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宛先のない手紙 vol.2

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ほぼわたしの考えを垂れ流すエッセイのようなもの。その2。
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2020年4月の記事一覧

あなたの怒りはどこから?

怒っている人を、よく見かけるようになった。きっと気のせいではないと思う。

ひょっとすると、わたしがネガティブな感情に意識を向けているから目についているだけである可能性も、あるにはあるけれど。(カラーバス効果と呼ばれるものだ。妊娠したら街に妊婦がたくさんいることに気付くようになるといった類のもの)

まあ、こんなことを書いているくらいでもあるし、意識が向いていることは確かだ。

「怒り」と一口に言

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足掻いて、もがいて、

足掻いて、もがいて、

先日も似たようなことを書いたのだけれど、現在、休業につき夫が毎日家にいる。

「休校、来月末までに延期になったって」

と伝えたら、「まあ、そうやろな」と夫。「学校始まったあとも心配やな。朝のドタバタとか、また対応できるようになるんやろか」と続けると、「俺もやわ。仕事戻んのしんどい」と言った。

「いや、別に元どおりにならんでもええんちゃうの?」と伝えた。というか、本当にそっくりそのまま元どおりに

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悪いときほど滲み出る

悪いときほど滲み出る

10代の頃、友人が付き合っていた彼氏がモノに当たる人だった。ふだんは明るくて楽しい人だったのだけれど、「そこだけが気になるんよね」と話した友人に、「ネガティブなときの様子で、一緒にいられるかいられないかを判断するほうがいい気がする」と応えたことを覚えている。結局、どういった理由かは知らないけれど、彼女たちは最終的に別れた。



人間性が一番出るのは、非常時、特にその人にとってネガティブなことが

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今だからこそ、もきっとある

今だからこそ、もきっとある

体力維持のため、子どもを朝から公園へと連れだした。その後、散歩へ繰り出す。昼間の気温を考えると、今が一番外遊びに適した時期だ。(最近は5月になると割と暑い)

そんな一番いい時期に、今年は満足に出かけられない。わたしが、というよりも、子どものことを考えると、やっぱりちょっと辛くなる。ちなみにわたしはどうかというと、アクティブなようで出不精だから、家で過ごすことはあまり苦ではないのだ。

けれども、

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トイレのすっぽん

トイレのすっぽん

何となく、朝から調子が悪かった。悪かった、といっても、悪いのは体調ではない。メンタル、とも少し違う。言うなれば、思考回路だ。

回路をスムーズに動かすことができずに、ブツブツと途切れてしまう感覚。それでいて、ノイズが混じる。電波をぴたりと合わせられていないときのラジオのようだ。何を言っているのか、内容がいまいちよくわからない。

ストレッチをしてみても、雑誌をぱらぱら眺めてみても、状況は変わらない

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【日常スケッチ】4月23日、埼玉の自宅にて

【日常スケッチ】4月23日、埼玉の自宅にて

6時半前に起床。

本来ならば、5時に起きねばならなかったはずの日だ。理由は都内で7時から開始されるイベント取材。今は一時的にオンライン開催となっているため、6時半前で十分間に合うのだ。

パソコンを起動し、白湯を飲む。外はすでに明るい。朝が早いこの仕事で、わたしは季節を感じている。冬は真っ暗で寒く、夏はすでに暑いのだ。それも今は、すべて家の中から感じられる明るさだけなのだけれど。まだ花粉症がひど

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不要不急と自分だけの聖域

不要不急と自分だけの聖域

本箱が届いた。古家具だ。横には古材で作られたデスク。相性は想像どおりで、なんかちょっと、本当にもうちょっと、ニマニマしてしまう。

「本箱」だけれど、中には本だけではなく雑貨類を入れたいと思っていた。埃の掃除が面倒くさくて日の目を浴びれなかった、お気に入りの雑貨たち。さっそく、最下段にスノードームを並べる。ああ、いい。いいな。

このnoteのアイキャッチ写真のペンギン(?)も、雑貨のうちのひとつ

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話しながら探る、自分の生き方。

話しながら探る、自分の生き方。

好きな場所が、いくつかある。そのうちのひとつが、昨年2度訪れた長野県根羽村だ。

1番下の写真は、ちょうど一年前頃のもの。たけのこの大きさに面食らった思い出。

根羽村には、宿泊できる古民家「まつや邸」があって、訪れるときはそちらを利用している。

そんな「まつや邸」を運営しているご夫婦が、「オンライン移住相談」を始めている。「活動内容をnoteにまとめたい」とのことで、ささやかながら協力させてい

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言いづらかったりするよね

言いづらかったりするよね

今月に入ってから、我が家の炊事担当は夫だ。彼の仕事が休みになってしまったため、得意な料理を担当してもらうことになった。

わたしの仕事中は、子どものことも基本的に任せたいと途中から頼んだ。(あまりにも仕事が捗らなくて)子どものこと、とは、宿題のチェックだとか、喧嘩の仲裁だとか、そういったことだ。もうふたりとも小学生だから、生活の世話はもうあまりする必要がない。(楽になったものです)

学校は休校中

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「特別」がはらむ残酷さと、熱くなく冷たくもない「当たり前」と

「特別」がはらむ残酷さと、熱くなく冷たくもない「当たり前」と

途中で放ったらかしにしている無料ブログがふたつある。ひとつは高校時代から23歳で結婚する前あたりまで書いていたもので、もうひとつは結婚してから働き始める数年前まで書いていたものだ。

そういえば、あの頃って何を考えていたんだろうなあ。そもそも、書いていたのだろうか。ふとそう思って、9年前の3月4月頃のブログを漁ってみた。

数本だったけれど、書き残されていた記事を読む。「パンやインスタントラーメン

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空の下で、あなたもわたしも

空の下で、あなたもわたしも

春を心待ちにしていた。あたたかくなった先で再会できるその日を、寒い冬の時期から楽しみにしていた。

そんな相手と、インターネットを介して話す。いつもの声に、いつもの笑顔。ほっとするし、元気をもらえた。



「みんな空の下」と歌ったのは絢香だけれど、この歌が世に出る前から、ぼんやりと「たくさんの人たち」を想像するくせがある。

高校時代までは、学校の友達、すれ違っただけの人たちの「今」を

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下がって上がって、の雑記

下がって上がって、の雑記

少し前に悲しいことがあった。気にしないでいよう、勘違いかもしれないしね、なんて言い聞かせてやり過ごしてきたのだけれど、どうやら勘違いではなさそうで、あらためて落ち込んだ。

本当は腹を立てなければならないのかもしれないけれど、それよりも悲しかった。誰かに詳しく話すこともできなくて、しょんぼりしている。なんとなく「誰かに話すべきことじゃないんだろなあ」と思ってしまうのだ。もっともっともーーっと時が経

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名のある日記帳から、名のないnoteへ

名のある日記帳から、名のないnoteへ

「こんなことを考えています」と書きはじめたのは、小学校一年生のこと。

本来は日記である「あのね帳」に、途中から「しぜんはたいせつ、しぜんをまもろう」と連載スタイルで毎日書き綴ったのが最初だ。

読書感想文も、感想というよりも小論文のようで、子どもらしさはあまりなかったかもしれない。幸いだったのは、「意見します」といった可愛げのないスタンスの文章も、先生方がおもしろがって受け入れてくれていたことだ

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我思い書く、ゆえに我あり

我思い書く、ゆえに我あり

夫の仕事が当面休みのため、言ってしまえばこれまでより時間・体力的には楽なはずの外出自粛期間。(ふだんは90%以上ワンオペ)にもかかわらず、妙に疲れるし夜は眠いし、これは単にホルモンの時期によるものなのか、本当に疲れているのか、自分でもよくわからない。

ただ、書くときの集中力は何となく減だ。いや、確かに減だ。能率が悪くなっているなあと思う。割とインドアで出不精なわたしですらそうなのだから、もともと

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