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キャンセルカルチャー~表現の自由と言論の自由

はじめに

いわゆる「フェミニスト」が野党サイド側から声高に叫ぶ表現規制、二次元コンテンツへの攻撃。彼女ら曰くの「キモイ」ものが1つずつ標的となり、炎上騒動に巻き込まれる状況がかれこれ数カ月続いている。「これでいったい誰が得をする?」と考えたときに、分断と対立の溝を深め、権力・与党サイドを利するものになってはいないかと危惧している。

過去の投稿より~先の衆院選を精神医療の理論から考えた野党惨敗

自己責任バッシング、不謹慎狩り、自粛警察など、ムラ的監視が馴染みやすいお国柄であることからも、この流れは表現に過度な萎縮をもたらしかねない。自分と意を異にするものは存在まるごと否定、「右」「左」関係なくこんな空気がいまの日本には蔓延っていると感じ、暗澹たる気持ちになる。

改憲に必要なのは各議員の総議員2/3以上の賛成(憲法96条1項)。参院選を来年に控え野党支持層、無党派層を分断させている余裕はないはず。本当に物申せぬ世の中になってからでは遅い。大きなものを失った後にその有り難さに気付くようではマズイ。切実にそう感じる。

関連して最近の気になる海外ニュースを備忘録を兼ねて並べてみた。

※個人の意見です。

キャンセルカルチャー

偶然ある朝、CNNをつけていたらキャンセルカルチャーの是非について論考するコーナーがあった。「キャンセルカルチャーを政治利用しているのは、共和党か?民主党か?」というような問いかけもありつつ、その暴走を諫めるような論調であった。

キャンセルカルチャーとは

東京五輪2020開会式、演出家降板ドタバタ騒動もこれに分類されるのか。これまでも、薬物問題で逮捕されたアーティストの作品ごと葬られたり、一時的に店頭から撤去されることもしばしばあった。

カタカナ語の概念は海外の本家本元と何かしら形を変えて日本国内に輸入されることが多いので、そこにも注意しながら。以下リンク参照。

さきほどの問いについて。ここではリベラルといわれる民主党に多いと。

NYクオモ州知事辞任

少なくともクオモはトランプ前大統領の分断・対立を煽るやり方に真っ向立ち向かったうちの1人だと思っている。定例ブリーフィング最中に書き込まれるコメントを見ていても「クオモを次期大統領に!」との呼び声も高かった。私もクオモの言葉に一縷の希望を感じていた。

過去の投稿より~NYクオモ元州知事のメッセージ(書き起こし/ 和訳)

NYクオモ知事辞任挨拶

ニューヨーク・ポストといういわばタブロイド紙がつけた言い掛かりはトランプ前大統領率いる共和党政権が仕掛けた罠であり、じきに収束すると当初は思っていた(介護施設・病院での死者数の統計)。それが、あれよ、あれよと言う間に燃え広がり、大手主流メディアまでクオモを死者数隠蔽疑惑で糾弾し始め、それはいつしかセクハラ問題になっていた。ナンシー・ペロシ下院議長、最終的にはバイデン大統領から引導を渡される形でクオモは辞任に追い込まれた。バイデン大統領が米国内情勢に何かしらの焦りを見せ始めた頃、metooムーブメントが唐突に「仕掛けられた」かのような後味の悪さを私は感じた。クオモも人の子、叩けばホコリはでるかもしれないが、権力闘争から引きずり降ろされた感は否めない。州知事として最後のツイート、この言葉が印象的だった。

You know, I'm a fighter.

ハリス副大統領訪仏

党内ライバルを打ち負かす手法としてキャンセルカルチャーが機能したケースなのか?アフガン撤退報道のときもそうだったが、アメリカのジャーナリズムにも時と場合によっては空恐ろしいものを感じることがある。

そして弟クリス・クオモも表舞台から去った。

米国議会襲撃事件のその後

こちらはアメリカのジャーナリズムが徹底して追及したからこそ、途方もない事件が法廷へと場所をうつし始めている。トランプ支持者のアイコン的存在、QAnon・シャーマンには41ヶ月の懲役刑。

この報道でシャーマンが議事堂内で叫んでいた言葉が気になった。人は誰しも不安で孤独を抱えている。満ち足りていない心の隙間に「我こそは正義である」と言いながら近寄るものがあればそれに縋ってしまうのもまた人間なのではないだろうか。犠牲者がでていることなので生半可な同情はできないが、法廷で裁判官に減刑を懇願したと伝えられるシャーマンも、そう考えると哀れに思える。絶対的な正義、正解など「わからない」と腹を括ることも今の時代を生きるうえで必要なのではないのかと考えた。

上記ツイートは聖書にある「人を裁くな」という一節にヒントを得ている。

【追記】アメリカ大統領選挙において共和党側に巨額の政治的献金を支出したTOYOTAもアメリカ民主主義を害するものとして激しい反発を受けた。TOYOTA不買運動 ハッシュタグ boycottTOYOTA もまたキャンセルカルチャーと言えよう。

香港民主化運動活動家逮捕

先日も香港では民主化運動の活動家たちが6年の懲役に処されたのだが、そのことに触れているツイートをあまり目にしなかった気がする。これが周庭だったら日本の報道はもっと大騒ぎなのに。

過去の投稿より~香港をどう伝えるか、国内外の比較

中国テニス選手行方不明

そして有名テニスプレイヤーが消息を絶った。中国版SNSウェイボーに投稿された告発投稿は30分で当局検閲により消去され、ポン・シュアイ選手は依然として消息不明。大坂なおみ選手他有名テニスプレイヤーも声をあげた。権力側の”伝統的な価値観”(※)にそぐわないものは検閲によって消されるということは珍しいことではないと、台湾からウィル・リプリー氏が伝える。
※動画:ダブルクォーテーション=いわゆるの意のジェスチャー

私たちが住む国でもこうして権力に異を唱えただけで、逮捕される日は遠くはなかろう。ほぼほぼそれに近いことは起きているのだから(北海道HBCテレビドキュメンタリー『ヤジと民主主義小さな自由が排除された先に』)

【追記】日本の大手新聞の伝え方にまたしても違和感。
ポン・シュアイ選手の件を①性的暴行sexual assault ではなく不倫問題に矮小化し、②大坂なおみ選手がいち早く声をあげたことが世界で報じられいることにも触れず、③中国当局による検閲 censorship であることに言及していない。

くまくまさんのツイート

海外情報を羅針盤にしながら、この国に起きていることを考えることがいつしか私も習慣となった。もはや日本のテレビ、新聞報道も信じられないだけでなく、しんどいので距離を置いている。もちろん私が少しは理解できる英語圏の情報も何かしらの政治的バイアスがかかっているものとして。

くまくまさんのツイートに対して私はこうリプライした。

ですよね。

おわりに

キャンセルカルチャーという現象を明快に説明する力量は私にはないけれど、1つだけ思うことがある。

世の中で「正義」「正当」と言われ、耳心地の良いものはまず疑ってみる。それは同時に自分の考えを自己点検する機会を与えてくれると思う。混沌とした時代にあって、自分が一歩ひいて「是」として生きてきたものを疑うことは簡単なようで難しい。しかし、その思考こそが相手のことを思いやる気持ちを保つ策であり、まわりめぐって己にかえってくるような気がしている。

相手を崖っぷちに追い込もうとして、自分が崖から落ちたことはなかっただろうか。「自分に杭打て」と若い頃に諭されたことのある自身の「白黒思考」のクセを反省する時間となった。

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