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【読書ノート】45 「朝日新聞政治部」鮫島浩

朝日新聞で長年勤務して「吉田調書」事件の当事者となった元朝日記者の自伝。題名は正確に言えば「朝日新聞政治部と特別報道部と「吉田調書」事件」といった感じ。重要な登場人物はすべて実名の内部告発ノンフィクションになっている。
 
前半では大手新聞社における政治部での仕事が描かれているが、このように「いかにして政治家と親密になり食い込むか」が勝負であれば、必然的にジャーナリズムである政治家批判などは難しくなることが良く理解出来る。
 
後半では特別報道部で自由に意義のある調査報道を行い高い成果を挙げ、そして例の「吉田調書」事件により危機管理能力に欠けた会社経営陣らに半ば詰め腹を切らされる形で地位を失い、会社に失望して結局50歳くらいで朝日を去る経緯が描かれている。

個人的な感想としては「命令違反」という言葉はニュアンスが強すぎて誤解と非難の入り込む要因になったのではと感じたが、著者の述べるように記事そのものは決して「誤報」などではない。しかし保身に走り正しい判断能力と危機管理能力に欠けた社長以下の会社経営陣らは「記事取り消し」を決め現場の記者の処分してしまう。一連の経緯を通じて「朝日新聞は死んだ」と著者は記すが、この本を読めば今まで権力に煙たがられてきた朝日がいかに凋落して「死んだ」のかが良く解る。 

朝日新聞で組織は極めて官僚的で 内向きであるとこれまでも書いた。しかし時に芯の強い 記者がいる。組織内の秩序を乱す私のような問題児がそれなりに日の当たる道を歩んで来られたのは 責任ある地位についた者たちの中にも「芯」を忘れず、不条理に向かって突撃していく若手を支援し、そのエネルギーを組み上げ、変革に結びつけようとする人々がいたからだ。

p149

記者の主体性を重視し、徹底的に「野放し」にしたのである。ほとんどの新聞記者は上司から次々に仕事を発注され、自分の持ち場の当局発表の取材に追われ、受け身の仕事に明け暮れている。好きなテーマをじっくり掘り下げている記者は、ほんの一握りだ。 私はそのような新聞記者のあり方に疑問を感じてきた。同僚たちは常に人事評価を気にしながらやらされ仕事をこなし、くたびれ、ストレスをためていた。

p210

テレビや新聞は 情報発信を独占することで影響力を拡大し、記者は恵まれた 待遇で働いてきたまる しかし、ネット時代が到来して誰もが自由にただで 情報発信できるようになり、テレビや新聞が情報発信の独占する時代は終わった。私たちはそれに気づかず、古い時代の敷居の上にあぐらをかいてきたのである。 メディア 界 の主役から転落するのは当たり前だ。 

p204

「吉田調書」以前の朝日新聞はもっと寛容だった。私は朝日新聞の記事を社内外で公然と批判してきたし、遠慮せずに異論を唱えてきた。上司もそのような現場のエネルギーを社内改革の原動力にしようという姿勢があった。「自分の会社を批判するな」という圧力を感じたことは一度もないし、言論の自由に圧力を加えるのは恥じずべき行為だという空気があった。そのような社風が私は好きだった。いつのまにかこんな抑圧的な会社になってしまったのだろう。
これは私個人の問題にとどまらず、朝日新聞社が個人の言論の自由よりも会社の管理統制を優先するのか、さらに言えば、言論の自由という価値にどれだけ重きを置くのかが問われる大切な問題だと思った。 社員個人にこの程度の現場の自由を許されないようでは、国家権力が国民の言論の自由を抑圧した時に「おかしい」と声を上げることができるだろうか?

p270-271

(2023年8月27日)


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