。
私もそう思う。
しかしそれと同時に、少なからず今のこの状況を言い訳にしてしまってはいないだろうか。
コロナウイルスのせいで何もできない状況だから、ダラダラする。ただ長い時間が過ぎるのを待つ。
その考え、行動こそが、意識せずとも自分自身の邪魔をし、成長を妨げている。
外出を自粛されているこの期間だからこそできること。
それは、ただひたすらに自分に矢印を向けて考え続け、人としての幅を少しでも広げていくことなのではないだろうか。
ただでさえ、遅れをとってしまっているこの期間で、何かしらの進歩がなければ、この先自分が社会に、組織に、チームに良い影響を与えていくことは不可能だろう。
私から、学校を、サッカーを取り上げた時、何も残らないのは絶対に嫌だ。
サッカーがなければ何の価値もない人間には絶対になりたくない。
だが、今すぐに自分の価値を一気に高めることは今の私の力では到底不可能だ。
それは私のみではなく、皆もそうだろう。
そこでこの言葉を紹介したい。
「今日良い稽古をしたからといって、明日強くなるわけではない。でも、その稽古は2年先、3年先に必ず報われる。
自分を信じてやるしかない。大切なのは信念だよ」
これは千代の富士の言葉だ。
非常に素晴らしい言葉であり、まさに今の私達に言われているような気がしてならない。
今日何か変化をもたらしたところで、明日すぐに結果として現れるとは限らない。
だが、1週間後、1ヶ月後、1年後、5年後に何らかの形で変化が現れるかもしれない。
大事なのは、変わろうとすること、成長しようとすること。そして、自分なりに考えたことを実行していくこと。さらにそれを継続すること。
海外に行きたいから英語を勉強しよう。
知識が浅いから本を読もう。
イメージを膨らませるためにサッカーを見よう。
どんなに小さなことでも、どんなに自分の中でレベルが低いと感じることだとしても、自分で考えて導き出した答えに不正解などないのではないだろうか。
自分が選んだ道の中で、成果を得られるかわからなくても、それを正解にしようと自分なりにもがくことが大切なのではないだろうか。
そして、例え成果として現れなかったとしても、絶対に後悔しないでほしい。
必ず自分の一部となり、自分の幹を太くするひとつの材料になるはずだ。
一歩を踏み出すことが何より大切なことだから。
自分の人生を想像よりもはるかに豊かにしていくために。
そして、自分にしかない生き方をするために。
自分の方法で、自分の考え方で、少しずつ積み重ねていってほしい。
最後に最高の景色を見るために。
人それぞれの最高の景色を。
最後に、
このような状況になってしまったことは紛れもない事実である。まずはしっかりと現実と向き合い、受け入れる必要がある。
そして、今だからこそできることを自分なりに考え続けること。
今のこの期間をいかに前向きに捉え、自分を磨くための期間にできるか。
一見マイナスな状況だが、自分次第で、プラスにも変えられる。
良くも悪くも自分次第だ。
この状況が明けた時、今の自分から何か変化できていたら、良い時間を過ごせたと言えるのではないだろうか。
私自身そう感じることができるようにこの期間の過ごし方をより一層大切にし、多くの人と笑顔で再会できるように精進していきたい。
この文章を読んで、少しでも多くの人の考え方に変化があり、実りある時間を過ごすための何らかのヒントになれれば幸いです。
そして、少しでも早くコロナウイルスが落ち着き、明るい日常が戻ってくることを願っています。
長く拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
◇柴田徹(しばたとおる)◇
学年:2年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:湘南ベルマーレU-18
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