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あなたの怒りはどこから?

怒っている人を、よく見かけるようになった。きっと気のせいではないと思う。

ひょっとすると、わたしがネガティブな感情に意識を向けているから目についているだけである可能性も、あるにはあるけれど。(カラーバス効果と呼ばれるものだ。妊娠したら街に妊婦がたくさんいることに気付くようになるといった類のもの)

まあ、こんなことを書いているくらいでもあるし、意識が向いていることは確かだ。

「怒り」と一口に言っても、その裏にある感情はさまざまだ。というか、実は根っこにある感情は怒りではないことだって往々にしてある。怒りにしておいたほうが本人が楽なだけってことも。

たとえば、怒りを辿っていくと、そこにあったのは悲しみだったりする。

悲しい、を受け入れるほうが怒りを受け入れるよりも難しいタイプの場合、表面に現れる感情は怒りになるのだろう。ただ、この場合は怒りをまき散らしてみたところで、きっと根本的には解決しないし、もやもやが解消することもないとも思う。だって、根本の「悲しい」は存在を認められてすらいないから。

また、あるときには根本にある感情が「嫉妬」や「悔しさ」だってこともある。これらは、悲しさよりもさらに素直に認めることが難しい感情だ。嫉妬していることを認めるって、なかなかに大変だから。

悔しさだってそう。「負けた」とか「劣っている」とか、たとえ誰かにそう言われずとも、また客観的に評価されたわけでなくとも、その感情を認めることは痛みを負うことに繋がるから。「完膚なきまでにやられた、むしろすっきり!」みたいな少年漫画のような展開のほうが、実際には少ない気がする。

だって、そういう「完膚なきまで」な相手は、そもそも別の土俵にいると認識している気がするから。嫉妬や悔しさって、自分が敵うかもしれない相手だと思っているから抱く感情だよね。何なら、「この人よりは自分のほうが上」くらいに思っている可能性だってある。……ただ、どちらにせよ「そう思っている」と認めるのは、やっぱり難しい。何というか、自分のどす黒い部分を認めなければならない側面があると思うから。



その怒りが一体どこから湧き上がってきたものなのかを明らかにすることは、怒りとうまく付き合うために必要なプロセスだと思う。

根本と向き合わなければ、その感情は昇華されないものだろうから。昇華されないまま放置することで、こんがらがってしまうことだってある。自分を守りたいがために攻撃的になってしまったりなんかすると、もうどんどん大本の感情が見えなくなってしまう。

絡みまくった糸をほどいていくのって、骨が折れるよ。だから、早めに原因となった感情を見つめたほうが、かえって楽だと思う。「あー、そっか、悲しかったんだ」とか、「うわー、これ、嫉妬だわ」と思えて初めて、怒りのことも受け止められる気がするしね。……なーんて、生来短気なわたしは思うのだ。

あなたの、その「怒り」は、どこから?


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