見出し画像

well-being(ウェルビーイング)とは、しあわせの動詞化 part2 幸せ体験のポートフォリオ

前回のpart1 幸せの体験と評価では、幸せという概念は「自分自身の体験から得られる幸せ」と体験による幸せをした支えする「数値化できる評価項目」に切り分けられるとお伝えしました。

今回は「幸せの体験」にフォーカスしたいと思います。
具体的なケースとして、私の身近な幸せを感じる瞬間(嬉しい・楽しいなどの体験)を主に3つ書きたいと思います。
*「知らんがな!」という方は「4.まとめ」までスキップしていただければと思います。)

1.家族と過ごす時間

私には3人の娘がいます。特に三女の2歳の娘と何気なく一緒にご飯を食べる、遊ぶ、ベットでゴロゴロするなどの時間では、「穏やかな嬉しさ」を感じます。世の中の多くのお父さんも同様かとは思いますが、私の場合は多くの新米お父さんよりもその価値を認識できているのではないかと思います。

その理由は、「娘は思ったよりも早くパパと一緒の時間を過ごさなくなる」という現実を上の二人の娘から学んだからです。私の妻は再婚で前の旦那と二人の女の子を産んでいました。私と結婚した時に、長女は中学校1年生、次女は小学校4年生となっており、思春期の真っ盛りです。上記のような背景から当時の二人の娘にとっては、私と一緒に過ごすことに対して当然強い警戒感はあったと思います。

ですが、それ以上に思春期真っ只中の娘たちは、自分自身への自我の目覚めや友達や先生などの家庭外の人との関係性に気が向いています。「どうしたら自分に興味を持ってもらえるか(モテたい、嫌われたくない)」についてで頭の中が一杯な時期です。父親との関係性は成長過程と共に後回しになっていきます。そういう時期の父親の存在というのは「本当に必要な時だけのサポート」を行う存在で十分ではないのかと感じました。

「娘が父親と一緒にいたいと思ってくれる時間が少ない」と認識すると、コロナ禍での数少ない外出や一緒に過ごす時間は貴重であるということをより実感します。現在2歳の娘が他愛もなく近くにいてくれることも「限られた時間」なのだと尊く感じています。ちなみに、今は高校と中学校に進学している上の二人の娘とは「お互いに素直に話せる」だけで嬉しいなと感じます。

2.趣味に没頭する時間

おそらく多くの方が、家族以外にも「自分の趣味・関心」を持ち、自分自身の好奇心を探求する”ワクワクする”時間があるのではないかと思います。私のような30代男性ですと「美味しいもの食べに行く」「ゴルフ」などがあるかと思いますが、私の場合は中学生の頃から約20年以上観ているNBAがそれに当たります。(余談ですが、富山県には、富山県出身の八村塁選手やNBA入りを目指している馬場雄大選手もいる日本バスケ界にとっても重要な県です。)

私はNBAの試合を観ることも楽しいですが、NBAに関連する動画を配信してくれるNBA系YouTuberの存在がかなりNBAの楽しみ方に影響を与えています。(過去にNBA系YouTuberのことをブログに書いていますので、もしご興味のある方は「NBAを楽しくしてくれるおすすめYouTuber」のブログもご覧ください)
彼らは「NBA選手のキャリアの紹介」「歴代選手ランキング」や様々なディベートなどの企画を配信してくれています。私にとって彼らがありがたい存在なのは、「自分の興味・関心を共有できる存在」であると言うことです。

おそらく家族や職場、幼なじみの友人でも自分の興味・関心、趣味・主張を理解してくる存在の人は多くないかと思います。私もNBAについて同じくらいの熱量で語れる友人は周りにはいませんし、家族からも「またバスケ観てるの(怒)?」と言われる始末。
趣味ではないですが、20代後半に東京からUターンして地元で起業する際にも、親から「できるわけないやろ!」と反対されました。(後々、私の両親は周りの人から「息子さん活躍されていますね」と声を掛けられることで私の起業したことに対しては理解してくれたみたいですが、それでも事業内容についてはあまりよく分かっていなかったみたいです笑)

一方で、20代中盤に東京に住んでいた時には、自分の想像を超える活動やキャリアを歩んでいる人に数多く出会いました。自分の興味のある分野のイベントはインターネット上に数えきれないほどあり、生活圏内で簡単にイベントに参加できました。そういった意味でフィジカルに興味・関心のある人に容易に出会えることや、田舎ではあまり存在していないコミュニティに参加しやすい部分では東京などの都市部に未だに憧れを持つ人は多いかと思います。一方で、YouTubeやオンラインサロンの存在はコロナ禍により、フィジカルで会えない部分をかなり補足・代替する存在になっています。

長くなりましたが、自分の興味・関心を共有できる存在も、「楽しい・嬉しい・ワクワク」の気持ちを高めることや、継続するためには必要です。

3.新しく学ぶ・成長した瞬間

家庭・趣味だけでなく、仕事での楽しみ・喜びも幸せの観点からは無視できません。なぜなら、多くの人は「仕事」という行為に時間という一番貴重な資源の3分の1以上を割いているからです。

新しく学び・成長する瞬間に立ち会った際に、私の場合は「新しい発見」という意味合いで「嬉しい」という気持ちが込み上げます。「新しい発見」という意味では、仕事だけでなく、家庭でも同じです。特に2歳の娘については「聴いた童話を歌えるようになる」「ママの料理を真似してみる」などの毎日の進化を目にするたびに嬉しくなります。一方で、興味を持って取り組むことで成長できることを娘の行動・振る舞いから学んでいます。

おそらく、学ぶことや成長していくことを楽しめる人は、健康寿命も長くなっている気がします。理由は目的がある人は行動に対する強い動機付けが容易だからです。また、成長という言葉には「成功する」というイメージを想像しがちですが、私の中では「やってみて、失敗して、失敗の中の学びが一定数積み上がった時に成功する(スキル化する)」というフローのイメージです。一定数のラインについては、取り組む内容や自分の経験値によって変わってきますが、多くの場合はいずれ突破できます。

不思議なことに、1年前に取り組んでみて全くできなかったことが、とあるタイミングで理解できる・実現できることも多々あります。子供の教育やビジネスでも、最初は全く理解できなく反発していたことも、やりながらいつの間にかできているということを経験した方も多いのではないでしょうか。そういった瞬間に立ち会ったときは、私だけでなく関係する周りの人も「自信を持った」素敵な顔を伺うことができます。そして、なぜか私も嬉しくなります。きっと「私たちはもっとできる」と未来が開けた感覚になるからかもしれません。

私はどちらかといえば、自分で企画・提案を提案を行い、周りを巻き込んでいくタイプの人間ですが、必ず色々なリスクや反発の意見をいただく立場になります。しかし、相手が心配する表情から徐々に一緒に手を動かしながら取り組み、自信を持っている姿を見ると自分の存在(役割)について実感することができます。もちろん、お客さまやスタッフにとって大きすぎる負担にならないようなプロジェクトの企画やタスクの設定は注意して行いますが、リカバリーできるようなリスクやミスについてはむしろ取り組んでみる方が私は良いと思います。なぜならミスが発生した際には、先には述べた「目的意識」を嫌でも持ってしまうからです。「なぜミスをしてしまったのだろう」「このミスを回避する時には何をすればよかったのか」と考える瞬間が訪れます。その後の対処については、「ミスを学びに変えるのか」それとも「ミスを認めず見逃して無かったことにするのか」のどちらの行動を選択するのかはその人次第ですが、その後どちらがポジティブな気持ちで過ごしていけるかは明確だと思います。学びや成長についても、実は自分でコントロールできるのです。

4.まとめ

私個人の幸せを例に考えていましたが、私にとっては「安堵の幸せ」「ワクワクする幸せ」「新しい発見の幸せ」の3つの幸せがないと、生きづらくなると思います。人によっては、一つの物事・一つの幸せでも満たされる人もいらっしゃるかと思います。

しかし、今の私の場合は
「家族と楽しく過ごせるだけでなく、ワクワクする趣味や仲間も持ちたい」
「家族の時間も大事だが、新しい発見ができる仕事やプロジェクトにも取り組みたい」
「ハードに仕事もしたいが、家族との時間は必ず捻出したい」

というバランスで生きている感じです。

中には「それは個人のわがままだ」というご意見もありますが、私は上記の実現するハック(工夫)を行っていけばいいだけだと思います。上記をワークするための「働き方改革」の法律や、社会ムード(世論)、個別の課題を解決するテクノロジーなどの周辺環境も揃ってきた時代なのではないかと思っています。

「ウェルビーイング戦略」を掲げる富山県には、上記のような一人一人の異なる幸せを県民自身が行動するために何が障壁になっているのかを、深く探ってほしいなと思います。新規概念の行政施策の多くが「補助金新設」という施策に落とし込まれがちですが、どちらかといえば「ライフワークにあった生活を選択するための時間の捻出を、どのやって社会が許容するのか(仕組み化するのか)」に尽きるのではないかと思います。

特に「働き方改革」は、広い意味で「働く人」の可能性を広げるために、会社での働き方を緩和しつつ生産性向上や事業転換を推し進める文脈になっていないといけないと思います。この文脈が逆になっている会社や国を含めた行政施策ほど、良い人材は流出していきます。
(このトピックスの詳細は別回で書きたいと思います)

特に私の住む富山県などの地方に住む人は、「ワクワクする幸せ」と「新しい発見」については、当事者が主体的・能動的に行動していかないと体感することは少ない環境なのかもしれません。一方で、自然環境の良さ、安価でも新鮮でおいしい食材が手に入ること、子育てしやすい環境、などは都会に比べると得やすいでしょう。

そういう外部環境の特性を踏まえながら、まずは自分なりの幸せを整理・分類、可視化することで自己理解を行う。そして、自分の内面にある多種多様な幸せに感じる事柄の関係性や組合せ(ポートフォリオ)を作るのことが「自分の近道」だと思います。誰かが言っている幸せに乗っかっていくのではなく、「自分の幸せの要素と状態は何かについてを自分自身で認知して、実行していくこと」がウェルビーイングそのものでないかと考えます。

もちろん、若い人ほどたくさんの興味や可能性がある分、「自分の好きなこと・幸せって何だろう」と悩むことは多いと思います。実は、私もそうでした。その上での私の答えは「とにかく興味のあることに熱中すること」だと思います。逆説的ですが、やってみると本当に好きなのか、楽しいのかについて体験で理解できます。仮にすぐには見つからなくても、「自分の好きなことやぴったりなものはきっとある」と自分を信じて向き合うプロセスが人生100年時代でも必要なスタンスです。「自分に合わないな」と感じたら別のことにトライすればいいですし、もう一度興味が持った時には再トライすればいいのです。

前編に続き、主に「個人」の観点でのウェルビーシングについて書いてみましたが、次回は少し大きな括りでの組織、特に「企業戦略」のウェルビーイングについて書きたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?