【書評】エログロナンセンスとアヴァンギャルドの蜜月 『吉行エイスケ 作品と世界』[1997]

吉行和子(監修)[1997]『吉行エイスケ 作品と世界』国書刊行会.

評価:☆☆☆★★

 吉行エイスケの作品集。
 吉行エイスケは、1920年代よりダダイズム、モダニズム、新興芸術派の作家として注目を集め、1940年、34歳で世を去った人物だ。本書には、27歳で筆を絶つまでのエイスケの詩と小説が収録されている。監修者は、エイスケの娘で女優の吉行和子。
 エイスケの3人の子供のうち、吉行淳之介と理恵は作家、和子は女優である。妻の吉行あぐりも日本の美容師の草分け的存在として有名で、1997年にはNHKの連続テレビ小説『あぐり』のモデルとして、夫ともども再注目された。本書の発刊もその波及効果だ。吉行エイスケの名は、今日ではもっぱら、作家としてというよりは、妻と子供たちの知名度によって記憶されている。
 本書の冒頭には、3人の子供たちそれぞれの、エイスケを回想するエッセイが収められている。
 ――と、こうしてデータだけを見ると、若くして亡くなった父の文学が正当に再評価されるよう、子供(たち)が力を尽くしたのかと思いそうになるが、本書の冒頭のエッセイを読めば、そういう分かりやすい話ではないのだとすぐに気づくだろう。何しろ、3人の子供たちは、口を揃えて、父親の小説を最後まで読み通せたことがなかった(!)と書いているのである。
 例えば吉行淳之介の1959年のエッセイは、端的に、<僕は彼の作品に関しては否定的である>と切り捨てる。

二冊の創作集に収められた四十六の短篇の中、一篇も末尾まで読み通したものがない。
 決心して読みはじめたことは幾度かあるのだが、『場末のスリッパを穿いた狭隘な街、人々は踵の無い女靴のなかに棲んでいる。この物質的な猥雑な色彩にまみれた暁方の界隈が、夜半の汚れたシュミーズに無恥なハッピーコートをつける。朝刊がH百貨店主の自殺を報道する。そのデパートメントストアの鎧戸が、新聞売り子の銀鈴の背後で戞と音を立てて』というような文章を読みはじめると、すぐに辛い気持になって書物を閉じてしまう。
 流行遅れになったニュールックの華かな衣装を眺めている気持だ。デザインが華かなだけに、味気なさも大きい。そして、その気持の中に、創作者が肉親であるという気分が少々混る。

[pp.16-7]

 <デザインが華かなだけに、味気なさも大きい>という辛辣な評価は、正当だろう。私の本書への感想も概ね同じである。
 例えば、本書に最初に掲載されている(つまり、読者が最初に読むことになる)「退屈」という詩を見てみよう。

  退屈
ずくし(註・熟柿)に蛙が頭を突き込んでは引いた
四肢のネンマクを切って、青蛙が死んだ
イナビカリが一室に落付いて煙草をふかした
そしたらネズミが蛙を強姦した
ジャ、ラガラガラガラガラガラガ
ずくしを投げつけたら小野ノトウフがウイスキーをのんでいた
チュー、ジャラガラガラガラガラガラ

[p.41]

 ダダ詩として、これは分かりやすいだろう。<イナビカリ>とか<ネズミが蛙を強姦した>とかのイメージ、あるいは<ラガラガラガラガラガラガ>という音響の即物的なインパクトが詩の「機能」の全てであって、文学的な「良さ」を読み取るべき余地はない。――とはいえ、同じく「退屈」をテーマにした、同時代のダダイスト高橋新吉の「皿」などと比べて、インパクトを伝達する手法の稚拙さを意地悪く指摘することもできるかもしれない。
 あるいは、「珍料理」という詩を見てみよう。

  珍料理
ここに死体がうずくまっている
聖書と花で押込められた二十の姫君だ
酔狂なばばあががみがみ泣いた
姫君よ
今こそそなたは私の自由だ
きっとのぞいたばばあが
お姫様は生前処女でふくよかにあらせらると泣いた
泣け 泣け
今こそ恋の情念を引っこ抜いてやる
さしみだ
姫君の肉を破壊するのだ
そして姫君の舌を引っこ抜け
ああこの世に稀なる珍料理だ
又ばばあめ がみがみ泣く
一緒にくたばるんだ
ははははは はははは

[pp.63-4]

 さすがにそりゃないでしょう、と言いたくなる一篇だ。淳之介に同情する他ない。
 こうした詩を前にして、淳之介の言うエイスケ作品の<味気なさ>を、「テイストレス」、さらに「バッドテイスト」すなわち「悪趣味」と読み替えても良いだろう。実際、淳之介は、尿器でビールを飲むという<悪趣味>[p.24]な話を、美しい女性との食事の席で聞かせた自分の経験を参照しながら、エイスケのダダイズムを論じている。スカトロジー的なイメージで日常生活の秩序を撹乱する若者のいたずら心のようなものとして、ここでの淳之介はダダを理解している。
 だが、ダダとは本当にそうしたものだったのだろうか。
 淳之介が言及するのは、マルセル・デュシャンが男性用小便器に「泉」と名付け、自分のオブジェ作品として展覧会に出品したという、「ダダ」的行為の典型として今日でも語られているエピソードだ。実際にはデュシャンが「レディ・メイド」として芸術作品扱いした物体は便器だけではないのだが、もっぱらスキャンダラスに記憶されているのは「泉」である。「こんなものでも芸術になりうるのだ」と示すことで、「芸術」的イメージが鑑賞者に対して持ちうる機能を失効させること――とりあえず、「レディ・メイド」シリーズの意義を、こんなふうに簡単にまとめよう。ところが、芸術になりえてしまう「こんなもの」の内容は何でも良いはずなのに、結果的に、鑑賞者が受けた最も大きいインパクトは、「便器」という、「こんなもの」の内容によるものだった。イメージに意味はないのだ、と示すために選ばれたイメージが鑑賞者にインパクトを与え、意味を持ってしまうわけだ。
 イメージというもの総体を失効させる、いわば「反アート」的な機能と、インパクトのあるイメージを単に一種の「アート」として提示する意図とが分離されず、手を取り合うのはこうした地点である。それはさながら、ダダの創始者とされるトリスタン・ツァラの「真のダダは反ダダである」という言葉のパロディのような事態だろう。反アート的なことをやろうとしても、ダダイスト当人たちにできるのは、単なるアート的なことでしか無い――そんなパラドックスを、ダダイストたちは生きていた。それは、アートを媒介としなければ「真のダダ」を実現する(あるいはせめて垣間見る)ことができない、という時代的な制限だったかもしれないし、逆に、「真のダダ」と「偽のダダ」とを、つまり反アートとアートとを、なんの矛盾もなく同居させられた時代の幸福だったかもしれない。現代の(というか現代アートの)不幸は、そうした幸福を喪失したことであり、同時に、幸福を喪失したのだということに多くのアーティストが気づいていない(あるいは気づかないふりをするしか無い)ことである。
 ぎょっとさせることを芸術の名のもとに大声で叫べば、それが「前衛」たりうるのではないか――そんな幸福な予感のもと、かつての前衛詩人の作品には、即物的なイメージがとめどなく流れ込む。食人、殺人、狂人(キチガイ)……。だが、要するにそれらは、大衆の下世話な欲望を刺激するイメージだとも言える。エイスケの手法は、同時代のエログロナンセンスと呼ばれる低級な風俗や、江戸川乱歩や夢野久作らの猟奇的な大衆文学とも相通じていただろう。前衛的であろうとしたスタイルが、後から見るとありふれた同時代性を示していることは皮肉である。とはいえ、1959年に淳之介がエッセイを書いた時点で感じた、<流行遅れになったニュールックの華かな衣装を眺めている気持>というものは、もはや、あまりにも時代が離れている今日の読者が抱くことの(でき)ないものだろうが。
 エイスケは、スキャンダラスなイメージに頼るだけの、才能のない作家だったのだろうか。それも少し違うらしい。淳之介と和子はエイスケのダダ的ではない詩を評価しているが、おそらく、ダダ詩に対する淳之介の低評価と同じように、その評価も正当なのだろう。本書に収録されたエイスケの作品も、完成度はともかくとして、ところどころに才能を感じさせることは確かである。
 文学の素質のある青年が、「あえて」自分の詩を解体してみせるポーズが「アヴァンギャルド」たりえた幸福な時代を、エイスケは生きていた。表現の解体やエログロナンセンスや<華かな衣装>――もっと後の時代のサブカルチャーに即して、それらをスカム、悪趣味、キッチュと言い換えても良い――は自覚的に選び取られたものであり、その表現が薄っぺらだと言っても批判したことにはならない。はじめから、あえて薄っぺらにしているのである。また、それが「真のダダ」ではないという指摘も有効ではないだろう。「ダダ」は、程度の差こそあれ、同時代的にはそのようなものとしてしか可能ではなかったからだ。日本の戦間期アヴァンギャルドについてよく指摘されるのは、思想を抜きにスタイルだけ西洋の猿真似をしている、ということであり、それは正しくもあるだろうが、「真のアヴァンギャルド」と「偽のアヴァンギャルド」をめぐるパラドックスは、西洋とも共通していただろう。実態としては「その程度のもの」でしかなかったダダは、なぜそこまで重大な事件だったのか――この問題設定は、思想よりもスタイルを重視した日本の前衛芸術を歴史的に評価する上でこそ、より重大だとも言える。
 淳之介は、『売恥醜文』誌のエイスケの詩を読んで、<表現自体を破壊しようとする傾向>の果てに<バラバラになった文章の向う側から、若い鼻息だけが烈しく吹きつけてくるのを感じる。>[p.20]それはつまり、

 僕は父親の作品にたいして否定的であるが、彼の人間に関しては興味を持っている。結局のところ、彼はダダイストだったとおもうし、ダダとして偽者ではなかった、と考えている。

[p.17]

ということだ。父は「真のダダ」だった! 若くして死んだ型破りな父親に投げかける言葉として、これは感動的だろう。
 だが、「感動」はダダにふさわしいだろうか。
 常に時代の最先端を走り、最新の芸術スタイルを創作に取り入れ、27歳であっさりと筆を絶ち、戦争の悲惨を見ることなく死んだエイスケの生き様は、アヴァンギャルド作家の人生として非常に分かりやすい。それはいかにも「ダダ的」であり、あるいは無頼であり、アナーキーであり、パンクである。だが、そのような生き様を「ダダ的」だとして後の時代から肯定することは、破壊的な反アート運動としての「ダダ」を、せいぜい、アーティストの生き方の多様性の問題へと矮小化することだろう。それはまさしくダダの肯定による「反ダダ」であり、ダダのアートへの敗北である。
 エイスケの型破りな生き様は、それはそれで尊敬すべきものかもしれないが、わざわざ「ダダ」を引っ張り出すまでもなく肯定できるものでしかない。今日の読者は、むしろ、「才能あるアヴァンギャルド作家の人生」という分かりやすい物語へと回収されることを拒むかのような残余こそを、エイスケの作品から読み取るべきなのかもしれない。そこにあるのは単なるスカムであり、ナンセンスな文字列だ。読者が「アヴァンギャルド文学」に見出したいと望む(つい望んでしまう)完成度の高さを、エイスケの作品は否定する。
 そして、そのような「否定」が、あるダダイスト個人の作家性であるようにも見えてしまうところが、ダダの皮肉である。というより、エイスケの同時代の作家が、エイスケなどより遥かに良質な「ダダ文学」作品を大量に生み出してしまったところが、というべきだろうか。ダダが失効を宣告したはずの「アート」的な価値判断は、かつての「ダダ作品」、そして今日のあらゆる「アヴァンギャルド」な作品の優劣を測る上で、なおも有効であるかのようだ。だが、それでいて、今日では、そのような価値判断を破壊するためにナンセンスな文学作品を突きつけることは、もはや明らかに無効なのである。どれだけ破壊的な作品を突きつけたところで、それは即座に、アートの多様性の一例として片付けられるほかないからだ。
 もはや抵抗は不可能なのか。
 ナンセンス文学に内在する「ナンセンス」性が失効し、あらゆる作品が、アートの多様性という、それ自体画一的でイデオロギー的な「有意味」性を肯定するものとしてしか機能しなくなった地点――そこで参照されるべきなのは、かつての前衛芸術運動が産み落とした優れた作品よりも、運動体そのものだ。かつての当事者の生き様よりも、思想である。「作品」や「生き様」は、たとえどれだけ魅力的であっても、すでに有効性を失っているのだと認識しない限り、それらから何らかの肯定性を抽出することもできないだろう。
 吉行エイスケという魅力的なダダイストのあまり魅力的ではない作品を通じて、そのことを再確認しよう。

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