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今を生きる者たちへ

先日、元首相の安倍さんが演説中に銃で打たれ、お亡くなりになられた。



「平和であり安全な国日本」という、他国から、そして自分たちの中で無意識のうちに持っていたであろう自国への印象は大きく崩れた。

一体、その様な平和で安全な国のはずであった日本はどこに行ってしまったのか。
本当は元からその様な国ではなかったのかもしれない。

様々な局面において、自分たちが生活しているこの環境、周囲の状況、国の状況、それに伴う自分の行動を今一度見つめ直す時期に来ているのかもしれない。

最近サッカー界では、パリサンジェルマンというフランスのビッグクラブが来日した。メッシやネイマールがいるクラブだ。そのチームが公開練習をしていた際に、観客で来ていた子供が数名ピッチの中に乱入した。観客はその光景を見て、面白おかしくざわついていた。

子供のパフォーマンスに、警備員の捕まえられなさに、なのかはわからないが、

ルールを犯した者に対して起こったのは罵声ではなく歓声であった。

皆、口を揃えて言う。


「海外だったら、よくあるよね。」
「日本も変わってきたね。」


海外であることだから、日本人がやっても良いのか。
海外の真似事をしているのか。


理由は正直よくわからないが、日本というこの国は、何を大切にしたいのか、文化として、伝統として、これから先この国をより良くしていく為に何をしたいのか、正直ここ最近わからなくなってきている気がする。


先進国として讃えられているだけではなく、古くからの歴史を大切に扱い、それを多くの国の人から評価をされ、人との関わりがとても丁寧で親切で、食べる物も飲む物も住む環境も安全だとされてきたこの国の、本来ある美しさを私は最近感じなくなってきてしまっている。

年を重ねる毎にその時代を生きる人が変化して来たという致し方ない現実もある。


元々、そういった節があったのかもしれないが、今現在猛威を振るっていると言われている新型コロナウイルスの影響で、その日本という国の汚点が露呈されてしまったのかもしれない。


新型コロナウイルスが日本で流行し始めてから3年目になろうとしている。
このウイルスが流行してから、私たちの日常は大きく変化してしまった。

ソーシャルディスタンスを強いられ、マスクは必須、マスクをしていないと冷たい目で見られる。食事をする時もプレートで仕切られ、会話もろくに出来ない。お店は時短営業、お店に入ると検温、アルコール消毒、ワクチンを打たないと入れてくれないお店もあると聞く。

サッカー界で言うと、応援は禁止、無観客試合(今は人数制限)、ファンとの交流の禁止、定期的に行われるPCR検査、感染者が1人でも出ると、部活停止になり試合を辞退するチームもある。


自分たちのかけがえのない日常を、一生に一度の学生という時間を大きく壊された。


仕方ないのか、それとも防げたものなのか。
答えは本質を見抜けた者にしかわからない。


今や、コロナワクチンは4回目を打ってくださいというアナウンスが飛び交っている。


皆、何の疑問も持たずに、接種を続けている。
コロナの実態も、PCR検査の実態も何も調べずに。
ただテレビの報道のままに動かされ、ワクチンを打つことが当たり前の様に接種を繰り返している。


以前、こんな映像を見た。

「このワクチンは、コロナウイルスから作られたものではない。本来ワクチンというものはウイルスがあって、そのウイルスをしっかりと分析した上でウイルスを元にして作られるものである。ワクチンの必要性、マスクの必要性を今一度考えて欲しい。」

「このコロナワクチンは人間の肝細胞内で遺伝子の逆転写が行われている」
スェーデンマルメ近郊のルンド大学の博士が文書として発表した。

その他にも文書や映像として、たくさんの事実が語られているものがある。

https://twitter.com/namikousakayoga/status/1547365398227873792?s=21&t=bfAsQY_dQggjpPaPaVpAiw


でもその映像も、文書も公にはならない。
テレビやメディアなど、皆の目に映る場に出てくることはない。


公になるのは、感染者数と感染対策のお願い、コロナの恐ろしさだけ。


そして、その情報しか見ていない我々日本人は何の疑いもなく、ワクチンを何度も接種する、マスクを当たり前の様につける。真夏の猛暑日にも限らずだ。


幼少期から、先生や親の言うことを聞きなさいという教育を受けてきた日本人が、将来的に自分自身の意思で何か物事を決められなくなってきているという日本の教育文化の課題がこの今の日本という自分の意思のない国を作り出しているのではないかと思う。


コロナと共存、ワクチンと共存、マスクと共存。


そう言っていることを否定しているわけではない。そういう現実を国が作り出している以上はその問題と向き合う必要は国民である以上はあると思う。


だが本当に自分の思考を深め続けて欲しいとも思う。
常に自分の常識を疑い続けて欲しい。


ワクチン接種を繰り返して、マスク着用をこの2年間ずっとし続けてきて、果たして本当にそれで感染者が減っているのだろうか。何度もワクチンを接種して、コロナに感染せずに済んでいるだろうか。

同じことを繰り返してきて、もう3年目だ。

ワクチンを打ったのに、1回に限らず、2回も感染している人もいる。ましてや、ワクチンを打った人の方が感染者数が多いという情報さえある。

そして、ワクチン副作用でいまだに苦しんでいる人もいる。
それまでは元気だったのに、ワクチン接種後、心臓発作で亡くなった人もいる。因果関係は証明されていないと言うが、これが本当に偶然なんだろうか。

そもそも、安全を担保する為のワクチンであるはずが、副作用によって苦しめられているということもおかしな話である。


本当にワクチンというものの意味はあるのだろうか。
マスクの意味は、必要性は?感染対策の効果は?
PCR検査の本性は何か?


マスクが本当にメリットのある物なのか。
外からの細菌は防げるかもしれないが、体の中から吐き出す細菌は口の中で留まってしまわないか。充分な酸素が体に入ってこなくなり、逆に体調が悪くなる可能性はないか。人間の本来持っている体の循環をマスクをすることによって邪魔していないか。

細菌を体内に入れることが悪みたいな雰囲気になっているが、人間の体は細菌がなければ生きていけない。常に色々な細菌が働き合うことで体を良い状態に保とうとしている。


皆何も気付いていない。気付こうともしていない。
人間の本来持っている免疫力、体内の循環があれば、コロナなど恐れる物ではないということを。


風邪を引くのが悪い、体調を崩すのが悪い。
そうではない。
人間の体は必要な時に体調を崩し、体内から必要のないものを外に出そうとする。


体は常に循環し、然るべき時に然るべき働きをしてくれている。

人間の体は本来そうできているのだ。

おそらくその事実も皆あまり知らないだろう。

自分もまだまだ勉強中だが、今常識とされているものは、実際のところ本質からはかなりかけ離れている。


今一度現状に対して考え直さなければならない。

もっと、自分自身で情報を掴みに行って、何が本当で何が嘘か、見極めなければならない。

本来我々はどのように生き、どのような姿でいるべきなのか。
生涯に一度しか味わえない自分の体、自分の人生。


授かった人生を全身全霊で全うする必要がある。


ということを今の世の中で口にすると、何を言っているんだこいつは、という目で見られる。
いわゆる社会不適合者的なことだろう笑


そういったことを言われて特に何か不快な思いをすることはないが、テレビやメディアの情報が全てだと思い込んでいる日本国民を見ると、正直もったいないなと思ってしまう。

ヒントはそこら中に転がっているのに、自分の体を動かして、情報を拾おうともしない。

実にもったいない。

ただ、それほどまでにテレビやメディアの影響力は大きいということにはなるが、果たしてそれが良いことなのか、悪いことなのか。

仮に、テレビに写っている映像が、何かに操作されていたら。
誰かの命令で本物とは違う映像が流されていたら。

なんて考えに至ったことはないと思うが、そういう視点でテレビを見てみるのも面白い。そういった視点で見て、色々調べてみると、実に興味深い情報を手繰り寄せることができたりする。


今や東京都のコロナ感染者数は3万人を超えた。
実に恐ろしい数字だ。自分の周りにいる人たちはみんな怖れまくっている。

そうなるのも仕方がない。
「過去最多」「重篤」「病床逼迫」「死者何人」

なんて言葉を見れば誰だって怖くなる。

私自身も正直感染拡大がとてつもない勢いで広がっている新型コロナウイルスというウイルスというものに恐怖感を抱いていたが、現実は思っている程恐ろしくないのかもしれない。

今現在日本で行われているPCR検査の増幅回数、いわゆるCT値は40〜45回。
この数字が何を意味しているかわかるだろうか。

PCR検査というものは、ウイルスの遺伝子の微細な断片を、温度を調節することによって増やしていくという方法だ。その増幅回数によって検査結果の意味が違ってくるという。

1回の増幅で2倍
25回の増幅で3300万倍
30回の増幅で10億倍
40回の増幅で1兆倍

増幅を繰り返して、遺伝子の断片を見つけやすくして、ウイルスの有無を確認しようとする検査方法らしい。

この増幅回数は国によって基準が違う。
台湾で36回、アメリカで37〜40回
日本はというと、40〜45回と世界の中でも最も多い部類に入る。

その分、かなりの割合でウイルスの断片を見つけることができ、陽性判定が出やすくなる。

ただ、遺伝子の断片を増やしているだけである為、そのウイルスが生きているか、死んでいるか、感染力があるか、ないかということはわからないという。

つまり、陽性判定を受けた人の中には、感染力のない死んだウイルスでもコロナ陽性と見なされ、隔離されるという人もいる。

無症状感染者のほとんどはそれだろう。

https://twitter.com/chan79140571/status/1550646186138554369?s=21&t=bfAsQY_dQggjpPaPaVpAiw


さらには、このCT値の40回以上の数字を用いる際には、陰性判断の材料としてしか用いてはいけないという。

日本は40回以上である為、陽性かどうかという基準で見てはいけない数字だそうだ。この数字で検査をした場合、15人の陽性者が出た場合、14人が偽陽性である可能性が高いという。


そういった実態を聞かされずに、3万人感染者が出ましたと言われれば、恐れてしまうのも無理はない。
誰だってコロナに怯え、意味があるかもわからない感染対策を必死に行い、人とのつながりが疎かになり、どんどん社会が閉鎖的になる。


過去の、みんなが生き生きとした目をし、何かに希望を持って生きていた日常からは想像もつかないような遠くかけ離れた世界にいるようだ。


とてもではないが生きやすい社会とは言えない。



だからこそ本質を見る必要があるのだ。



自分の体の中に入れるもの、自分が取るべき行動はしっかりと目で見て、頭で考えて判断しなければならない。

決して周りがこうだからという考えで物事を決めてはいけない。


ワクチンが本当に安全なものなのか、体調を崩した時に飲む薬が本当に体を治すためのものになっているのか。
マスクの効用は本当に意味のあるものなのか。
日本はなぜこんなにも世界とのコロナ騒動の終息に差があるのか。
コロナ対策を呼びかけているトップの実際の姿は国民の模範となるようなコロナ対策をしているのか。

普段食べている食べ物を美味しいという理由だけで食べてしまっていないか。
体に良いとされているものは本当に良いものなのか。


今や日本の食材に含まれている食品添加物の量は世界で群を抜いている。
食品に何かを添加しているということは、言い方は悪いが、毒も漏れるということだ。一般的に癌の発生原因は酒やタバコとされているが、この食品添加物も一つの大きな要因の一つとなっている。
必ずしもそれだけが原因ではないが、砂糖、グルテンなど、美味しいという理由だけで食べているものが実際は体に害のあるものだったりする。


科学技術の発展、生活環境の発展、食糧など何かを創作する技術、知識の発展に伴い、今の日本人には、数え切れないほどの選択肢がある。


多くの選択肢があるからこそ、自分の意思がなくても生きていけるのかもしれない。
流れに身を任せればなんとかなってしまうのかもしれない。


実によくない風習だ。
我々は国に生かされているが、国を創り、生かしているのも我々であるということを忘れてはならない。


様々な面での技術が発展しすぎて、人間の本来ある力みたいなものが影を潜めてしまうのであれば、技術を発展させた当事者達が、元に戻すことは可能なはずである。創り方を知っているのだから。


それをしないということは、それほどまでにこの国、そして国民は追い詰められており、隣の者に利益で、ブランド力で負けられないという変なプライドから、この流れは止まることはないということである。止めようともしていないと思うが。


ただでさえ生きにくい社会になってきているが、これから先、国と国民との乖離がさらに大きくなり、今以上にどんどん生きにくい社会になっていくことが容易に想像できる。


国も社会も止まってはくれない。


だからこそ、私たち一人一人が本来のこの国の姿である「美しき国日本」に生きる国民であり、人権を持った1人の人間であるという自覚と誇りを持たなければならない。


世の中の常識を、今の自分の生き方を、信じているものを、何から何まで全て疑い、それが正しいのか自分自身で情報を拾いに行かなければならない。本質を掴みにいき、今のこの国の実態を、自分という人間の未熟さを、自分の目で見つめなければならない。


マスクを外せ、ワクチンを打つなと言っている訳ではない。
それらに限らず、全ての行動を行う際に本当にその行動をするという判断が、自分の目で見た本質的な情報を元にしたものなのかを問い直して欲しいということを言いたいのだ。


私自身も2回のワクチン接種をした。
何の情報を得ることもなく、ワクチンを打つことが当たり前だと思っていたから。

でも今は後悔しかない。
なぜあの時、自分の判断に疑問を持てなかったのか。一歩踏みとどまることができなかったのか。

こういった情報を拾いにいっていたら、今の自分の体はもっと健康体だったのではないか。なんて多くの考えに悩まされる毎日だ。


もう遅いかもしれないが、みんなには同じ轍を踏んで欲しくない。



情報は溢れかえっている。
テレビやメディアの情報だけに決して流されてはいけない。


もしかしたら、今自分が見ている情報も全てが正しいとは限らないかもしれない。


どこか本質からずれているかもしれない。


それでも、自分の力で本質を見抜こうと多くの情報に触れ、多くの人と会話をする、それに基づいていろいろな行動を試してみる。


毎日が常に変化し、毎日が違う人生を生きている感覚。


テレビやメディアを盲信し、自分の意思でもないことをひたすらにやり続ける毎日なんかよりも、とてつもなく刺激的な毎日である。


本質を見ようと行動を起こし続け、思考を深め続けることが、間違いなく本質にたどり着ける方法だと思う。



誰かに心も体も支配されるなんて状態になってはいけない。

1億人以上もいるこの国の中の貴重な1人という存在なのだから、自分の人生を国や社会に翻弄されるだけになってしまっては絶対にいけない。


授かった命を全うするべく、自分の意思に基づいた行動を常に取って欲しい。


明るい日本、明るく希望に満ち溢れた自分という存在は、自分自身の力でしか作り上げることはできない。


現状に何か違和感、不安、不満を持っているのであれば、他人の目なんか気にしている場合ではない。今すぐ立ち上がって行動すべきだ。


動いた者にしか、気づきを、学びを得ることはできない。


刺激的で、毎日がワクワクして仕方がない、そんな人生を1人でも多くの人が歩んでくれることを信じている。


本質を見つけたその先に、真の豊かな人生が送れるのだと私は信じている。



この文章は、今の閉塞的で混沌とした社会に対して、違和感を持っている今を生きる1人の学生の思いだ。
全てを鵜呑みにして欲しいなんて1ミリたりとも思っていない。
ひとつの意見として捉えていただければ幸いだ。

この文章を読んで、何か行動に変化をもたらすきっかけになった人がいたならば、それ以上の幸せはない。

そういう人が1人でも出てきてくれることを祈っている。


次回もお楽しみに。

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