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宛先のない手紙 vol.2

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ほぼわたしの考えを垂れ流すエッセイのようなもの。その2。
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2019年6月の記事一覧

脊髄反射と熟慮

脊髄反射と熟慮

高校生3年生の頃、「一人を好むけれど独りを嫌がる若者たち」という小論文を書いた。とある大学のAO入試用に書いたその小論文は、教授たちに大いに面白がってもらえたらしく、なかなかの高倍率だった1次試験を突破した。結局、2次試験の面接で落ちてしまったのだけれど。

当時、ほぼ9割の友達が携帯(ガラケー)を持っているなか、わたしは親が許さず所有していない稀有な女子高生だった。だからこそ、「持っていることに

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怒りを甘い優しさで隠すこと

怒りを甘い優しさで隠すこと

ある人にひどい対応をされたとき、その様子を見ていた人から、「あの人は〜だから、周りも大目に見ているんですよ。かわいそうな方なんです、だから仕方ないんですよ」と言われた。

「〜」の部分は伏せておく。その人の生育歴だとか、そういった「どうしようもないこと」が入ると思ってください。

わからなくはない。自分なりのコミュニケーションの作法は、生きてきた蓄積から作られるから。わたしが考える常識が、相手にと

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光と陰鬱と書くこと

光と陰鬱と書くこと

どことなく陰鬱な日々がつづく。具体的に「何かがあった」わけではない、と思う。まったくのゼロではないけれど、原因として挙げるにはどこか心もとない、というか。

ストイックにはなれないし、常に全力投球、一生懸命でもない。というより、馬力が本当になくなった。おかしいな、昔はもっと全力でやれたはずなのに。そう思ってはみるものの、その「昔」は本当に昔のことだと気付く。

10代で精神を病んでから、わたしの「

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這いつくばってやり過ごす日

這いつくばってやり過ごす日

一本の道がある。わたしが歩いている道だ。曲がりくねったり、時に分かれ道にであったりしながらも、それでも道はつづいていく。

人生を道で例えることに、いつ頃であったのかはおぼえていない。おぼえてはいないのだけれど、小学生時代に友達とつくっていた創作冊子の名を「さんぽみち」と名づけたのはわたしだ。道、というものに惹かれていたのかもしれない。(名づけた理由は忘れてしまった)



時に、わたしの歩く道

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soarのクラファンイベントで体温が上がった話

soarのクラファンイベントで体温が上がった話

前に進むために必要なのは、小さな「いいね」や「わかるよ」や「すきだよ」なんだろうな。そして、自分の「いいよね」「すきだな」は、やっぱり大きな推進力だ。そんなことを思った2時間だった。



クラウドファンディングで、目標額の800万円を達成し、ネクストゴールの1000万円をも突破したsoar。わたしも微力ながらはじめて支援をした。今日は、そのクラウドファンディングの支援者のためのトークイベントだ

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見て聴いて嗅いで触れて、育む

見て聴いて嗅いで触れて、育む

行きたい場所が、またひとつ増えた。



「周りのお母さんは、“夏休み嫌だ〜”とか“やっと夏休み終わる〜!”って言うんやけど、お母さんそんなこと思ったことないんよね」

わたしが小六くらいだったろうか。夏休みが終わるころに母が言った。

「お母さん、“もう夏休み終わっちゃうわあ”って思うんよねえ。始まるときは、“今年は何しよう”って楽しみなんよ」

当時、母は専業主婦。介護ヘルパーの資格を取りに

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それ、本当に「その人」を見ている?

世の中にはいろんな人がいて、どうやらそれぞれ違う価値観、考え、感情をもっているらしい。

そのことに気づいたのはいつだったろう。我が家の5歳児を注意しながら、そう思った。

彼はまだまだ「自分のおもしろい」と「他人のおもしろい」が分かれていることを理解しきれていない。兄に茶々を入れて泣かせるたび、「自分だけがおもしろいのはダメ。嫌がられたら止める!」と口酸っぱく言い聞かせている。



自分の価

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