![マガジンのカバー画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/70078098/1f60fc3b8e24564ae34a804fe6bdae50.jpeg?width=800)
- 運営しているクリエイター
#神
【神】に愛されるということ
けっきょく、『神に愛される』というのは【素質】なのだろう。
「お人よし」
そう呼ばれる者しか神の愛は届かない。
なぜなら神自身が『与えっぱなし』の存在なのだから。
『神様のお役目』は基本【ただ働き】なのである。
それは『神への奉仕』なのだから。
神世界秩序 《稚櫻姫の御言》
扶桑の柱 真中に
大き和となる魂たちが
集いてあななす出雲道
日月の神を顕す神人
新しい世の夜明けなり
生み出し与える神人が
誠の光を火継ぎして
和が広がりて世を平らけく
生命光りて踊り出す
あなないするにも元がいる
元の土台が無くては出来ぬ
おのれの土台 おのれの元は
おのれのみしかわからぬぞ
【呪】 ~人を呪わば穴二つ
『呪い』といっても様々あるが、一言で言ってしまえばある種の『縛り』である。
もっと言うと『縛りの型』と言えるだろう。
問題なのは『縛る対象』が何であるか?
ということ。
そしてその『目的』とするところが何なのか?
ということである。
【呪】と言えども【神呪】もあれば【呪詛】、【呪縛】などもある。
要は「何のためにどんな型を用いるか」ということ。
【呪】が道しるべとなることもあれば、阻害するもの
【愛なる龍】 《厳の荒魂・天疎向津媛の御言》
鬱屈したこの優しくない世界の中
いつまで黙って振り回されおるのか
未だ自分を主張出来ずに
人の顔色ばかり見て
右に行こうか左に行こうか
クネクネ蛇行する蛇のよう
どうして自分を尊ばぬ
どうして自分を傷つける
どうして自分を憐れんでおる
自分を傷つけ尊べぬ者に
他者を労わることなど出来ぬ
カタチばかりの善に振り回され
誠の「愛」を成せぬもの
自分を憐れんでばかりおるから
【唯一無二の光】 《向津姫の御言》
人が忘れてしまったもの
それが「唯一無二の光」
ただ一つの『自分』の証
自分で在れる縁(よすが)の柱
「唯一無二の光」あるなら
過去も今も未来も同じ
同じ『自分』が何度も生きる
刻が変われど場所が変われど
姿かたちが変われども
同じ『自分』がそこに居る
光無くして柱無くして
迷子になった蝸牛(かたつむり)
柱を求めて光を求めて
回り回って渦巻き彷徨う
自分である『光』
それは自分である『愛』