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野党惨敗~庶民感覚が置きざりにされた衆院選

野党共闘政策の欠陥

日本人はとかく忘れやすい人種であるとは常々感じてはいたが、それは野党政治家やそれを担ごうとするメディア側も同じであった。政権与党にあれだけのコロナ大失策、東京五輪強行経済政策の失敗、格差拡大等攻めるところはあっただろうに、何故かジェンダー平等をメインイッシュ―の中心に据えてきた。

反出生主義「生まれてこない方が良かったのか」森岡正博氏著(筑摩書房)がじわり、じわりと流行っているような時代には何を置いてもまず「生きよう!」というメッセージが必要だったはず。私も著書の中で紹介されている一節に頷いた。要約すると、ショーペンハウアーは積極的な自殺を推奨してはいないが、「いまから餓死によって生を終えよう」とする意志を否定していない。諦めにも似た気持ち。希望は見えない。

そこへ野党から「生きよう!」そんな熱は伝わってこなかった。

女性こそが新たな時代を切り開けるのだとばかりに、ちょっとしたメディアジャックに近い現象も起きた。それを牽引したいわゆる上級国民のカテゴリーに属する野党政治家、リベラルを自称するメディアに告ぐ。

「ジェンダー平等で飯が食えるか?」「コロナで死んだ人は無駄死にか?」「今日明日の食うに困る人たちの生活を考えたか?」

もちろんそういった政策があってもいいかもしれない。同一賃金同一労働の反動で、有能な女性が単純作業に降格されたりする現場をみてきた者としては男女賃金格差是正には賛同できる。私の許容範囲はここまで。

単身氷河期世代選択的夫婦別姓は申し訳ないがどうでもいい。ましてやⅤチューバーの表現は女性を性的に搾取しているだとか、自民党が90年代にやっていた有害コミック規制の焼き直しでしかない。自民党が十八番としてやっていたことを、リベラルを自称する野党が「我こそは正義である」と言わんが如く表現規制に着手するならば、有権者は投票する選択肢を失う。護憲派を自称して表現の自由を誰かの主観で制限することをヨシとするのか。

有権者をバカにするな」と声を大にして叫びたい。

年代別「特に重視した政策」

ジェンダー平等政策が若者に受けるとみて勝手に自滅した野党。この調査をみてもいかに庶民感覚と乖離しているかがわかる。

現代日本人にみる「神経症」

社会学者 宮台真司先生/ジャーナリスト 青木理氏が対談するラジオ番組を聴いていても頻繁に登場するワード「神経症」。宮台先生は現代日本人は「神経症」の症状を呈していると指摘されていることを思い出した。

教育の自治が成立しない日本では「扱いやすい人間をつくる教育」により、利己的な経済界の「兵隊」を製造してきた。「ケツを舐める人間」が上にいく社会において「法の奴隷」「忖度マシーン」となり、「自分さえよければ何でもよい人たちの増殖」が起こる。何にでも豹変できる空っぽな「没人格」の国民は政治権力の暴走を許し、資本主義の末期状態へと加速する。不安が民主主義をブーストしていく。不安の埋め合わせのために反復行動にでる。「日本スゴイ」薄っぺらなナショナリズムはネトウヨの「不安」すなわち「神経症」である。中間層、没落偽インテリが劣等感に耐えられず全体主義、ファシズムへむかう。それでも法の奴隷になるまいと、法の外でラウドマイノリティーがシンクロする。「男は敵だ!」と叫ぶことで心を保つインチキフェミニスト(ラディカルフェミニスト)もその一種。損得を超えた正義が実現しにくい社会構造、どうせ社会が破綻してゼロからやり直すならば早い方がいい。「加速主義」堕ちるところまで堕ちろ。       (2020年春3月3日放送回含む2回分の要約)

フロイトが語った「神経症」という言葉は、エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』の中にもみられる。ドイツがなぜナチスに傾倒していったのかについて書かれた作品。現代日本社会もその相似形のような現象が起きている。

いわゆる保守層が『表現の不自由展』を攻撃するのも、ラディカルフェミニストが Vtuber の表現を封殺するのも、精神医学の理論を用いればいわゆる「右」「左/リベラル」の主張に感じる違和感は説明がつく。

「神経症」への処方箋

未曽有の経済不安と経済格差、コロナ大失策がもたらした医療崩壊および生命の危機。不安がこの日本社会の根底にあることを大前提のはず。私は人間の深層心理、行動原理を詳細に分析した精神医療福祉の現場で用いられる理論がありきたりの政治学や行政学よりよほど機能すると考えた。野党がそれを軽んじたことも敗因だと思う。

※参考文献


処方箋1~ラベリング理論

【ラベリング理論】E・M・レマート:一旦逸脱者という烙印付け(レッテル貼り)がなされると、社会の健康的な側面との接触や、職を得る機会も減少し、逸脱行為(犯罪など)を行う確率が増大してしまう。

社会病理の見地からも一定の属性を排除しようとする動きは看過すべきではない。

私はジャーナリスト安田純平氏の講演会に何度も通い、「テロリスト」というレッテル貼りの恐ろしさを学んだ。「テロ」呼ぼうものなら、その対象は死んでも構わないとする空気に飲まれてはならないと感じた。

今回の衆院選、野党応援弁士として来ているはずのラディカルフェミニストが有権者男性をさして「キモい」を連発するのは言語道断。仮にその人たちのトラウマに根差した主義信条だとしても、選挙応援演説にきている以上、有権者からは「○○党は自分を排除するつもりだ」と脅威に感じられて当然。何かといえば「マンスプレイニング(男性からの上から目線の説教」だと批判を受け付けないラディカルフェミニストたちの傍若無人ぶりにブレーキをかけられなかった公党野党は自ら票を減らす格好となった。

処方箋2~交流分析

【交流分析】 
エリック・バーン  '50年代後半                      ①私もOK あなたもOK(自己肯定・他者肯定)           ②あなたはOK 私はOKじゃない(他者肯定・自己否定)        ③私はOK あなたはOKじゃない(自己肯定・他者否定)        ④私はOKじゃない あなたもOKじゃない(自己否定・他者否定)

最近でも、小田急線京王線で起きた刺傷事件のセンセーショナルな報道の見出しに過剰反応して「フェミサイド(女性を狙った殺人、虐殺)」と騒ぎ立て、ネットリンチを扇動するやり方は、自称フェミニストたちが女性へのSNS誹謗中傷を無くそうとする運動と矛盾している。テレビはともかく、ネット記事も過激な見出しが人々の眼を惹く。そんな時代にあって、警察から一方的に流される「容疑者の動機」に対して過剰反応して私刑に処することをヨシとしていいのだろうか。「女はいつも被害者だから」人を裁く権能を有しているのか?排除や分断はさらなる憎悪の連鎖を生む。

上記③「自己肯定・他者否定」は建設的な議論を生まないし、社会的合意形成には至らない。

処方箋3~説得の技法

【説得の技法】ロナルド・シモンズ '87
①利益あるいは報酬を強調する
②わかりやすく
③矛盾のなさを示す
④証明された結果を引用する
⑤試行錯誤を許容する
⑥影響力のある他者にメッセージを結びつける
⑦高圧的な方策(←ブーメラン効果を生む)を避ける
⑧安全、地位、尊重への脅威を最小限にする

ジェンダー平等で描かんとする野党の将来図が見えなかった。

まず、東京8区での山本太郎おろし。これも強引ではなかっただろうか。ネット記事を読む程度で詳しくは分からないが、石原伸晃に立憲民主党の女性候補が勝つ構図、その画は土壇場になって手放したくなくなったと見えた。⑤野党共闘の試みに自党優先の態度を示した立憲民主党側の印象はすこぶる悪かった。穿った見方をすれば太郎つぶし。市民連合の山口二郎氏の「第三極は沈む」消えてしまえともとれるツイート、開票速報で司会の太田光がぞんざいに太郎を扱ったことでさらに後味が悪くなった。野党の敗因を共産党にかぶせてくるであろうことも予想通りだった。

パリテ(男女の議員を50:50)」はそんなに緊急性を要する課題だったろうか。それをいつ有権者の側が求めたと言うのだろう。まずは政権交代を実現してから取り組んでも遅くはなかったのではないか。それとも政界にチャレンジする切符をもっているインテリ富裕層にとってはパリテは魅力的なのか。要は西洋などの新しい概念は正しいという合理主義的先入観に陥った政治家、知識人、メディアなどの上級国民の中で完結してしまっている課題。庶民においては自殺率の増加、「死にたくなる世の中」を具体的にどう変えてくれるかのイメージ図すら見えなかった。①有権者への実益が示されていないし、②わかりにくい。

さらに、ラディカルフェミニストたちは自身らの想定の枠から外れた女性、つまりは都合の悪い女性を「おっさん化したおばさん」「男性社会に過剰適応した女」「名誉男性」と呼ぶからさらにタチが悪い。常に押し付けられる価値観には③矛盾があるし、④成功イメージすら浮かばない。そもそも野党共闘は⑥政策アピールのアイコンとして選んだ運動母体を間違えている。そしてラディカルフェミストたちの過剰に攻撃的かつ排他的な姿勢は⑦威圧感があり、高圧的である。ネットメディアの番組(ポリタスTV:司会 津田大介氏)を覗いてはみたが、何も悪いことをしていないのに一方的に視聴者が叱られているようで見るに堪えなかった。

処方箋4~ブーメラン効果

【ブーメラン効果】
①一方的に自分の立場を最優先するような説得は反発を招き、反対者を増やすことも。
②相手の欠点や問題点を引き合いに出して徹底的に批判したり、触れてほしくない事柄を指摘すると相手の不快感が強まり逆効果。
③選択の自由が制限されると「ダメ」と言われた事柄に関心が向く。

結果このブーメランである。女性議員が増えることもなく、減った。ラディカルフェミニストの運動をボトムアップと勘違いし、有権者の求めているものとかけ離れたところで繰り広げられた空中戦。野党共闘に幻滅した票は維新が受け皿となった。

負けるべくして負けた。

野党共闘もメディアにも幻滅して怒りに打ち震えながら書いた。



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