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最初で最後の夏の酒盛り

母方の祖父母の家に家族で泊まりに行った夜には、必ず酒盛りが行われた。

夕飯が並べられていく座卓の上、大皿に盛られた刺身の横にガラスの器が置かれ、無造作に入れられたジャッキーカルパス。飴のような包みをカシャカシャと音を立てて開き、ぐにぐにと噛む。塩分がクセになって手が止まらない。隣には開封されたチー鱈が袋のまま置かれていて、幼児から小学生低学年頃のわたしは、それらを夢中になって食べた。

いつもなら「早く食べなさい」と叱られてばかりの夕飯も、祖父母の家での酒盛りのときだけは例外だった。大人たちはダラダラと飲んだり食べたりし続け、子どものわたしや妹のほうが先に食べ終わる。わいわいと賑やかな祖父母と両親の声をBGMにして、姉妹はUNOをしたり絵を描いたりして遊んでいた。

「お酒っておいしいん?」と尋ねるわたしに、「飲んでみるかあ?」と悪戯っ子のような目をして返す祖父。真面目な祖母に「何言ってるのかね、このおじいさんは」と窘められるのもどこ吹く風で、むしろそのやりとりが楽しそうだった。

祖父も祖母もお酒に強い。いくら飲んでも顔色が変わらなくて、それは母も同じだった。一番酒に弱いのは父で、ひとりだけいつも顔を赤くさせていた。

途中から父が姉妹のお絵かきに乱入して、今でいう“キモかわいい”妙ちきりんな絵を描いていたのは、酒盛りから逃れるための口実だったのだろうなあと気づいたのは大人になってからのこと。

酒が進むにつれふだん感情を露わにしない祖母が祖父にキレ始め、それをニコニコしながら宥めようとして火に油を注ぐ祖父と、酔っているからかその状況にまるで気づかず平然としている母というカオスな状況から、義理の息子は逃げたかったに違いない。損なことに、父は体に酔いがまわるタイプで、思考は割と保たれてしまうタイプなのだ。そのつらさはよくわかる。何せ、わたしも同じタイプだから。

ビールを飲み、日本酒を飲み、食べて騒ぐ大人たち。父は気苦労があったのかもしれないけれど、ふだん真面目一徹で育てられていたわたしには、そんな大人たちの姿が決められた枠組みからたまには逸脱していいのだと肯定してくれているようで、どこかわくわくする感覚があった。

年が過ぎて、二十歳。祖父母が住む愛知県から遠く離れた大阪に越していたわたしは、夏休みにひとり近鉄アーバンライナーで祖父母の家へ出かけて行った。小学生の頃は年に数度していた帰省も、中学生頃から頻度が減り、年末年始にすら帰らない時期が長く続いていた。

また、祖父母の家も昔暮らしていた戸建てから、利便性の高い名古屋のマンションに変わった。将来的に車が運転できなくなったときのために、と数年前に家を売却してマンションに買い換えたのだ。


ひとり遊びに来た孫を、祖父母は喜んで迎えてくれた。そして、三人ではじめて酒盛りをした。わたしが“飲める”タイプであることに祖父はいたく喜び、いいちこの一升瓶と炭酸ライムジュースをテーブルにどんと置いた。

テーブルも座卓ではなく、ダイニングテーブルに変わっていた。しかし、おつまみのジャッキーカルパスとチー鱈は変わらなかった。


お酒デビューしたばかりのわたしは、まだかわいらしい度数の甘いお酒しか飲んだことがなかった。そもそも、度数を気にしたことすらなかったのだ。そんなことを知らない祖父は、小さなグラスがゆえにどんどん飲むわたしに、「おいおい、大丈夫か?」と笑いながら何度も注いでくれた。

孫の前だからか祖母もキレなかったし、祖父もずっと楽しそうだった。わたしも調子に乗って喋りまくりながらぐびぐび飲んだ。そして──倒れた。

正確には、その日は倒れ込むようにして寝落ちたのだけれど、まんまと二日酔いになったのだった。

翌朝合流した母が瀕死のわたしを見て仰天し、「この子はまだ飲み方を知らないんだから……!」と祖父を叱ったのはいうまでもない。祖父は困ったように眉を下げ、それでもどこかうれしそうに笑っていたのだけれど。

ただ、結局祖父母と酒盛りをしたのは、この一度切りだった。体調を崩したことをきっかけに、あんなにも「酒とタバコで死ねるなら本望」といっていた祖父は禁煙し、アルコールも控えるようになったからだ。

結婚式で一杯だけ飲む、といったことはあるけれど、あの頃のように心底楽しそうに好きなだけ飲む祖父母はもういない。おまけに、祖母はだんだんと体調が芳しくなくなり、コミュニケーションも取りづらくなってきている。

ひ孫であるわたしの子どもたちが酒盛りを尻目におつまみをぱくぱく食べていた昔のわたしと同じくらいの年になるのだから、祖父母も歳をとって当然だ。けれども、なぜだかいつまでも変わらないような、そんな気がしてしまう。

「子どもは何歳になっても子どもなんだよ」と母に言われたことがあるのだけれど、孫も何歳になっても孫なのだろう。祖父母にとっても、わたしにとっても。


繰り返されてきた夏の酒盛りに唯一参加できた、二十歳の夏。失敗談でもあるのだけれど、あの夜の酒盛りはわたしができたささやかな祖父母孝行だ。

夏の終わりの日は祖父の誕生日だ。孫とひ孫の声を、電話で聞かせよう。きっと祖父は、あの困ったようなうれしそうな顔で、笑い声を聞かせてくれるんじゃないかな。

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