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商業社会のおける肩書きの罠(後日談) 《さよなら商業デザイナー(25)》

── 前回「理解と同意は別物」の続きです

「ブランディング」という名の罠

先月末日で商業デザイナーを辞め、無理矢理にでも期日通りに形式上ではりますが、商業デザイン業務を廃部させていただきました。その上で「さよなら商業デザイナー」という引退に対する文章のあとがきも書いて、終わったわけですが、現実は、今も残務的なこともまだあるものです。そんな中、次の展開の準備や考えなどもまとめたりもしています。

今回は、後日談として、ひとつだけ追記しようと思いました。辞めたのだから心機一転、様変わりして、商業主義的な事業と差別化を計る為にも、より“ブラッシュアップ”した“セルフブランディング”が必要な時である(最近はアチコチでそんなコトバを耳にします)と思いながら、自分自身がそんな過去の罠にまんまと嵌ってしまいそうになっていたと思うことがあったからです。

クライアントや関係者からのお声や需要に対して、完全にどれもこれもが今後はお受付致しません!という頑な姿勢や心持ちではない自分がいるのです。なぜかと言ったら、他人であれども、現代に生きる同じ人間として、お気持ちやご都合は理解するからです。

そして、長々と先述してきたように、私が本当にさよならしたのは「デザイン業務」ではなくて、「商業主義」なのです。なので、人には柔軟ではあろうと思っています。そこで考えたのがまず誰にでもわかりやすいように「肩書き」を再考するということでした。つまりスタンスや業種が変わるというPR方法です。商業社会の中では、それがわかりやすいのですよね。

なので私はデザインや広告やコピーはできるけれど「商業デザイナーや広告制作ではないのです」ということを表すのにちょうどいい肩書きはないものだろうかと考えていました。そこで思い付いたのが「ブランディング・アドバイザー」でした。


曖昧な肩書きや職業にマツワル魅惑的な罠

とある数日間だけは、「ブランディング・アドバイザー」今後はこれだな!と思っていました。これまでの知識も経験もお客様に提供できるし、必要であれば制作もできて、デザインのコーディネイトやアドバイスや、方針や理念においても、ディレクターとして提供できるし、広告や商品などのアイデンティティーやデザイン面からのアプローチによって利潤へとコンサルティングもできる。他のデザイナーやイラストレーターやコピーライターなどのクリエイティブ業種とその他業種の方々を繋ぐこともできるし、これだ!いいじゃないか!これだな!これでいこう!!!

これならば、これまでのクライアント様からのご要望にも応えることができるなと、数日間はその気でした。そして、数日後に自ら気がつきました。
「ブランディング・アドバイザー」カタカナ&イングリッシュ!そんな横文字!、そして「ブランディング」というよくわからないけど魅惑的なコトバ!さらに「アドバイザー」というこれまた曖昧だけどなんかノウハウいっぱい持っていそうなこの感じ!日本人の大多数が21世紀になっても、未だ大好きな要素が満載です。

これはもはや・・・そうです。これまでずっと長々と述べて来た「商業イズムの最果て」とも言いたくなるような、「○○コンサルタント」「○○マーケッター」「○○カウンセラー」「○○プランナー」もっと言えば「○○スピリチュアル」などなどと同じ土俵じゃないか。。。。

「ブランディング・アドバイザー」うん?ダメじゃん!!!ここに来てそこに行っちゃったら、それこそ自分は終わりだよ。うわぁ危なかった。せっかく商業主義と縁を切ろう!別の切り口で今後は生きて行く!と決めたところなのに、ここでまさか、まさに私自身が、これまで書いて来た商業主義の罠に嵌るところでした。

と、数日後に気がついて、自分の脳の危うさに、一人で笑えました。


「実体のある人」と「それに依存する人」の違い

これを読んでなにを言っているのかわからない方も多いとは思いますが、それは後々、別の機会にでも説明していくつもりです。または、過去のこのシリーズを長いですけれど読んでいただけたなら少しは御理解いただけるかもと思います。

しかし、ここでひとつだけ誤解を避けるために述べておきます。前述の世の中のコンサルタント業などの方の中には、本当にプロフェッショナルな方が少なからずいることは私も知っています。その他プランナーやスピリチュアル系の方などにも、本物は一握りかもしれませんが、実際に居ます。なので、一概に私は否定をしたいわけではありません。

例を挙げるなら、フィナンシャルプランナーの多くは単純に保険を契約する代理業だったり、カウンセラーの多くは単純にそのご自身が他人に癒されたがっていたりする現実はやはり無視できないものです。

またそういう生産性を主体とする経営者や一般企業や生産者などの謂わば「実体のある職業」に依存した「実際には生産性のない方々」に対して、私は商業主義の権化であるかのような偏った一部的な視点で、あえていまは語っている感じです。

そういったことは、この先に詳しく書き表すこともあると思うので、いまは補足としては触れませんが、どうか誤解のないようにと願っています。


実体のない商業の特長は「依存させることにある」

というわけで、話を戻します。あれだけ長々と商業主義について述べてきて、さあ、ここから新たなスタートだという時点で、危うく私自身が更に商業主義的な肩書きを使うことになるところでした。

しかし、本当の意味で言えば、そんな「ブランディング・アドバイス」というのは、とても重要だと思っています。ブランディング・コンサルティングではなく、あくまでも「アドバイス」です。

問題なのは、ブランディングをサポートするにあたって、どこへ導くのか?そして、いかにアドバイスするのか?そこが重要です。そしてまず大切なのは「依存させない」ということです。その上でこういった役割は必要であると思っています。

なので、心機一転とは言っても、職業や肩書きではなく、これについては体制としては、今後も「スタンス」として行っていこうと考えています。

最後に、なぜ私はそのような肩書きの方々が好きじゃないのかということについて述べようかとも思ったのですが、ここはまた多少込み入った話にもなるので、また別の機会へ持ち越すことにしましょう。

なので、「さよなら商業デザイナー」としてまとめたこのテーマ(マガジン)ですが、またここからある意味で第二章として、今後は単発のコラムとして、たまに商業主義などに関わる内容を書きたくなった時は、継続することにします。

なので今後はタイトルは変えましょう。事実もう既に商業デザイナーでは無いのですから。なので「さよなら商業デザイナー」はこの後日談の散文(駄文)をもって、こういう書き方も最後にして、次からは別の視点など、これからはひとつひとつ丁寧に書いていきたいです。

つづく ──

20170425 11:35

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