怠惰欲の罠

 人間がいかに目先の欲求を優先してしまうかというのは、歯医者に行けば分かる。ぼくは定期的に歯医者に行って、検診と歯石取りをしてもらう。シーズン毎くらいのペースで行く。歯科衛生士さんは、先のとがった器具がぼくの歯と歯茎の隙間にどれくらい深く突き刺さるかを調べていく。血の出た場所を教えてくれる。そしてドリルで歯石を削っていく。どんな形のドリルでどこから水が出ているんだろうというぼくの思考は、口の内側に張り付いてくる吸引機に邪魔される。歯間にフロスを通していき、うがいして下さいね、と言われてぼくは血を吐き出す。

「歯間ブラシはしていますか?」

というのは行けば必ず聞かれる。

「あー、週に一回くらいですかね」

ぼくは適当な嘘をつく。

「歯間ブラシは毎日した方がいいですよ」

と、色んな歯科衛生士さんに何度言われようがぼくは習慣にしないのである。

「まあ、私もなかなか毎日は出来ないんですけどね」

一番その重要性を理解している人だってこんなことを言う。こういうものは差し迫った危機があって初めて後悔するのだけど、その時が来るまではなんとも思わないし、律儀に毎日続けていてもそれが報われる日というのはなく、どちらにせよ危機が来るか来ないかの二者択一であり、やるだけ無駄ではないかという疑心暗鬼が常につきまとう。

 ああ、これは怠惰欲の罠だ。そう思ってぼくは極細の歯間ブラシを買って帰り、歯間に巣くう悪魔たちを虐めてやることにした。しかし二日もすればその悪魔たちも退散するので、ぼくも習慣にはしないのである。

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