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どこでもドアだった、旧式のワープロ

子どもの頃のわたしは、紙とえんぴつさえあれば、どこにだっていけた。けれども、その速さは遅かった。

絵本が好きで、児童書が好きで、図鑑が好き。活字が好きだった。活字が出会わせてくれる物語や世界が、とてつもなく好きな子どもだった。

読むのが好きな子どもは、ほどなくして書くのも好きな子どもに成長する。幼稚園時代には、絵とセリフを組み合わせた絵本もどきか漫画もどきかわからないものを、チラシの裏に量産していた。そのうちのいくつかは、几帳面な母の手によりアルバムに保管されている。昔ながらの分厚いアルバムは、わたしの作品集でもある。

当時、父は家でワープロを叩いていることがあった。持ち帰り残業の仕事だった。書いていたものは、仕事の報告書や業界内で出される冊子や本だ。父としては、家で仕事をせざるを得ないほど激務であったのだし、何も楽しいことはなかったのだろうと思う。でも、幼いわたしにとっては、ワープロのキーボードをカタカタと打つ音は楽しげで、憧れの存在でもあった。

激務がつづいた結果、父は仕事を辞め、同業種の別会社に転職を果たす。ワープロ仕事は健在だった。そして、わたしが小二の頃、わたしの手元にもワープロがやってきた。父のお下がりをもらったのだ。

お古のワープロは、昔のパソコンのように、やたらとごつかった。ただ、パソコンとは違い、本体に印刷機能がついていて、インクカートリッジを入れて用紙をセットすれば印刷できるものだった。とはいえ、わたしにはインクカートリッジは与えられず、その代わりに父がくれたのはインクなしに印字できる感熱紙だったのだけれど。

はじめて手にしたワープロは、わたしの想像の世界をぐんと広げた。日本語打ちで、たどたどしく並べた五十音が、灰色の画面で物語になる。印字してホチキスで留めると、まるで本ができたように思えた。

父は、今のノートパソコンに近い薄い折りたたみ式のワープロを使っていた。それもまた格好良くて羨ましかったのだけれど、わたしのワープロも宝物だった。

結局、壊れるまで使い、ワープロは寿命をまっとうした。そして、父のワープロがダメになる頃、はじめてパソコンがやってきた。わたしが使っていたような、ごついディスプレイのパソコンだった。

家族共用のパソコン時代を経て、高校時代には家族共用のパソコンをほぼ私物化する。その頃には、Wordを使ってがしがしと小説を書いていた。個人で冊子を作って配布したこともある。見よう見まねでサイトも作っていた。想像世界だけではなく、現実世界も広がった。妹しかいなかった読んでくれる人も、ぐんと増えた。

今や、パソコンやスマホなど、書けるツールはひとり一台あるといっても過言ではない。当たり前のようにパソコンを日々持ち歩き、今のわたしは書く仕事をしている。

お古のワープロが宝物だったわたしは、今のわたしを見て何というだろう。今のわたしは、パソコンさえあれば、あの頃よりもっとずっと遠くまで行けるようになったよ。

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