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宛先のない手紙 vol.2

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ほぼわたしの考えを垂れ流すエッセイのようなもの。その2。
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2019年8月の記事一覧

“死にたい”を飼いながら

“死にたい”を飼いながら

とにかく死ぬな、とりあえず死ぬな。そんなメッセージを今月はたくさん見かける。8月31日。翌朝に迫りくる二学期を前にして、命を絶つ10代が多いかららしい。

原因はいじめを苦にしたもので、たくさんの「あなたは悪くない」のメッセージが目に入る。死んだら終わりだ。生きていれば状況が変わることはある。学校は狭い世界だから、その世界しか知らない状態で命を絶つのはやめてほしい。どれもわかる。いじめてくるような

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最初で最後の夏の酒盛り

最初で最後の夏の酒盛り

母方の祖父母の家に家族で泊まりに行った夜には、必ず酒盛りが行われた。

夕飯が並べられていく座卓の上、大皿に盛られた刺身の横にガラスの器が置かれ、無造作に入れられたジャッキーカルパス。飴のような包みをカシャカシャと音を立てて開き、ぐにぐにと噛む。塩分がクセになって手が止まらない。隣には開封されたチー鱈が袋のまま置かれていて、幼児から小学生低学年頃のわたしは、それらを夢中になって食べた。

いつもな

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繰り返す苦味に足を取られても

繰り返す苦味に足を取られても

甘く熟せなかった柑橘類がもたらす苦味が、のどの奥に広がった。

投げかけた言葉に忍び込ませた棘の存在を、幼いわたしは自覚していた。自覚していながら、きっと目の前の彼女には気づかれないだろうと思っていたように思う。棘は、彼女に向けたものではなかったからだ。それでも、彼女は言った。

「そんな風に言われたくない」

そう言い放ったときの彼女の眼はおそろしいほどまっすぐで、わたしはたじろいだ。しまった、

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やっぱり最後に選びたいのは讃歌なんだ

やっぱり最後に選びたいのは讃歌なんだ

世の中には、気持ちを塞いでしまいたくなるニュースが多く溢れている。

余裕のない大人たち、そんな大人たちの影響を多かれ少なかれ受けて育っていくのであろう子どもたち。

持たざる者だと思っている者は持っていると思われる者を叩き、恨み、粗探しをして束の間の優越感に浸る。

隣の芝生は青い。だから、きっと自分の芝生だってそれなりに青いのに、すべての芝に火をつけて焼き尽くしてしまおうとしている人たち。

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わたしの常識、あなたの非常識

わたしの常識、あなたの非常識

お坊さんが実家にくるタイミングで帰省できたため、何年かぶりに法事に同席する。その後、墓参りにも子どもたちを連れてついて行った。霊園は山あいにある。山の緑と空の青さが、見るからに「夏!」といった風情だった。

年に数度法事を行い、定期的に墓参りをする。そんな実家で育った。子どもの頃に触れた体験や習慣は、そのまま本人の価値観や常識になっていく。だから信仰心はないけれどわたしは墓参りに行くし、仏壇にも手

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個性の薄まりを食い止める人

個性の薄まりを食い止める人

実家帰省、1日目。姪っ子を愛でたあと、子どもたちを義実家に送り届け、友人と焼肉へ。

小学校からの付き合いの彼女たちは、東京在住。ふだんから時々遊んでいるため、帰省した貴重な機会に会おう、というわけではなかった。母に、「あっちでもこっちでも遊んで、本当に仲良いなあ」と送り出された。



延々と話すこと6時間。途中で、「どの街もつまらない」という話になった。

実家のあるこの街も、東京も、変わら

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どこでもドアだった、旧式のワープロ

どこでもドアだった、旧式のワープロ

子どもの頃のわたしは、紙とえんぴつさえあれば、どこにだっていけた。けれども、その速さは遅かった。

絵本が好きで、児童書が好きで、図鑑が好き。活字が好きだった。活字が出会わせてくれる物語や世界が、とてつもなく好きな子どもだった。

読むのが好きな子どもは、ほどなくして書くのも好きな子どもに成長する。幼稚園時代には、絵とセリフを組み合わせた絵本もどきか漫画もどきかわからないものを、チラシの裏に量産し

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わたしを育んだあなた

わたしを育んだあなた

久しぶりに、幼い頃に住んでいた家を見た。生家ではない。3歳頃から小学一年生までを過ごした家だ。

見た、といっても直接見たわけではない。パソコンの画面越し、Googleマップ上でのことだ。

特に理由があるわけではないのだけれど、何年かおきに、Googleが集めてきた画像でその家を眺めている。この道を通って幼稚園に行ったなあ、とか。通学路のここで、友達と道草を食ってばかりいたなあ、とか。ぼんやりと

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古いものは、脳にやさしい

古いものは、脳にやさしい

世間では色々なニュースが飛び交っていて、ネットでは日替わりのようにあちこちでボヤ騒ぎや炎上が起こっていて、別にそのすべてを受け止めてなんかいないのだけれど、なぜだか精神が削られていくような感覚に陥っていた。

わたしは物事を受け止め考えるときによく咀嚼という言葉を使うのだけれど、咀嚼していたら次から次へと口にモノが突っ込まれて、えずいてしまいそうになる、というか。イメージ画像は食べ終えていないのに

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