意志のある所には道がある
1 国防について
平和を忘れた戦争・戦争を忘れた平和・・・両者は、極めて忌々しいものであり、また、国家の滅亡と人民の惨死の遠因の一つでしょう。ところで、「平和を忘れた戦争」は甚だ分かり易いものですが、「戦争を忘れた平和」は甚だ分かり辛いものです。
既に、日本の平和ボケは、国政から民生に至るまで、明らかになっており、後は、遅いながらも、今すぐにでも自覚して反省し、国防について真剣に考えていくべきではないでしょうか?あくまでも、意図的に無視や無自覚を貫き続けるのであれば、その果てには、国家の衰退や民生の没落はおろか、国家の滅亡や民生の破滅が待っていることでしょう。
以下は、ゲーム動画ですが、戦争を確りと描いたものです。
-2022年ロシアのウクライナ侵攻-(シミュレーション)
いつまでも平和に浸り続けては、戦争を忘れ続けて、他人任せや能天気であり続ければ、必ずや、自分の祖国・故郷・大切な人々は、戦禍に巻き込まれる上に、惨死・敗北・隷属等という最悪の結末に陥るのです。
-ナチス=ドイツによるイギリス侵略-(シミュレーション)
-日本への進攻-(シミュレーション)
日本に、以下のようなこと(侵略戦争)が現実になる可能性はあるのでしょうか?もちろん、未来において、常に在り続けることでしょう。
潜在し続ける可能性を、不断の奮励努力を以て0へと低下させ続けると同時に、「もしも」ではなく「もし」その可能性が現実化してしまった時に、我々はどうするべきでしょうか?抗戦か?降伏か?不明か?
「言うは易く行うは難し」であり、そしていざと言う時にしか、本当の事は分かりません。が、日本は自分の第二の祖国であり、いざと言う時には、どんな方法・立場・人間としてかは分かりませんが、国の為に戦えられる在日ベトナム人となれることを、常日頃から熱望しております。あの兵士として戦った先人の哲学者達のように・・・
2 新たな文徳と武徳の完成を志して
思うに、我が祖国ベトナムでは、文武両道があり、自分はそのことを幸甚の至りと大いなる誇りを懐いております。(もちろん、言うまでも無く、過失や罪過等もまた、多々あり、恥は甚だ多いです・・・)
つまり、我が祖国ベトナムでは、「ホー・チ・ミン主席」という文徳のある文人と、「ヴォー・グエン・ザップ大将軍」という武徳のある武人、二人の国家・民族の歴史的な英雄・偉人がいたということです。(再度、もちろん、言うまでも無く、過失や罪過等もまた、多々あり、恥は甚だ多いです・・・)
御二人がこの世を永遠に去ってから、長い年月が経ちました。そして、「自分達四人」(夢の中で生じた経験と記憶の持主達)が死んでからも、既に長い年月が経ちました。
『自分』と「自分達」は、その数か月後には、夢幻の自伝と現実の自伝の著述に入ります。そしてそれらの完成後に、拙作『学思録』を経て、「ホー・チ・ミン主席」や「ヴォー・グエン・ザップ大将軍」等をはじめ、祖国ベトナムをはじめ、世界中の数多の先哲達の遺した文徳・武徳を学び究めて、未来の祖国ベトナムをはじめ、第二の祖国日本、そして世界中の諸国・諸民族の為になる、新たな文徳と武徳を完成させることを志しております。
文徳は、前回紹介させて頂きました『ホー・チ・ミン思想』です。
3 拙作『薫陶兵法 平和的な戦争と平和への道』
さて、武徳の方は、拙作『ホー・チ・ミン思想』に続く拙作『薫陶兵法 平和的な戦争と平和への道』です。
3.1 表紙
3.2 目次
3.3 薫陶の意味
3.4 拙作の参考文献
3.4.1 ヴォー・グエン・ザップ大将軍とベトナムの軍事
3.4.2 孫子と武経七書
3.4.3 戦争論
3.4.4 平和と戦争
3.4.5 武器と兵器
3.4.6 核兵器
3.4.7 戦略論大系
3.4.8 ストレス
3.4.9 その他の参考文献
4 結語
明日より、拙作の戦争小説『根性 戦争から平和への道』の著述を再開し、明後日から、哲学サイトの更新を再開いたします。
ありがとうございます。心より感謝を申し上げます。