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断片集

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日々浮かんでは消えていく、小説の断片を書き留めています。
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#短編小説

トランス

 久しぶりに友人たちと大所帯で旅行に行くことになった。行先はショッピングモールや、温泉、ちょっとしたバーベキュー場、カプセルホテルのようにコンパクトな部屋ばかりの宿泊施設なんかが詰め込まれた場所で、港近くの比較的都市部にあって、僕たちみたいな大学生が勇んで押し掛けるには程よいところだった。

 みんなで適当に遊んだ後、僕は一人、カプセルホテルのような小さな部屋で眠った。あくる朝目を覚ますと、自分が

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大樹の国

 その木は見上げても果てしなく広がる枝葉が見えるだけで、どれほどの高さがあるのか、その頂までは見る事が出来ない。枝葉は空を覆い、雲を突き抜け、明らかにこの世界の生命たちとは一線を画した存在である。幹の周りの地面は丸太ほどの根っこが波打っており、容易に近づくことはできない。日の光もほとんど届かない鬱蒼とした森のようであるが、それはただ一本の森である。昼間は鬱蒼としているが、枝葉があまりに高いため、傾

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残滓

 朝夕は涼しくなってきたが、未だ湿り気を含む生温い風には、芯の方に少しだけ夏の空気が薫っている。頭上の空は青く晴れているが、西の方では象の皮膚のような暗い雲が空をもたげており、その表面の質感から、幾層にも積み重なった分厚いものであることが想像できた。

 季節に敏感な街路樹は、少しだけ落ち葉を落とし始めて、その幾枚かの落ち葉が道路を風で舞っている。土に還れずにアスファルトの上で踊らされ、粉々になっ

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ランキング同盟

 美容院に来て、私の好きな髪型のベストスリーは、セミロングパーマ、ミディアムストレート、ボブだったっけ、と思ったところでなんだかもう嫌になった。髪の毛の中に自己嫌悪が詰まっている気がして、切れるだけ切ってもらった。長いところで三センチくらい。

 ペットボトルのお茶は日本人ならゆるりと好きな順位があるだろう。私は一位が緑茶、二位が烏龍茶、三位がほうじ茶、四位が麦茶、五位がジャスミン茶と決めている。

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怠惰欲の罠

 人間がいかに目先の欲求を優先してしまうかというのは、歯医者に行けば分かる。ぼくは定期的に歯医者に行って、検診と歯石取りをしてもらう。シーズン毎くらいのペースで行く。歯科衛生士さんは、先のとがった器具がぼくの歯と歯茎の隙間にどれくらい深く突き刺さるかを調べていく。血の出た場所を教えてくれる。そしてドリルで歯石を削っていく。どんな形のドリルでどこから水が出ているんだろうというぼくの思考は、口の内側に

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寧ろ繊細

 今にも寝ようというときに着信があった。
「もしもし」
「あ、もしもしー、久しぶりだね」
そんなに久しぶりでもない声を聴いて、なんとなく酔っ払っているなと分かった。「酔っ払ってるのか?」と聞くと、
「なんなの、酔っ払ってたっていいじゃない、そっちはニートなんだから、女の子が一人家路につくまでくらい、話し相手になってくれたってね。これはあれだよ、防犯上の義務だよ」
と彼女は分かるような分からない話を

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真実を知ることはない

真実を知ることはない

 ながら作業が好きなので、ラジオはよく聴く。私は今日もFMをかけながら、今朝までの洗い物を片付ける。洗い物をしているという正しい時間はなかなか心地良いもので、その時私の頭にあるアーティスト名が浮かんできた。特に好きなアーティストではなく、勝手に脳内を巡回しに来たことは一度もないもので、曲としてではなく、文字列として浮かんでいた。すると次の瞬間、ラジオのパーソナリティがその文字列を読み上げ、ラジオで

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クラクションを鳴らしたりはしない

クラクションを鳴らしたりはしない

 信号が青に変わっても前の車はなかなか発車しない。脇見でもしているのか気付いていないようだ。こういうときにぼくはクラクションを鳴らしたりはしない。特段急いでるわけでもないし、こちらが白い軽自動車なのに、前の車は黒く光っているシーマである。進むべき時に進まない時間というのは、ことさらに長く感じるものだが、測ってみれば五秒か十秒か、多分その程度のことだ。そう思って心の中でテンカウントを始める。

 ス

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余計な情報コレクター

余計な情報コレクター

 全く興味はなかったけれど、妻が行きたがるのでとある美術館のモネ展にぼくもついて行った。「綺麗な風景画だな」という感受性の欠片もない感想しか持ち合わせてなかったけれど、お陰で後日、立ち飲み屋で一緒になったどこぞの社長風情の、「モネは素晴らしい」という話にぼくは何とかついて行けたので、まあまあ盛り上がってお勘定をもって貰えた。それに水のある風景を見ると、ぼくはモネの絵をよく想起するようになって、それ

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はるか頭上で立派な蜘蛛の巣が

はるか頭上で立派な蜘蛛の巣が

 在所の道は狭く、車が一台やっとの幅であるが、一家に車が二三台は普通の田舎であって住人たちは慣れた手つきで細い道から車を出す。車が通るとカコンカコンと暗渠の蓋が鳴る音がする。低く垂れ下がった電線や、ブロック塀から空へ飛び出た柿の木の枝を足がかりにして、その狭い道を横断するように、はるか頭上で立派な蜘蛛の巣が張られていた。
 それは非常に形の良いもので、縦糸と横糸が等間隔にきっちり張られていることが

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エアコンの風、電気のひも

 エアコンの風で電気のひもが揺れている。普段は天井の方で結んであるのだが、ほどけているようだ。それを見ていると彼は猫になった心待ちで、そのひもで遊びたくなってきた。しかし、会社のオフィスでそんなことをし出したら、明日はゆっくり休めと言われ、堂々と有休が取れてしまうかもしれない。そのひもで遊んでいる場面を想像してみる。これは誰にも見られてはいけない場面であり、家族のいる家でひとりするときのような緊張

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綺麗すぎて後悔しそうな

綺麗すぎて後悔しそうな

 校庭に立つのは最後かもしれない。空は晴れている。3月だというのに乾いた冷たい風が強く吹いて、肌寒い。今日は休日であり部活も終わった夕暮れ時で、僕らの他に校庭には誰もいない。ぼくらは制服を着ていて、これを着るのも片手で数えるほどだろう。先日卒業式も終わった。ぼくらとはぼくと彼女の二人のことあり、彼女とは親密に語り合ったことのある間柄でもないが、ぼくは彼女に呼び出されてここに来た。しかし当の彼女は、

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朝日

朝日

いつも朝は胃が重い。朝食を変えようか。彼は、誰よりも早く起き、その限られた孤独を愛し、米を洗って土鍋を火にかける。昨晩麹に漬けた魚を焼き、味噌は濾さずにお湯に溶き、四角いフライパンに溶き卵を流す。しばらくそういう生活をしていた。彼は早朝の孤独を愛し、土鍋に炊き立つ米の生命の輝きに、眩しさを計りかねて恍惚する。胃は未だに重い。

彼女はその米を食べると「うまい」と言って、その目に輝きを灯す。彼はそれ

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葉っぱの下に鬼灯のような実

葉っぱの下に鬼灯のような実

葉っぱの下に鬼灯のような実がなっている、と思ったら見たこともない巨大な蜂であり、私は頭を刺される。おそらく新種だという。一緒にいた友人は医師で、私の大きく腫れた頭に、このままでは死んでしまうだろうと、漫画のように巨大な注射を刺す。あまりに大量の注射液が私の頭に注入され、口内にも液が溢れてくる。注射液はしょっぱかった。それで私はすっかり快復した。勿論夢の話である。

外と中はシームレスに繋がっている

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