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兎がほざく

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ショート•エッセイ、140字以内。毎日投稿、どこまで続く?
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2024年2月の記事一覧

兎がほざく1061

兎がほざく1061

動物は賢いです。

自分の限度を超えたこともせず自分の生活をしそこなうこともないです。

食うか食われるかですが、そんなことで憂鬱でもなさそうです。

動物の生は苦しいばかりと思うのは人間のおせっかいかもしれません。

人間より下にみる根拠はあるようでないです。

兎がほざく1060

兎がほざく1060

あらかじめ誰も予測できない必然があるとすれば、それは見方を変えれば偶然です。

人間には起こってはじめてわかることが偶然です。

きっと人間にとっては例外なく偶然です。

「つらい目に会っている人は過去によくないことをしたから」とはぼくはどうしても思いたくないです。

兎がほざく1059

兎がほざく1059

文を書く道具は文にどのぐらい影響するのでしょう?

この投稿はスタイラスペンで文字盤を打って書いています。

詩もたいていそうです。

長い作品はワープロで横書きにしています。

ノートに詩を写す時は縦書きで鉛筆。

サインペンでカードに大きく書くこともあります。

兎がほざく1058

兎がほざく1058

誰でも、あのときのことは今思えば恥ずかしかったと思うことがあります。

その中には悪かったという思いとみっともなかったという思いとが混じります。

ぼくはみっともなかった方で自分を責めるのはやめにしたいです。

そちらの恥は自分がいい格好したかったというだけなのです。

兎がほざく1057

兎がほざく1057

世の定めに逆らって逆らいきれないとき。

たとえば花のはかなさをどうすることもできなくて。

良識のさとしに抗うことができなくて。

愛の移ろいを予感して。

自分からあきらめるか、矢尽き刀折れた末か。

そこに歌が生まれます。

時よ止まれ、きみは美しい。

兎がほざく1056

兎がほざく1056

文章を読むとは解読することです。

解読するというのは文章が多かれ少なかれ暗号だからです。

誰もが日常では解読は早々に打ち切ってわかったことにしています。

打ち切らずに付き合えばプリズムを通すように読み手の言葉の世界に多彩に反射します。

この投稿だってきっと。

兎がほざく1055

兎がほざく1055

誰もが希望を生き甲斐にしています。

はたから見ると馬が目の前に吊るされたニンジンを追っているようです。
近寄ってもたいてい距離が残ります。

よくできたニンジンはよくできたフィクションです。

お互い他人の追うニンジンの正体はそっとしておくのがいいのです。

兎がほざく1054

兎がほざく1054

ユリシーズの話の続きです。

著者が下敷きにした神話のユリシーズと異なり、主人公は生活の糧のために彷徨します。

主人公は自分の外の事物に愛着し、妻は自分の過去の美貌に愛着します。

主人公は愛着する妻の肉体の隣に帰還します。
凱旋でないのが現代人らしいです。

兎がほざく1053

兎がほざく1053

ジョイスの書いたユリシーズを英語で読了しました。
約六十日かかりました。

アイルランドがぐっと身近になりました。

街と海辺。
場所がそこに彷徨する人々の心のありようを定めている、そんな読み方をしました。

思えば尊敬する高校の英語の先生はダブリン出身でした。

兎がほざく1052

兎がほざく1052

橋は別世界との境の象徴と言われます。

ぼくが好きな橋といえば、清洲橋、錦帯橋、渡月橋。
行ったことのないモスリン橋、はりまや橋、思案橋。

別れでなくて出会いが似合う橋ばかり。
日暮れに歩いて渡りたい橋ばかり。

どんな世界に渡るかはお楽しみとして。

兎がほざく1051

兎がほざく1051

AIが人間を超えられるとすれば、理由がなくても他人を許すという機能を備えたときでしょうか?

ロボットですからお金もいらないし家族も属する集団もない身の上です。
身体的な欲求もありません。

そのうえで他人を許せるのであればまさに聖者......?

なんか変な結論です。

兎がほざく1050

兎がほざく1050

ぼくは街歩きが好きです。
漂流している感じがいいのです。

それでふと思いました。

漂流ということは海を漂っているわけです。

その海とはどんなもの?

海のことを忘れていました。

海という場の広さと時の繰り返しと。
高波とさざ波と。

街は海の上の藻屑です。

兎がほざく1049

兎がほざく1049

街を歩くのが好きです。

街には歴史が隠れています。
歩くと隠れた気配を感じます。

表面は現代的に変わっていても気配は残ります。
街の変貌した姿をポジとすると、それに対するネガのように。

歴史は人々の無意識の記憶に刻まれていて、それが意図せず語るのだと思います。

兎がほざく1048

兎がほざく1048

音楽はひとつながりの時間を意識させますが、その一音一音は次々に消え去ります。

その全体はただ印象にしか存在できないのです。

この世で起こることも同じように消え去り、ただ印象にしか存在できないのでしょう。

残された物体は楽譜のように印象の手助けをするだけです。