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僕は納得した言葉しか紡げない。

食べたことのない物がどう美味しいかを伝える事が
できないのと同じように、自分が経験したことがないことや
人にされたことがないことを言葉や人にしてあげようにしようとすると
なんとなく気持ち悪い言葉の羅列になってしまったり、
ぎこちなさが出てしまう。

器用な人は、それができるかもしれない。

しかし、僕にはできない。
故にタイトルの通り僕は納得した言葉しか紡げないのだ。

知っているだけでは使えない。
納得しないと使えないのだ。

例えば、最近所々で出てくる「アンニュイ」とかは
意味を調べてもなんかふわふわしているから
使う事ができない。

この言葉を使って何かを書いたとて
おそらく誰の心も動かすことができない文章になってしまう。

自分でも読み飛ばしてしまいそうな文章になる。

そうならないように、使う言葉は納得したものしか
使わないようにしている。

しかし、新しい言葉を獲得しにいかないわけではない。
獲得しにいかないのはただの怠慢だと思うからだ。
知らない言葉に出会うとすぐ調べてしまうし、
吸収しようとはしている。

そんな感じで常に言葉を自分のものにしようしている。

この間、とてもいい言葉の組み合わせに出会った。

そこに映る人が思い出を呼び起こす、写真は人生の付箋
                    GENIC 7月号 P.39

これはある方の写真に対する考え方、解釈といったところである。

なんとも知的で、素敵な表現で心が打たれた。

人生の付箋=写真という考え方は納得してしまった。
自分も写真を撮る端くれとして、とても共感できる。

その写真を見ただけで自分がこの時にどんな思いで
どんなことを感じて、考えていたのか写真を見ればすぐにわかる。

これは写した側であっても、うつされた側でもわかる。

そういう面では、自分は日記とかと書くよりか
自分が写真を撮りたくなった時にスマホで写真を撮るようにしている。

その写真を見れば、その時に何を考えていたか思い出せるからだ。

話が逸れたが、そんな風に色んな言葉を自分のものにしていくのだ。
そんな中から紡げるものを紡いでいく。

内容は多少背伸びしても、書く言葉は背伸びができない。

色々なnoteを見ていると、
「この言葉十分納得しないで使っているな」とか感じることがある。

そんな記事を見て、
本来心が躍るはずの文章がそれだけで興醒めしてしまう。

恋に覚めてしまう感覚だ。

だから自分の文章を観に来る人には
そういう思いをして欲しくないと思いながら
今日も明日も紡ぐだろうと思う。

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今日は、「僕は納得した言葉しか紡げない。」を書かせて頂きました!

最近色んな方の記事を拝見させて頂いて
勉強させて頂いております。

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うらやん / yoridokoro
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