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海よありがとう 《 3.11後からの日本を案ず(5)》

── 前回「地球を告訴する種族」の続きです

海へ来なさい

震災後の一週間後くらいだったと思いますが、当時、私は大手ブログサービスでブログを書いていて、あまりにもネットの中でも皆が情緒不安定の上、あくまでも私感ではありますが、とてもひどい言葉をたくさん見ました。

海のバカヤローとかの暴言をはじめとして、中には一見は愛を表現しているかのような平和的な文面なのですが、よくよく見て見るとなにかをとても責めていて、加虐性を秘めた自己愛というか、非常に利己的とも感じる言葉が集まったものもたくさんありました。

私が感じた特徴のひとつは、それらの方々は被災地とは離れた場所に住んでいる人のほうが、なぜか多くて、正直な感情ですが、わずかな狂気すら感じて、私はその現象の異常さに恐怖を覚えました。

そして、その頃の私が必要性を感じて、掲載したものがいくつかあります。その中のひとつが前回の内容で出て来た細菌の話(クロコダイルダンディー)です。細菌の話も、謂わば抽象表現や擬人法的な比喩とも呼べる、ある意味で寓話的な文章です。


当時の私は、言葉を書く気にはならなかったのです。被災者を代表に長い間ずっと災害の渦中にいる多くの方々や、被災者の中でも悲しみにくれる以前にとにかく目の前の被害に対して向き合って行動をしている方もいる。そんな状況の中で… というか外で、安全な場所にいる外野が、必死に生きる状況の人たちに向かって「ああなんて悲しい」とか「神よ無慈悲な」だとか「電力会社がどうのこうの」とか、中には「この地震は人工的に」だとかもう…

現実に被害も苦難も努力も無縁とも言える安全な距離にいて、そういう自分だけの気を晴らすためだけや、理想的だけど現実を省みもしない正論や噂話などを、たとえネットでも、そういうあまり美しくもなかったり本当の意味で優しくもない言葉や言霊を吐いてしまうとか、本当にそういう人が多いことにとても現代人の脆さと鈍さを目の当たりにした気がして、たとえどんなに優れた上手な言葉だとしても、なんか、こんな時にわざわざ言葉を書く気にはならなかったし、手を貸せないのなら、黙って応援というか祈っているほうが良いと思っていました。

そんな心境で、しかしそんな状況で、言葉じゃないものとして、掲載したのが当時のYouTube動画でした。井上陽水さんの楽曲「海へ来なさい」です。その意図を理解してくれた読者の方もいてくれたことに少しホッとした気持ちになったことを覚えています。


人は土から離れては生きられないのよ

津波による大きな被害のあった時勢に「海へ来なさい」って、掲載してよいかどうか?本音でとても考えました。しかし、私の感性では、どういう方向から考えてもなんど改めて見直してみても、自分の感性では、いまだからこそこの楽曲とそして歌詞なんだ。まさにこれなんだよなぁって思い、ただなにも語らずに動画だけを掲載しました。

人間というものは自分も含めて、不具合は常にあるもので、誰もが紙一重で愚かな行為に及んでしまう可能性は常に100%あるような生物だと日頃から思って生きているので、人間に対してどうのこうのと感じるわけではないのです。私が感じ、また心底驚いたのは、現代の日本人に対してだったのだと思います。

それまでの未熟な私個人の中で信頼していた「ニホンジン」というモノへの認識や概念的な性質というものは、私の勝手な思い込みだったんだなとさえ思えた出来事でした。そう気がつけたことも大きな気づきでもありました。


宮崎駿さんの「天空の城ラピュタ」だったと思うのですが、確か「人は土から離れては生きられないのよ」というシータのセリフがあったはずですが、とても共感してずっと覚えています。いつもこのセリフが脳裏に浮かぶ時は「あれ?ラピュタだっけ?ナウシカだったかな?」とわからなくなるのですが、私の中ではナウシカの「腐海の生まれた理由」に対しての部分と同じジャンルとして、私の中でカテゴライズされているのだと思います。

私も震災当時は都内在住でしたが、東京と生まれ育った実家の手伝いで田んぼや野山や海を行き来して、「人は土から離れては生きられない」まさにそれをなんども実感して生きています。

実家に行けば自然の中であらゆる命がありのままに共生している豊かさを感じます。虫も木々も土なども共存してそれこそ光も水も空や風さえも肌身で共にあるのを感じますが、そんな虫も木々も土や砂も都市の中では「汚れ」や「害」ですし、田舎にいるときは平気だったのに東京へ帰ってきた瞬間に、蚊やハエ一匹ですら怖くなります。

その反面、田舎に行くと様々な不便さを感じて、結局都市部へ戻りたくなる。まぁ、こういった話はたくさんあり、様々な見解もありますので、また別の機会に先送りしますが、この場では、感覚的な部分としてまとめますが、そんな都市もどうやったって自然万物のエネルギーや存在があってこそ、その上物としてしか都市は成り立たないのです。大事なことは、自然生命が絶えれば必然的に都市は死ぬんです。


波は受け止め打ち返し浄化をやめない

説明も言葉も避けて、ただ「海へ来なさい」の動画、つまりは音楽と歌だけを伝えたかったのは、ほんのちょっとでもいいから「気がついて」と「忘れないで」のような思いだったのだと思えます。

ずっとずっと、あなたの先祖も子孫だって、ずっと『海に恩恵をいただいて生きて来た』ということを、どうかわかってほしかったんです。感覚的な表現でしかいまは書けませんが、人間にとっては災害でも、きっとそんな時でさえも海はありのままに万物のために愛のままにあると思っています。

海だけの話ではなく、土も太陽も虫も石もなんでもです。そういう感覚や自然万物、つまりは地球に対する感性を、本来は自然信仰として日本の民族は、一番根底に感じ、時に畏怖として、それをも含む畏敬として、自らも万物として感じることのできるベースをかつてはもっていたと思うのです。

だからこそ、こんな時だからこそ、辛いいまだからこそ「海へありがとう」だっていう感性と真理を思い出してほしいって思いました。

しかし、多くの現代人は海を敵にしたような発言が多くて、前述した震災後の日本人の様子を見ていて、ああ、もうこの国の人の多くはきっと“土を離れてしまった”のだなって、まさに思わざるを得ませんでした。概念というよりも感性や感覚、都市化によって失われた感性はそのまま価値観を変えたのでしょう。

そういった被害者意識からの攻撃性のような捉え方や不満の思いや、まるで自然を支配するかのような感性から発する言葉や生き様でもあるエネルギーは、対人関係などと全く同じように、見えない部分で相手を傷つけ、聞こえない部分で周囲にぶつかり、そういう感性では全く感じない部分で世界を攻撃しているかのように、認識としてわからなくても反応は伝わるものです。

そうして俗にいう鏡の法則のように、それはいつか自分に返ってきます。その攻撃性がたとえ自分を守るためのものであったとしても、それが摂理です。海も同じです。平和を可視化して確認するような現代人には感じないというか、むしろ無いものとされているであろう、隠れた攻撃性(つまりは不満や不安や恐怖心なども含む利己的な自我の気持ちや念)は、この世界に放出され溢れています。

海の波は浄化のためにも常に揺らぎ、渚の波は寄せては還しながら、必ず、還した分だけ、波は押し戻って来ます。それほどに多くの圧力を海は日頃、常に受け入れ拡散し浄化しています。そう、波は返すものなのだということです。

万物はすべてそうです。かならず返って来ます。その圧力が大きければ大きいほど、反動も大きい波動となって押し寄せます。地球や海や万物は、きっとそれほどに耐えていたのかもしれません。

まぁ、過剰である空論だということも承知していますが、あえて述べています。そして、あの時に「海へ来なさい」を用いたのは、本心でこういう気持ちと理由でした。

結果として、数名の方から反応があり、お便りもいただけました。同感にてすぐに私の意図を理解してくれた方も数名いて、とても嬉しかったことを覚えています。現代ではもはや、少数派ではあるとは思いますが、同じように感じている方がいるということが、私としてもとても生きる糧になったのも事実です。

しかし、もちろん「なにが正解」ということではないのです。この話も、あくまでも私の感覚だけの話です。


日本人ならではの「絆」という発明

平常時であれば、ある種の暴言とも捉えられてしまいそうな言葉も、確かに、大震災という誰にでも情緒不安定に陥るだけの特別な状況でしたので、各々の心の改善方法だったのだと思っています。そして、なにもそのような言葉や表現ばかりだったわけでもありません。

TwitterなどのSNSでは、安否確認をはじめ、行政や公共機関からではない様々な一般の個人からのローカル情報が、その先のまた誰かの危機を救い、安心を与え、世界中がある意味で繋がり励まし合いながら、乗り越えていきました。

そのことを象徴とする「絆」というキーワードが流行していて、当時のそんなある意味で身構えて屈折した私は、正直、こんな事態の時でも、現代人には目に見える広告的コンセプトが必要なのかと驚きましたが、思い直せば、戦争でもヒッピーでも性別や種族などにおける解放運動でも、いつでも人間はスローガンやプロパガンダが必須だった。

そう考えるなら「絆」という思想や指針は、大震災によって日本人が蘇らせるべき、とても大切な『気づき』を与えてくれるものだと言えます。また、逆説的にそんなワードが方針や指針的に浸透すること自体が、きっと日本人の個性でもあって、世界的にはとても稀なほどに平和的な民族だとも思います。

世界的平均で見ると、きっと多くは「革命的思考」のような、常に改革として古きを駆逐し奪取するような思考が多いと思うのですが、あのヒッピーにしても、あれは対抗心としての革命運動であるのですから、基本的には平和のために攻撃的な構造であって、そのようにある意味で大げさに言えばクーデター的な発想が世界的には主流だと思います。

日本人だからこそ、もしかしたらピンチの時こそ「絆」という、それこそ『和』をもって、人を、国を、命を築こうとする精神を、潜在意識の中に持ち合わせているのかもしれません。海外からの応援や支援も多くありました。そしてその後、他国が災害にあった時には、日本人に生まれたキーワードは「恩返し」でした。

SNSをはじめとした、国家間を超えた個人同士が恩返しとして絆を結ぶ。そして前述のような「駆逐する革命」ではなく、日本人の精神にある『和』の在り方が伝播することを理想だと思っています。

「もったいない」や「かわいい」という言葉が昨今では世界共通語になったといえますが、特に「MOTTAINAI」は、その思想そのものが世界的に支持され、ある種の学びのような現象さえ起きています。

KONMARIとして活躍されている近藤麻理恵さんの片付け術にしても、そこで伝えるのは、片付け技術ではなく、モノと空間との関わり方、つまりは「万物との共生」への思想が本当の主体であって、そこには日本人だからこその感性があり、その感性こそがもはや外から見れば「発明」に値するものなのだと思っています。

技術大国として一時は世界一になった経済大国であった日本は、その後、緩やかに衰退していきます。様々な専門家なども言うように、そこには技術の国外流出や日本の教育の問題など、様々な原因があることは事実です。しかし、私は以前から「技術大国という勘違い」に原因があると思っています。コンマリさんの成功例は、とても興味深いです。そういう話題は別の機会に改めて考察してみたいと思っています。

話がそれてしまった上に、今日も長くなりましたので、ここで次回へ続くことにします。

つづく ──

20210319



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