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はじまりのとき

私は現在、セラピストとしての職業に従事して10年ほどになる。
だが、その前は『探偵』として足掛け20年の時を過ごしてきている。
だから、私の信ずるものの中心にあるのは、常に『事実』である。
揺るがない『事実』こそが唯一信ずべきものであると思っている。
ゆえに、『事実』なき『妄想』は信ずるに値しない。

確かな「事実」の「無いもの」を「在る」とするのは妄想であるが、またその逆に、「事実」として「在るもの」を「無い」とするのも妄想である。

私にとって「事実は揺るがない」・・・のである。




セラピストとして数年を経て、自分のセラピーである【癒奏術】を完成させたのが2016年ごろであった。
また、アロマのブレンド「Re:Quiem」というシリーズも完成し、さあ、これからだ・・・というときに、自分の周りにいる人たちに「嫌気」がさす出来事が次々と起こり始めた。

ちょうどそのころ・・・
確か2016年の年末だったが、風邪をひいたのか何なのかわからないが、何故か40度近い熱を発して3日ほど寝込んだ。
その3日間は水と栄養ドリンクだけ・・・という、まるで断食のような状況であった。
そして、ようやく「熱が下がったか」と思い熱を計ってみると『39度6分』
さして熱は下がっていないのだが、何故か身体が元気ですがすがしかった。

その日の夜
夢うつつの中で自分が「宇宙」そのものになる感覚を味わった。
とても心地よく
「満ちている」という言葉がぴったりである。
その宇宙空間の一面に大きく広がった光の線があり、それはまるで「フラワーオブライフ」と言われる模様のようであった。
そんな模様のマス目のすべてに点滅する「光」が無数に瞬いていた。

それは夢だったのか現実だったのか定かではない。
熱もあったし
しかし元気ではあったが・・・
もしかすると熱が見せた幻なのかもしれない


そんなことがあってから、周りの人に「嫌気」というものが湧いてきたように思う。
そして、いろいろと起きる出来事・・・
そんな出来事の流れのまま、ほとんどの知人、友人と離れていった。
更には、ようやく完成させて「さあこれから!」というときであったが、その大切な「セラピー」の仕事も手放すこととなった。
その「セラピー」自体が出来事の中心であったからだ。

そうして様々なものに嫌気がさし、やがてまったくの「独り」になって色々なことを考え始めた。

「なぜ人は奪うばかりなのか?」

どこへ行っても、何をしても目に付くのは「人が人から奪う」ということ。


そんな状況のときにはじめて「スピリチュアル」というものに出会った。
禅や密教などはよく知っていたが、それらとは全く異質な「スピリチュアル」という世界。
そんなものに興味を持ち始めて、いろいろ調べているうちに「なるほど、自分はヒーラーなのだ」ということがわかり始めた。
だが、それがわかったからと言って、「セラピスト」の仕事は既に捨てていた。
だから「ヒーラー」とわかったところで何も出来ないし、それで何か新たに始めようとも思わなかった。

「人は奪うばかり」

だからヒーラーなどやったところで自分のなにがしかを、また「奪われる」ことになるだろう。


スピリチュアルではよく「やりたいことをすればいい」という定説のようなものが、誰の口からも飛び出してくる。
それを聞くたびに「だから奪うことになるんだよ」と心の中で反芻する。

そこで自分がとった選択は
「やりたくないことを徹底してやらない」
であった。

それで生きていけないならばそれでいい。


そんな時・・・
「もし【神】というものがいるのなら、この「選択」をした自分がどこまでも落ちてゆくのか?」
「落ちて最後には死んでしまうのか?」
「もし神というものがいるのなら、なにがしかの答えをくれ!」

そして、その「答え」を求めて「やらない」生き方を始めた。


週に2日か3日ほどしか仕事をせず、それも「やってもいい」と思えるものだけをチョイスして、その日暮らしが始まった。

またその頃、多くのスピリチュアルの中で唯一「信じてもいいかな」と思えるスピリチュアルのワークに月一くらいで参加した。


まさに人生始まって以来の【極貧】生活であったが、自分の装いも行動も一切それを表には出さず、まるで「ゆとり」のあるような日々を送っていた。
生活保護を受けている方がまだゆとりがあったであろう。
しかし心に「恐れ」は無い。
ただただ答えを求めて日々を過ごしていった。
ひと月、ふた月、み月と過ぎたころにはそんな生活にも慣れ親しんでいた。


そして、自分の親兄弟さえ「奪うもの」としてそこから離れていった。
天涯孤独になり友も居らず、唯一話をするのは週に3~4日は通っているカフェの店員くらいである。
あとはその日その日にしか出会わないバイト先の人たち。

「これでもか!」

というくらい「様々なものを手放した」状態であった。


そんな「神とのチキンレース」のような日々が半年ほど過ぎたころ、初めて『龍というものが存在する』という体験をした。
しかしそれは「事実」なのか「空想」なのかどちらか判別できない。
だからその時は「信ずる」ということには至らなかった。


そこから更に2か月ほど過ぎたころ、その日暮らしで選んで行ったり行かなかったりしていたバイト生活から、1歩進んで「決まったバイト先」で働くようになった。
そのどちらも「六甲の山上」にある施設だった。

だがそれでも「その日暮らし」は相変わらずである。
自分でも「よく生きているな」と感心するほどである。
それほど「やりたくないことはやらない」を徹底していたから仕事も少ない。

夏が過ぎ、秋が深まりもうすぐ冬となる手前のころに、バイト先で火傷を負ったため、「これ以上ここに留まるな」ということか・・・と判断して山を降りることにした。
そして、何故か再び「セラピスト」として仕事を始めようと思った。


おそらくこのあたりから・・・いや、六甲山上に行き始めたころからなのだろう。
その時はわからなかったが、
すでに【神】からの答えが『応え』となって始まっていたのだろう。

六甲山上に行くことになったのも、火傷をして山を降りることになったのも、再び「セラピスト」に戻り始めたのも・・・
後になってようやくわかる『導き』がそこにあった。



セラピストに戻ってふた月ほど経った頃
2018年の1月の「もうすぐ誕生日」を迎えようとしていたころ

それは起こった。


何か・・・
「何か」としか言いようがない
いや、「何者か」と言うべきか・・・

その「何か」「何者か」が『自分の体の中』に突然入って来た。
あまりに突然でわけがわからない。
目で見えるものではなく、何らかの「エネルギー体」のようなもの。
それが自分の体に重なっている。
それは、自分より小さい女性
見えはしないが脳裏に映る
そして、明らかに「生命」を感じる

身体の前面に「女性」と思しきエネルギー体がはまり込んだように、常に強烈なエネルギーを感じる。
「いったい何なんだ?」
本当にわけがわからない状態である。


それが「六甲山上の磐座の瀬織津姫」であると後に判明するのであるが、その時はまだ「何が何だかわからない」状態であった。

そして、その日を境に自分の行動が変わっていった。
自分の意志で行動しているはずが、気付けば「なんでこんなことをしているんだ?」ということが頻繁に起こる。
まるで自分の意志すら操られているように・・・


そうこうして数日の間、自分と格闘していたのだが、そこから更なる出来事が起こった。

夜中の3時ごろ
まだ起きていたのだが、突然、「地震か!」というほどの大きな揺れに見舞われた。
強烈に揺れる身体を制御できず、「阪神大震災」を思い出しながら「逃げないと!」と考えて立ち上がり、部屋の中を見回してみると・・・・
「・・・何も揺れていない」

だが身体は大きく揺れている。
そして、揺れを止められない。
「何なんだこれは?」
揺れてグルグルと回っているかのような自分の身体を持て余しながら、前日に仕事場でとある人に言われた言葉を思い出す。
その方は「言葉を降ろす」ような方で、その方が私に「龍神祝詞を唱えろと言われているよ」と言った。
「龍神祝詞?」
このころの私は「神様などという人は胡散臭い」と思っており、神社などで神に向かうこともなく、だから祝詞と言われても何のことだかさっぱりわからない。
神社で神主が唱えているものだろうぐらいの認識しかない。
だからその時は「ふ~ん」だけで終わっていた。

それを何故か思い出し、「唱えなければ」と思い至って、あわててネットで検索して、揺れる身体で唱えようとしたがうまくできない。
その時、何故か目に留まった天然石のブレスがあった。
数日前に「この石神様が入ってる」と、とある霊能者に言われていた。
その時も「ふ~ん」だけで終わっていた。
それを思い出して「このブレスを付けたらいいんじゃないか?」と何の脈略もないことを思いつき、それを腕にはめた。

すると・・・
揺れが止まった

止まったが、何故か身体の中心から「渦」が巻いていて、再びそれに揺すられ始めている。
「今のうちに唱えよう」
そして龍神祝詞を唱えた・・・というより「読み上げた」

そして、読み終えたとたん
グググ~ッと頭を後ろから押されるように「深々とお辞儀をさせられた」のである。
そして頭を上げると・・・・

「・・・・・・」
龍が居る・・・
狭い部屋の中に巨大な龍が居る・・・・・

その日から龍は部屋の中にいたり、裏山にいたり・・・・
つねに自分の周りにいる

身体の中に【女神】
自分の周りに【龍】

これがなぜ起こり、何が始まろうとしているのか
この時はまだ全くわからない

だが
およそ1年の月日をかけて、人生を捧げ、身を捧げ、持っているものは何もないというほど手放し、命がけで「神に問うた」答えであることは間違いはないはずである。


起こった事実は事実として在る
それを「無いもの」とするのは妄想である
疑い、事実を突き止めるのが私の性(さが)である
だから
事実は事実としてきっちりと向き合わねばならない

それが、人が聞いたら笑い飛ばすようなことでも、事実であるならば事実として受け止め行動する
笑えばいい
蔑めばいい
誰に敬遠されようとも
誰に嘲られようとも
事実だけは曲げられない


これは神が応えてくれたゴールであり
次は私が応えていく始まりである

そして・・・
お互いが「応え合う」旅の始まりであった




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