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well-being(ウェルビーイング)とは、しあわせの動詞化 part1 幸せの体験と評価

2022年3月21日に開催された富山成長戦略カンファレンスに参加してきました。

2020年11月に就任された富山県の新しい知事である新田八郎さん肝入りの提案であった「成長戦略会議」の最初の総括的な立ち位置でのカンファレンスと思い、富山県内でビジネスと子育てをする立場で参加した感想をまとめました。下書き時点で10,000字近くなりそうなので、複数回のパートを分けて書いています。

*私の関心のあるポイントからの切り口なので、セッションの流れは前後します。カンファレンスの詳細を知りたい方は、富山成長戦略カンファレンスの特設サイトやTwitterの「#しあわせる富山」を検索してください。また、下記に記述する登壇者のコメントは私の覚え書きメモに依存するため、聞き間違いなどがある場合はご容赦ください。

*後編はこちらになります。

一連のカンファレンスを通じて、自分なりにウェルビーイングについて考えたことは、下記の3つです。

1.「しあわせる」とは「しあわせ」の動詞化

2.ウェルビーイングが今後の企業戦略に必要な理由

3.関係人口の戦略的合理性

今回は1.「しあわせる。」とは「しあわせ」の動詞化について述べたいと思います。

「しあわせる」とは?

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カンファレンスのコピーが「しあわせる。富山」、キージュルアルは富山の代表的な風景に大きく「る。」とだけ書かれてあり、正直最初はどういう意味・意図なのかよくわからずにイベント参加しました。このキービジュアルに関心を持った富山県民の方には、おそらく富山県美術館(TAD)で開催され好評だった2018年の「デザインあ展」を想起した人も多いのではないでしょうか。(私も実際に子供遊びに行き、すごく印象に残っています)

セッション4のブランディング戦略(観光・広報・移住)のセッションで、「しあわせる」の意味について、富山県成長戦略会議の委員を務めた高木新平さんが「しあわせを動詞化すること」をカンファレンスのスローガンに込めたとおっしゃっていました。

*帰宅後に富山成長戦略カンファレンスの特設サイトを読んでいると、3月15日のオープニングセッションで新田知事と高木さんが「しあわせる。富山」に込められた思いやその意味を述べらていました。

体験と評価


上記の発言を拝聴したときに、私は以前WIREDのデジタル・ウェルビーイング特集で読んだ石川善樹さんの「体験と評価」の考え方を思い出しました。ちなみに、石川さんは今回のセッション6ウェルビーイング(真の幸せ)戦略にも登壇していますが、その時の感想は別で書きたいと思います。

上記の石川さんの記事では、ウェルビーイングの測定において、幸せは「体験」と「評価」として異なる幸せの概念であると書かれています。私なりの理解ですが、たとえば「美味しいもの食べる」体験も幸せであれば、「事故や犯罪が統計的に少ない」という環境に関するパフォーマンス値も間接的ですが幸せ(安心して過ごす)であると思います。個人・市民としては「体験」の印象度がパッと「幸せなこと」として思い出せますが、自治体・行政では様々なまち・エリアの数値が幸せ豊かさの評価基準となっていることが多いと思います。

富山県の場合、生活の豊かさ(幸せ)としてよく言われるのが「世帯収入」「持ち家率」「国公立大学進学率」などの指標で、全国No.1や毎年の各種統計の上位にランキングされています。富山県民への県や市町村のセミナーや東京での移住・定住事業イベントでも、上記のような指標を用いたPRを行っている場面をよく見かけます。

もちろん、一見豊かな地域にも見えますが、だからとって「幸せな県」だと想起する人や移住希望者は決して多くいないと思います。(むしろ、移住をした県外の人からすると「家が大きい」という富山県民の認識はキツいらしいです。アパートに住むことを移住先の富山県民に伝えると「そんな狭いところでかわいそうに」と言われたことなど、何気ない一言で疎外感を感じた移住者もいます。)もちろん、富山県民の多くが上記のような指標も「当たり前」と感じるだけで、むしろ「富山県は何もない」と感じることも多いのではないでしょうか。

幸せは体験と評価
幸せの要素は「体験」と「評価」で分けられる

また、石川さんは体験についても「ポジティブ」と「ネガティブ」で別の概念であり、「ネガティブな体験が減るだけでは、ポジティブな体験は増えない」と述べられています。つまり、何が「困った」や「つまらない」という課題を取り除いたら「ポジティブ」な感情が生まれることもないそうです。例えば、家の家事などで「やるべきことをやった後の空虚な時間(やることのない寂しさ)」が個人的には近い体験です。

幸せに近づくには


少し長くなりましたが、総括すると「幸せ」は自分自身の自己認知で変わり、「自ら幸せの体験を増やしていく」という本人の主体的な活動だということです。生活を支えるためのインフラなどの指標や行動の自由を与えるお金などの数値化できる評価項目は幸せの下支えになりますが、おそらく多くの富山県民は「体験」の部分で幸福感を認知・体感ができてないように感じます。

よく周りでは「幸せってなんだろう?」「幸せになりたい」という名詞で語られることが多いと思いますが、体験においては本質的に「自分なりの幸せな体験を定義して、どれだけその体験を積み上げていくのか」という行為が幸せ(幸福)の正体だと高木さんの言葉を通じて感じました。

動詞には主語や目的語が必要です。形容詞などもあると、よりシーンは鮮明になっていきます。 どういう幸せな状態になりたいのか(be動詞)を自分で考えて、そのための具体的なアクション(一般動詞)を行っていう考え方を持つと、幸せは意外と認識しやすいのかもしれません。

私を含めて部活動などをしていた方は、全国大会出場などの特定の目標を目指して活動していた人も多いかと思います。当時のことを今ふりかえると目標を達成したことよりも、練習や試合で学んだことや一緒に取り組んだきた仲間の存在やエピソードを思い出し、「あの頃は楽しかったな」と思い出すことの方が多いのではないでしょうか。私はバスケットボールを高校と大学に部活で取り組んでいましたが、NBAのスーパースターの故・コービー・ブライアントさんが以下のことを語っています。

朝早く起きて努力しているとき、夜遅くまで起きて努力しているとき、「やりたくない、疲れてる」と思っていても努力するとき。それこそが夢なんだということをね。夢は結果じゃない、旅路なんだ。

NBA Japan
コービー・ブライアント 永久欠番記念式典スピーチ全文

若干「幸せ」と「夢」と言う言葉の違いはありますが、「やりたいことを見つけること」「やりたいことを選択できる」ことが自分の人生においてポジティブな感情を高めていってくれる大きなドライバーになると私は思います。おそらくそうやって自己認識できると、今生きている時間をより有意義に感じられるのではないでしょうか?

抽象的な話が多かったので、次回はより「体験による幸せ」を自分ごととして噛み砕くために、いま私の感じている幸せを事例に書きたいと思います。

続きが気になる方は後編をご覧ください。


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