【社会Lv.50】化けるか、消えるかFacebook社名変更と近未来2026年と2121年の仮想世界Metaの未来予測
Facebookが投資中の新しいジャンル「メタバース(Metaverse)」に由来して社名の変更「Meta Platforms, Inc.」(以下、Meta)としました。
Facebookについては近年ネガティブな反応が報じられることが多いですが、本記事ではMetaについて私が考えるポジティブな要因や近未来2026年と100年後に到来する2121年の未来予測を書いていきたいと思います。
が、その前に前提条件としてこのニュースの参考となる下記の動画をご覧ください。
これを第三者がネットニュースとして切り抜いて記事にするとこうなります。
これは「切り抜き」で、「編集」(要約)とはこういうことを指します。
この2つの記事の違いと受ける印象の大きな違いがわかるでしょうか?
情報の多い少ない、読むのに時間がかかるかからないという話ではないのです。
要約しようとして本来の情報の意図を汲み取らず一部だけを取り出して論じることが今日の社会はあまりに多すぎ、短絡的な思考に陥っている人のなんと多い事でしょうか。
社名変更はネガティブか、ポジティブか
Facebookの社名変更は事業多角化におけるポジティブな要因だと私は考えています。
祖業となったSNSのサービス名”Facebook”と社名はこれまでは同じでしたが、Facebookのサービスは継続されますので、本社名とサービス名が分離したということになります。
同社のサービスは確かに現在「Facebook」だけでなく今や「instagram」もありますし、メッセージアプリ「Whatsapp」、ヘッドマウントディスプレイOculusもあり、本社の社名変更は今後を見据えた上でもいずれ必要だったことでしょう。(広告費をかけずに新しい事業の絶好の宣伝にもなったはず)
社名変更で言えばアップルも創業期は「アップルコンピュータ」でしたが、スティーブ・ジョブズが復帰した後で事業の多角化を目指して2007年に社名を今日の「アップル」に変更しました。
またGoogleもWeb検索エンジンサービスとしてスタートしましたが、これはブランド名(事業会社)の一つであって、事業の多角化によって2015年からグループの持ち株会社(本社)を作り社名を今日の「Alphabet」としました。
何も珍しい事ではありません。
ソニーだって創業期9年は「東京通信工業株式会社」でしたし、パナソニックだってかつては「松下電器産業株式会社」だったのですから。
さて新しい社名の「Meta」とは、日本語で表記するなら「(上位概念としての)~の上」とか「超〜」という感じのニュアンスですが…。
という超サイヤ人ジョークはさておき、このメタバースは既存のSNSのようにスマートフォンにアプリを入れて登録すれば使えるというものではないという現状の課題から順に解説していきます。
まぁタイムマシーンほどではありませんが、ドラえもんのタイムテレビでも見ている気持ちで読んでいただければ幸いです。
仮想世界メタバースの歴史と現在
現在の所、VRゴーグル(Oculus Quest改め今後はMeta Quest)とコントローラを使って仮想世界でアバターを使ってコミュニケーションをするというもの。
今回の発表がどこまでを含んでいる物かは意見の分かれるところですが、メタバースがスマートフォンを中心としたモバイル・インターネット市場の次のチャンスであると意気込みが語られています。
一方でこの手の話は既にかなり昔からあります。
”Metaverse”という言葉そのものが1992年に英国のSF作家ニール・スティーヴンスン氏の作中に登場するインターネット上の仮想世界の名前に由来しています。
また人間の脳神経をネットワークに接続する”電脳世界”という概念は日本では士郎 正宗の原作漫画『攻殻機動隊』などのフィクション世界ではそれに先立つ1989年には登場しており、1995年には劇場アニメーションとして第一弾の映像化され、今日も新作が製作・公開されています。
Facebookのメタバース企業を目指すという発表に対してジャーナリストの佐々木俊尚氏は以下のようにコメント。
どこを残すか、何を強調するかで印象はまるで変わりますね。
更に遡ると1981年に出版されたフランスのジャン・ボードリヤール氏の著書『シミュラークルとシミュレーション』に端を発し、ウォシャウスキー兄弟によって前述の日本のアニメ・マンガ・小説などと融合して1999年には映画『マトリックス』によって描かれた世界観とも通じるところがあります。
現実では2003年にインターネット上に登場したセカンドライフ(通称SL)はブロードバンド接続をした頃から語られ、日本でもイノベーターやアーリーアダプターなどが一時期飛びついて宣伝していました。
Googleの設立が1998年、YouTubeの設立が2005年(Googleが2006年に買収)でちょうど二つの間くらいの時期ですね。
SLは仮想空間に土地やらを買うためにリアルなお金がかかるという仮想空間なのにやたらリアルな仕組みが海外ではウケたようなんですが日本ではほとんどウケずにブームは終息してしまいました。
日本では今や殆どやっている人いないんですよ。どれくらいいます?
そして同時期に日本ではコンピュータビデオゲームのMMORPG*として2002年に韓国のグラビティが提供を始めた『ラグナロクオンライン』や2000年にセガによる『ファンタシースターオンライン(PSO)』、スクエア・エニックスによる『ファイナルファンタジーXI(FF11)』などが普及。
更にカプコンから2004年『モンスターハンター』シリーズが登場するなどオンラインの冒険世界にゲームキャラクターであるアバターを通じて参加するというのは何も特別真新しいことではないと感じる人もいるでしょう。
また近年であればVRゴーグルこそ装着しなくてもアップルのAppStoreなどから排除されるに至った課金手数料問題を投げかけ、状況を一転させたバトルロワイアルゲーム『Fortnite』、
ゲームをするためでなく、ゲーム内のライブなどに参加するためにFortniteに参加するユーザーも大勢いるという使われ方は、参加した事のない人からするとなにそれ状態の話かもしれません。
近年は外出自粛などでリモートワークが普及したようにアーティストによる無観客コンサートなども試みられました。
2020年6月にはサザンオールスターズが大規模な無観客ライブで3600円のチケットを18万人が購入し、推定視聴者数は50万人。
メタバースを利用したコンサートなどイベントはその延長にあるとも言えます。
また近いものにはニンテンドーの『あつまれどうぶつの森』(通称あつ森)などのように仮想空間に作った仮装のキャラクターであるアバターに扮してその世界で過ごす(コミュニケートする)というものがあります。
あつ森は最初からスローライフを送ることを標榜しており、実に様々な人たちが参加しています。
また日本ではかなり初期の頃からビデオゲームにおいてゲームキャラクターに自己投影するというのはかなり当たり前に近いレベルで普及していました。
ドラクエとかのキャラクターに、自分の名前や好きな人の名前を付けたりはそのハシリ(夢小説クラスターなども派生して誕生)
更に言えばゲームに限らず漫画やアニメの同人誌などの2次創作や仮装(今日のコスプレ)という文化的醸成も行われてきた側面もあります。
近年に至ってはVtuberのようなリアルなCGよりもアニメ寄りなマイルドなキャラクターのアバターの方が好まれやすい傾向にあると言えるかもしれません。
日本ではオタクと呼ばれる人たちの文化が徐々に広く認知され、大衆化していって大きな市場規模になった過程を考えると、海外でのその熱量は日本と隣接しながらもやや別な方向で進化していったとも言えるではないでしょうか。
AR/VRの市場規模は後述するゲーム市場と共に拡大傾向にあります。
ゲーム市場全体はスマートフォンのゲームアプリなどが普及したことで市場規模は拡大傾向にありますが、月額課金をするゲームはあまり普及せずガチャなどのスポット課金型が主流となっています。(射幸性を煽るとして問題も指摘されているが)
ゲームは日本国内だけで約2兆円規模、ゲーム人口は5,200万人超え。
世界のゲーム市場全体ではその10倍の20兆円規模。感染予防のための巣ごもりも追い風となり前年比20%増の成長を遂げています。
また最新スマートフォンを携帯型ゲーム機として買う人たちも一定数いて画面のリフレッシュレートが高いものを好むなどこだわる方々も少なくありません。
ちなみに国内で2020年人気のゲームのTOP10はこちら。
メタバースは普及するのかしないのか
現時点でMetaが描くメタバースという広大な未来予想図がビジネスとして成功するかどうかは誰にもわかりません。
現にSLを日本では失敗した仮想世界の話と捉える節もあるほどです。
しかし誰にも分からないからこそ、資金力と開発力のある世界屈指のGAFAMが挑戦することのできる領域とも言えます。
一部で指摘されているように今回Metaが発表したものが既にSLやゲーム業界が1990年代から積み重ねてきた事に今から後追いで取り組むという段階に留まるものであるならば、現在のGAFAMと呼ばれた時価総額1兆ドル企業から真っ先に脱落するアクセルを踏み込んだ事になりかねません。
何故なら目指そうとしていることの実現には途方もないハードルが待ち構えているからです。
まず物理的な負担です。シリーズで最も軽いOculus Quest2は質量503g、500mlのペットボトルが眼鏡の重さと考えると首肩への負担なども危惧されます。
またスマートフォンは日常において、様々に使える汎用性があるからこそ世界中に広く普及しましたが、「メタバースで何が出来るのか」が現状は殆どの人に伝わっていないという大きすぎる課題が待ち構えていると言えます。
わざわざ会議をするためにスマートフォンやPCではなく、ヘッドマウントディスプレイを装着してアバターで会議をするだろうか?
プレゼンター以外の人の話す雑談やコミュニケーションが自然と流れてくることを余計と考えるのか必要なことと捉えるのか。
それZoomやWebEx、Teams、LINEビデオ通話ではいけないのでしょうか?
確かに臨場感や生の人間同士だからできる高度なコミュニケーションがそぎ落とされている現状のビデオ会議には多くの課題もあります。
しかしこれがその解決策でしょうか?私は少し違うような気がしています。
まだ何が出来るか分からないのに、プラットフォームへの参加手段としてVRゴーグルというハード本体を買ってもらうというハードルがまず存在します。
これはゲームをしたい人がニンテンドーSwitchやPlaystation5のような買うよりも、スマートフォンという汎用性が高く日常的に使うものとしてのiOS/androidという2プラットフォームしかないハードを買い替えるよりも更にハードルが高いと考えられます。(Oculus Quest2は税込で約34,000円)
ゲームで言えばまだどんなソフトがリリースされるのかも発表されていないのにすごいすごいと宣伝だけして、ゲーム機本体を買ってくれという段階です。
ゲーム機も時間の経過とともに世代(PS→PS2→PS3→PS4→PS5)が進むにつれ進化して結局最初に買った機体では真骨頂のコンテンツが登場した時にゲーム機本体の買い替えを迫られる*みたいなものです。
*PS4とPSVR買ったけど、このコンテンツ楽しむにはPS5とPSVR2買ってくれと言われるみたいな話です。
つまり多くの人にとって今の情報だけで手を出すのは時期尚早と考えるのは仕方のないことです。
一方で家庭にホームコンピュータが普及し始めた1970年代のコンピュータと市場の反応を振り返れば「それって何ができるのか」という同じように懐疑的な向きが一般の消費者には数多くありました。
しかしそれがアメリカでは多くの人の不満の種だった確定申告が簡単にできるようになるという利便性の向上やビデオゲームができるという趣味性や仕事での作業効率の向上、汎用性という経済的合理性を人が理解し始めると、今度はその成長の可能性へと注目が集まり爆発的な発展と普及を見せました。
アップルの共同創業者の一人であったスティーブ・ジョブズは1985年、アップル社を追放される年のインタビューでこう予言していました。
まだインターネットもWWWもHTTPもHTMLさえ登場する以前の時代です。
今になって振り返るとまるでコンピュータは、どこかに書かれている未来予想図に従って普及と進歩を進めているように思えるほどです。
また家庭におけるビデオデッキが登場したばかりの頃も映画は映画館で観るものという価値観は根強く、「ビデオデッキ?あんなものは要らない。映画は大きな画面と音響で愉しむものだ」という声がありましたが、アダルトビデオなどのコンテンツ需要など一人で家庭でこっそり見たい…という下心や録画した番組をタイミング自分の好きたで観られる実用性、好きな作品を何度でも好きなだけ観れるという趣味性が後押しをした結果として多くの家庭にそれらは普及していきました。
ちなみにザッカーバーグCEO自身はメタバースを大変気に入っているようで、いわゆる仮想空間における会議室horizon Workroomsなどでのミーティング映像や、
フェイシングを楽しむなどのイメージ映像がありましたが、どうやら実生活と同じレベルで使える仮想空間プラットフォームを大真面目に実現しようとしているようです。
まぁザッカーバーグCEOはハーバード大学中退の超優秀な方ですが、見た目からしてどう見てもアメリカ版のオタクですよね( *´艸`)セレブオタク
オタク(またはマニア)ってのはどうしても隠し切れない何か雰囲気を醸し出していますよね。(オタクの自分が言うのもなんですがw)
Facebookがメタバースに挑む理由、挑まざるを得ない理由
実はFacebookがこうした事業の多角化や脱皮を目指す動きは何も不思議なことではありません。
FacebookはGAFAMの中でもコミュニケーションという独自の立ち位置にいるという課題があります。
何しろSNSのFacebookにしろ、2012年に同社が買収したinstagramにしろ広告収入が事業のメインです。98.1%って普通に考えて依存度がやばいレベルですよね。
しかもFacebook/instagramの広告収入はその時だけのスポットで、継続的に入ってきません。
Facebook/instagramの利用者の動向次第で毎期増減します。
そしてこうしたことが利益相反の温床でありユーザーの安全性(過度なダイエットなどを助長し、インスタ映え・リア充アピールに対して精神を病んだり友人とのコミュニケーションの失敗や自傷や自殺をしたりの引き金になっていること)の配慮に対する努力義務不足という訴訟(批判)や内部告発、トランプ大統領などの政治関連やワクチンなどへの投稿削除などの不審感や批判は記憶に新しい所です。
それって自己責任だよね?リテラシー低すぎない?とならないのが良くも悪くもアメリカの訴訟社会…。
そして時価総額では1兆ドルクラブ(100兆円規模)であるGAFAMの最下位…Facebookは158%になって次点のAlphabet(Google)にやっと追い付くレベルです。
尚、2021年10月には自動運転電気自動車のTESLAが株価急騰で初の時価総額1兆㌦超えに到達。これによってこの1兆ドルクラブ「GAFAM」は「GAFAMT」と株式市場で呼ばれるようになりました。
AlpabetにはGoogle検索に紐づく広告があり、検索の上位部分にはズラリと広告料を支払ったサイトが優先表示されます。
これだけだとFacebook/instagramに毛の生えた程度の収入しか入りませんが、G Workspace(GoogleDriveとかGmail、スプレットシートなど)にも有料サービスがあり個人事業主や企業では結構契約している所も少なくありません。
またYoutubeなど動画視聴による安定した広告収入やYouTubePremiumやYouTubeMusicなどの有料サービスがありますが、Facebookの広告って皆さん偶にフィードや画面の端などで見かける程度ですよね?
お金払ってSNS使おうという人は殆どいないのではないでしょうか。
そしてAppleやMicrosoft、Amazonは言うに及ばず多角的な収益ポートフォリオを構成しています。(Amazonは小売の通販事業が利益率低いのは仕方ない)
更に10代20代などの若い世代になるほどinstagramを好み、30代40代となってくると学生時代の友人や社会人になってからの仕事仲間たちとのゆるいつながりにFacebookを利用して時々関わる。
まだ交友関係の深くも広くもつながっていない若い世代がFacebookを使う必然性はほとんどないのです。
そして彼らは年齢を重ねていくとinstagramからFacebookのように使うSNSが変わっていきます。
また時代が進むとコミュニケーションは変化します。
これはGAFAMの中でもありますが、最も頻繁に影響を受けるのは同社になります。
同社のSNSをFacebookでもinstagramでも使ってくれるアクティブなユーザーが将来に向かって確保できなければ同社はやがて立ち行かなくなってしまいます。
GAFAMのうち、インターネット通販を手掛けるAmazonはもはや通販会社(一般消費財、小売業)としての利益よりAmazonWebService(AWS)と呼ばれるクラウドサーバーによるサービス業収益が大半を占めており創業者ジェフ・ベゾス氏は既に同社経営から退任し、宇宙ロケットなどの開発するBlueOriginに軸足を移して次の市場開拓に乗り出しています。
Appleは噂されているAppleCarやAppleGlass、そして今やもう一つのマーケットとなったウェラブルデバイスによるヘルスケアへの進出を目指しています。
Microsoftも従来のOS/OFFICEソフトウェア開発会社からAmazonのAWSに競合するAzureというクラウドサーバー事業が絶好調。またこれまでメーカーに作ってもらっていたパソコンを自社ブランドSurfaceシリーズで展開。
AzureとOSを組み合わせたクラウドで操作できるOSのWindows365の試験運用も開始しています。インターネットに接続できる環境であればブラウザからクラウド上のWindowsやCPU、アプリケーションを動かして操作ができるという次のテレワーク時代を見据えた展開が期待されています。
またGoogleは前述の内容に加え、ビックデータを活用したスマートシティ開発(2020年2~3月の株式市場暴落を機にトロントで一度コケたが)に取り組むなどその影響力と資本力を次の市場開拓を積極的に拡大・研究・模索しています。
Facebookが事業多角化に向けて目指した仮想通貨リブラの道が通貨発行権を持つ主要国の中央政府によって閉ざされてしまったという事情もありますが、祖業であるコミュニケーションという軸足に置きながらも成功すればとてつもなく巨大な潜在的利用者の見込まれるであろう仮想世界、現在は客観的に観るとゲーム業界の独壇場となっている世界との融合と跳躍へと大きく舵を切ろうとしたことは何も特別、驚く事ではないでしょう。
こうやって事業・サービスを分布させてみると、収益だけでなく同社だけが事業の領域をなかなか拡大を出来ず、同じようなビジネスを中心にしていることが分かります。
そして弱かったメッセンジャー機能の強化を目指してWhatsappを買収したと同じ2014年にヘッドマウントディスプレイであるoculus買収という異なる事業領域への布石を打ち、仮想通貨リブラを計画するも頓挫と今回発表のMetaによる社名変更とメタバースという新しい地平は地続きの事業計画(リブラのリバイナルプラン)で、仮想世界の開拓(今年だけで研究開発費1兆円)に乗り出したというのが大まかな流れと言えるでしょうか。
恐らく過去の買収や騒動、そして今回の発表を振り返るとメタバース企業を目指すという一つの目標の通過点としてリブラもOculusも全てあったように思えてきませんか?(巧く行っているか、それぞれの連携性などの問題は別として)
メタバースへのネガティブ要因と条件付きポジティブ要因
実現可能性は現時点ではAbemaPrimeではVRはヘッドマウントディスプレイを付けると飯も食えない、酒も飲めない、水も飲めない中で仕事できるのだろうか?かなり制限が多いと指摘したジャーナリストの佐々木俊尚氏。
ファシリテーターの平石直之氏は現状のスマートフォンなどが小さいスクリーンに眼と手を使っている間に奪われる制約というのは過渡期でこれは完成形ではないけれど、デバイス(端末)が追い付いていないからリアルとも共存できているとコメント。
また脳科学研究者の茂木健一郎も視覚・聴覚だけという現在のVRでは限界があり、嗅覚や触覚などが感じられる迄ならないと本当の没入感は得られない。
この制約がなくなり、映画『マトリックス』のような世界になると話はまるで変わってくると解説していました。
かつてNTTドコモでi-mode開発を手掛けた夏野剛氏は「折角、年一兆円規模の研究開発費を使うなら脳神経科学の世界と電脳通信の世界ですよ。(中略)そっちに研究開発費1兆円出したらめっちゃヒーローになっていたのに…科学技術が一気にいきますよ?」と指摘。
これに対して脳神経科学の茂木氏は番組冒頭から繰り返すように、念を押すようにマトリックスのような世界になれば別とし、障害のある人たちにとってニューラリンク(脳神経を電子接続する)が実現すれば福音となることに同意。
また平石直之氏は「GAFAMだから、お金を持っている企業だからできる投資をして欲しい」とコメント。
現状のプレゼンテーションだけではわからない部分も多いため、開発する方向性を間違えなければビジネスを含めた世界を激変させる可能性が大いにあることを前提に、現在見えている範囲内では制約も大きくメタバースはなかなか難しいのではないか。ヘッドマウントディスプレイを装着してアバターになってわざわざ会議をするのか?という懐疑的な見方が出演者の大方の見方でした。
つまりMetaが目指している現在のヘッドマウントディスプレイによるVRでのメタバースに対してはかなり懐疑的(悲観的)であるものの、その制約さえ技術の進歩で取っ払うことが出来ると全く違った、一つ上の世界(まさにMeta)に跳躍できるとまとめています。
うーん、みんなメタバースが現在のデバイスなどの制約がある中でビジネスとして成功するかどうかは微妙だと思っている。
けど、その制約をブレイクスルーする脳神経科学と電脳世界の融合(マトリックス的な世界)が実現すればそれはとてつもない変化になると確信している。
けれど、それを今回の発表からはまだ汲み取れないと言っているように私には思えるのですが、皆さんはこの番組の動画をどう見ましたか?
番組や私がこうして考えるようなことなどとうに社内などで出た意見だとしても市場の反応や声を聴いて良さそうなものを今後の事業計画に取り入れるというところまでが今回の話題作りかもしれませんが。
【メタ発言】アニメが描く近未来2026年はMetaの目指す世界?
さてここからは更にかなりマニアックで、それこそかなりメタな話をしていきます。
AbemaPrimeで多くの出演者が同意していた脳神経科学と電脳世界の融合という方向性のメタバースの実現可能性というのはどれくらいあるのでしょうか?
このヒントになるのが小説やマンガやアニメなどいわゆるフィクションと言われる世界で描かれている近未来です。
メタバースに思い切り近いことは実は既に様々な作品に描かれています。
2021年10月現在、最新作の劇場版も公開されている川原 礫原作の『ソードアートオンライン(SAO)』にはヘルメット型で仮想世界(VR,Virtual Reality)へ意識ごとフルダイブするナーヴギアというゲーム機(作中では2022年11月)が登場します。
この作品は第一作では天才量子物理学者:茅場晶彦というこのナーヴギア開発者の仕掛けた罠によってゲーム世界「アインクラッド」からゲーム攻略以外の脱出が不可能。
ゲーム内でのキャラクターの死亡=現実の肉体が頭蓋を覆っているナーヴギアが強制的に脳を機械の高周波で電子レンジでチン状態となり死亡。
現実の世界で家族や警察、救急隊・病院などが第三者がナーヴギアを無理やり外してもチンで死というデスゲームを強要され、生き残るために剣による仮想世界で第100層のラスボス討伐を目指して物語がスタートします。(また現実と同じ顔・肉体でのプレイを強要される)
※以下、作品のネタバレを含みます。SAOを愉しみたい人は注意。
1万人のゲームプレイヤーが閉じ込められて始まったこのデスゲームは開始1か月でゲーム内死亡や強制的に家族などがナーヴギアを外したなども含めて2,000名の死者を出し、ゲーム攻略されるまでの約2年間で4千人近い犠牲を出す悲劇的なことに。
第二作以降(作中では2024年~)はこの危険なナーヴギアからレンチン機能を取り除いた安全な後継ゲーム機アミュスフィアが登場。
技術の進歩によって脳全体を覆ったスキャンしなくても良いゴーグル型に進化。
作中内のゲーム「アルヴヘイムオンライン」では人間に本来ないはずの羽を微振動させて空を飛ぶということも。様々な妖精種族が登場してファンタジーな世界で、色々(?)な意味で夢しかない…。
同作劇場版(作中の時間軸では2026年)では更に現実と仮想世界を融合させたオーグマ(AR,Augmented Reality)という耳掛けの機器が登場し、現実の建物や風景の中での戦闘が展開されます。
この作品の主人公キリト(桐ヶ谷 和人)はコンピュータ開発の道を歩み、病気でゲーム世界以外で自由に歩くこともできない人やゲームの中でしか存在できない魂を持ったキャラクターたちに現実の世界を見せるなどの成長をしていきます。
ここまでであればこの作品はよくある近未来を描いたSF作品ということになりますが、実はこの作品にはファンならよく知っている仕掛けがあります。
川原礫のデビュー作はこのSAOではなく、新人賞で応募した『アクセル・ワールド』の方でした。
アクセル・ワールドは作中で2046年の少し遠い未来という設定で物語は始まります。
この時代には現代の我々がスマートフォンを日常的に使っているように、ニューロリンカーと呼ばれる首の部分にウェアラブルデバイスを接続して利用します。
そして現実の世界が無線通信より有線通信の方が高速で通信が行えるように、親しい恋人同士であれば短いケーブルを端末につなぐことで高速かつ距離・密度も深くつながれるという設定です。
ニューロリンカーを通じると実際に声を出さなくても会話ができたり、イメージを共有できたりします。
またゲームなどのアプリをインストールすることでフルダイブによる仮想世界で遊んだり交流することもできます。
そしてこの仮想世界は現実の世界の時間1秒に対して1000倍に加速しているため、加速世界と呼ばれています。
アクセル・ワールドで1時間過ごすと、現実の世界では1000倍ですので0.06時間(3.6秒)が経過している事になります。浦島太郎の逆バージョンですね。
つまりアクセル・ワールドに24時間ダイブしても現実では1分26秒ほどしか経過していないことになります。(めっちゃコスパがいい)
ということで、スマホやながら視聴の倍速再生なんか目じゃないくらいこの加速世界の廃人的ゲーム中毒者が続出しているという世界です。
そしてこの『アクセル・ワールド』は『SAO』の未来の時間軸に位置する作品ではないかというのが半ばファンの間では常識となっています。(というかほぼ公式だよね?)
というのも『SAO』の第五作「アリシゼーション編」において、フラクトライト(魂かもしれない光の揺らぎ)を量子脳理論という科学的にキャッチして人間の脳の働きを解明してAI(人工知能)を進化させようという軍事実験が自衛隊の極秘研究として行われていました。表向きはベンチャー企業「ラース」によるものという政府の偽装工作。
フラクトライトは電子的に保存が可能で、複製(AI化)もできることが判明。
しかし複製された人工フラクトライト(AI)は自分自身が複製された存在であると知ると自己崩壊してしまうという欠陥があり、これを軍事などに転用するために新生児のフラクトライトを複製して仮想世界アンダーワールド(UW)で人工フラクトライトとして育てるシミュレーションが計画されていました。
人間による孵化器によって育てられた最初の16人の人工フラクトライトたちはUWの中で生活をして、結婚をして、子どもが生まれ、町は大きくなり、現実よりも1000倍に加速された世界で何世代にも渡って地球と同じような場所で独自の文明と進化を遂げる人工フラクトライトたち。
しかし文明が進むにつれて統治機構である公理協会によってつくられた法「禁忌目録」があり、現実の人間は法があっても破ったりするのに、人工フラクトライトは何故か法を必ず順守しており、道にはゴミひとつなく、泥棒一人いないし、殺人事件も起きない世界。
人間世界の危険な事やイケナイことや他人がやらない事に踏み込んでしまうなどの曖昧で複雑な事を再現して取り入れることが出来なければ人工フラクトライトというAIのシミュレーションは完成しません。
複雑な現実世界にそれを持ち込んだ時に、彼らは思考停止してしまうことばかりに直面するためです。
そこで現実世界のフラクトライトを持つ生きた人間と関われば人工フラクトライトたちに変化が起きるのではないかという実験に主人公キリトは被験者として選ばれます。(キリトは自分が興味がある分野だとつい参加してしまう悪癖が…)
確かアップルウォッチも自分の鼓動を相手に送る機能ありましたよね?あれの常時版という…。スマホの履歴を覗くよりも闇が深いのでは…。
現実の記憶を引き継がず、UW世界に生まれた存在としてイチから人生を過ごしていくキリトは村で幼い日に関わった人工フラクトライトたちとのちょっとした冒険が禁忌目録に違反してしまい…。
そして続く第六作「アンダーワールド(UW)編」では人工フラクトライトを軍事利用しようとUWへの侵略を試みる残虐非道な犯罪者集団たちとUWで生きる魂の存亡を賭けた戦いに巻き込まれていきます。
そしてUWを飛び出してアンドロイドの身体に彼女たちのフラクトライトを移植、現実世界で人間とUWの人たちとの交流が始まる…
しかしキリトとヒロインのアスナは敵のUW侵略を阻止することには成功しますが、UWからの帰還には失敗。
敵の侵攻の時間を稼ぐためにUWは加速を更に行った結果、550万倍というとんでもない加速世界に閉じ込められ、現実世界で20分の時間稼ぎがUWにおいて約200年という歳月を過ごすことになります。
そして帰還したキリトとアスナは200年過ごした記憶の消去を願い出て…という話。(絶望しかない…)
加速世界とかフラクトライトとか出てきた辺りからSFなのか、オカルトなのかの境目が分からなくなってくるような話と感じるかもしれませんが(笑)
これをなんだアニメやライトノベルなどの紹介というか解説じゃないかと思わないで欲しいのです。
大切なのは小説やマンガ、アニメの作品というのは何も永遠に空想の、現実ではない世界の話ばかりではないということなのです。
例えば『海底二万哩』というディズニーランドの有名アトラクションがありますが、あれは元々はフランスの作家ジュール・ベルヌが1870年に小説に描いたSF世界が原作です。
ジュール・ベルヌは他にも『十五少年漂流記』や『月世界旅行』などを世に送り出しました。
彼の生きた時代に潜水艦が2万マイル(32,186m*)も航行できるはずもなく、フィクションなのですがその後実際に潜水艦は実用化(1936年独Uボート、常時潜水ではないタイプ)されて、1954年にアメリカで開発された原子力潜水艦ノーティラス号においては半永久的に潜水しながらの航行が可能となりました。(実際の運用は食料などの問題があるからそんなことはしないが)
*地球一周は約4万km
また『月世界旅行』は巨大な大砲に打ち上げられて、人間が月面に行こうとする物語ですがこれってつまり…宇宙ロケットの発想ですよね?
ご存知の通り1969年7月20日に人類はアポロ11号で月面着陸に成功していますが『月世界旅行』は1865年と1870年に前後編で刊行されました。
つまり人類とアポロ計画はほぼそれから100年後にこの空想を実現をさせたことになります。
ジュール・ベルヌは今日SFの父と呼ばれ、私たちにとても大切な言葉を遺しています。
アニメや漫画、小説や映画、空想の世界というのは現実の科学技術や研究に先行して文化・文明を切り拓いていく分野だと私は考えています。
何故なら想像(創造)の世界に技術的な制約や資本による制約、時間による制約などは一切存在しないからです。
人が想像できるかどうか、それだけが唯一の制約です。
だから創作の世界、想像、フィクションの世界は面白いのです。
海外でも日本のアニメや漫画は大変人気ですが、海外のオタクたちは日本のこうした突飛すぎる発想や創造の世界、新幹線・自動販売機・ウォッシュレットやマンホールの装飾や文化・技術を観て最大級の賞賛と皮肉を込めてこう言ったりします。
Facebook改めMetaが目指している世界は実はこうした近未来を舞台にしたフィクションの世界を現実の世界に手繰り寄せ、引き寄せ実現していくことの宣言でもあります。
Metaは、Apple/Googleが既存の携帯電話やデジタルカメラなどの市場を取り込んで広く大きく成長したように、拡大し続けるゲーム業界がSLから18年ほど先行する仮想世界メタバースを取り込んで発展していけるのでしょうか?
SAOなどに描かれるようなフルダイブ技術や加速世界、フラクトライトのような研究は果たして行われて、現実のものに将来いつか、100年後くらいには到達できているのでしょうか?
巧く行くかは誰にもやってみるまで分かりません。
もしうまく行ったとしたらそれって現実の宇宙旅行にも匹敵するかもしれない、とてもすごい世界が待っていると思いませんか?
こうしたことをワクワクして感じられるかが、これからの未来を生きていく人の可能性だと私は考えています。
私の尊敬している偉人の一人、『2001年宇宙の旅』シリーズなどの原作を手掛けた英国のSF作家のアーサー・C・クラーク(1917-2008)はこんな言葉を遺しています。
【駄文】文系か理系か進路で迷っている人へのメッセージ
もし高校生などで進路で迷っている人がいればという点で伝えておきたい事があります。
私は一応文学部卒で日本的に言うなら文系の端くれです。不真面目ですが。
よく学生時代や就職活動の時に周囲から言われました。
何を持って文系の時代、理系の時代と呼ぶのか前提条件が分かりませんが私は高校生の文理選択をする時に、数学や化学・生物は90点以上当たり前でしたし、元より小学校4年生の頃から電子工作キットなどを作ったり、参考書を観ながら銅板にマジックで回路を描きエッチング液に浸けて電子回路を自作したりしていました。
夏休みや冬休みの自由研究はもっぱらそういう作品のお披露目の場でした。
元々の素養で言えば恐らくは日本的な表現をするなら理系寄りではないかと思っています。
しかし高校生だった私はこう考えました。
ということで、どちらかと言えばやや得意とは言えない現国・古文80点台などの方を選びました。(別に苦手ではない、本当に苦手なのは音楽だw)
本格的に理系の授業となる物理や数Ⅲ/Cを学んだわけではありませんが、理系だから文系だからという考え方は古すぎると当時から思っていました。
就職に有利とか、収入を得るためのご飯を食べていくための仕事という意味では理系も悪くないと思います。
しかし理系の創造力って根っからのがちがちの理系の人*からはあまり生まれてこないんですよね。*いわゆる専門家やマニア
むしろ理系だけどちょっと変な人、変わっている人、外れている人の方が着眼点が面白くて思いがけない研究や発表をしてきたりすることもあります。
ゼロイチの発想とまでは言えるか分かりませんが、物事を観る時にド正面から理系の視点・文系の視点や論点から観るだけでなく、ちょっと斜めや反対側や下や上など他の人とはちょっとだけ違う角度から観ると思いがけない発見ができるものです。
私はそうやっていつも裏技を見つけて一人しめしめとやって生きてきました。私の有料相談や有料記事はそうしたことのごく一部ですね。
日本的には今回、特に後半で触れた漫画やアニメ・小説・映画・絵画・音楽などの文化や文明におけるジャンルのことを一括りに「文系」と呼び、科学技術や研究などを「理系」と呼んでいますが欧米ではこれはまるっきり検討はずれの分類です。
数学や物理が得意だから理系、これらが苦手だから文系じゃないんですよ。
神様が作り出したものは全てScience、人が作り出したものは全てArtなのです。
これを勘違いして自分の進路など選べるはずがありません。もしこれからの時代に海外への進学を考えているならば当然知っているべきことです。
そしてこれを横断的に1~2年次にかけて学び、自分がどんな分野を研究や深めていくかを学ぶのが「リベラルアーツ」です。
日本ではなんちゃってリベラルアーツが大流行していますが、自分は何を研究するのか探求を深めるのかにまさか大学4年間かけるつもりですか?それならそれも良いでしょう。
先程私は記事の本編の中でスティーブ・ジョブズがコンピュータはまるで何か筋書きでもあるような進歩発展の仕方をしていて、彼らはそれを知っていたかのように製品やサービスを世に絶妙なタイミングと演出で送り出したと書きましたが、まさにそこなのです。
日本的な感覚で表現するならば、文系と理系はどちらか一方だけの関係ではなく鏡合わせの存在で、空と海の関係なのです。
どちらが先ではなく、お互いに反射しあいながら模倣や影響を与えながら成長していくもの。
この事にどれだけの人が、本当の意味で気づけているでしょうか。
皆さんの未来を考えるご参考になれば幸いです。
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