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Ακαδημαϊκόςな風景

『怠惰な左脳』


僕の英語力は、とても低い。
どのくらいか?と言えば、帰国直後の時点で、国連英検B級は一度で受かったが、英検(実用英語技能検定)2級はニ度目でやっと合格、その後準1級は二度受けても受からず諦めたと言うレベルだ。
今現在は、かなり忘れて、それより遥かに低い。
ちなみに、僕にとっては国連英検B級は英検2級より簡単で、英検の方は不合格通知に毎回、「基礎(文法)問題で点が取れていない」と書かれており、僕はこの理由にいつもブチ切れてた。
国連英検A級は、忘れたけど一度は受けたのかなぁ?
過去問見ただけでやめたような気もする。
知らない単語ばかりで、語彙力的に可能性がないと思ったのは覚えてる。
そしてTOEICやTOEFLは受けたことがなく、TOEFLの方は学生時代に受けなかったことを後悔した。
なぜって、米国では自分の学校が試験会場で、受験料は20ドルだったからだ。
僕のスペックの追加情報として、滞米期間は5年、一時帰国除けば4年半。
中学は不登校、高校は夜間中退。
渡米時は20歳の終わりで、知っていたのは be と have だけだったような?
現在過去未来はぼんやりわかるが、完了形は存在すら知らなかった。
助動詞は唯一、can のみ知っていた。
当然、日本人の中では最下位だった。
そんな僕が、どうやって英語を覚えたかって、ぶっちゃけ、泣いてただけな気がする。
勉強なんて、しなかった、と言うか、できなかった。
ただ、一つだけ、真剣にやったことがある。
日本語を読まない、書かない、聞かない、喋らない、それだけ。
金もなかったので日本に電話なんてできなかったし、手紙好きだった僕がその時期だけは書くのを諦めた。
現地の日本人とも付き合わず、いや、それ以前に僕は、日本人からはかなり嫌われていた。
語学学校だったけど、体調崩して授業は休んでばかりだった。
その結果、大体半年後に、言いたいことは何でも言えるようになった。
と言っても、三歳児レベルだ。
相手の言うことはわからなきゃ、何度でもしつこく問い返すので、どうにかなった。
一体何が起きたかと言うと、僕ではなく、僕の脳が英語を覚えたのだ。
三年経過した頃だったか、米国人の友人が、僕について、こんなことを言った。

「キミが、もう少し若い年齢で、米国に来なかったのが、非常に残念だ」

なぜ?と訊ねると、彼が言うには、僕はアダプターを使っていないのだと言う。
普通の大人の留学生は、日本語言語ハードに、英語言語ソフトと言うアダプターを取り付けて、互換性を持たせることで会話してる感じなのだそうだ。
けれども僕は、と言うか僕の脳は、ソフトで対応しようとはせず、米語ハードを新たに作った、但しそれは、母国語話者の使う本物のハードには程遠い、稚拙な海賊版ハード、と言う感じなのだそうだ。
自分が日本語を排除したことを思えば、納得できる話だと思ったが、当時はそれがどう言う状態なのか、あまり理解していなかった。
それを思い知らされるのは、帰国後何年も経ってからだ。
最大の衝撃は、『ドイツ語が一切聴こえない、全部勝手に英語に聴こえる事件』だったが、その話は別の機会にすることにして、代わりに、最近の身近なできごとを話そう。

ウタAdoさん)の『新時代』を歌おうとしたんだけど、一箇所、どうしてもうまく歌えない部分があった。
『Do you wanna play? リアルゲーム ギリギリ』ってところだ。
僕が歌うと、どうしても、『Do you wanna play? Real game girigiri』になってしまう。
リアルと real じゃ長さ違うから、まず拍が合わなくて困るし、ギリギリを米語みたいな発音にするのも変でしょ?
これはどう言うことかと言うと、『Do you wanna play?』は英語、『リアルゲーム』は日本語、『ギリギリ』はオノマトペ(言語と言うより音)ってことを、僕の脳が受け入れてくれない状態。
脳と言うのは怠惰で、細かい切り替えとか嫌がるらしい。
「面倒だから、一括米語脳処理でいいじゃん?」と対応されてしまうのだ。
本物のバイリンガルの人の脳はどう反応するのかわからないけど、僕の場合は日本語使う時は英語がわからないし、英語使う時は日本語がわからない。
だから例えば、同時通訳ってさ、あれをやってる人は凄いと思う。
やったことあるけど、僕にとっては地獄。
日本語と英語、両方のハードを脳内で立ち上げて、両方アクティブ状態を維持しなきゃいけないって、めちゃめちゃキツイ。
自動的に翻訳するシステムが、脳内にはないんだ。

英語脳が英語を聞く→概念を理解する→この概念を日本語脳に考えてくれとオーダーを出す→日本語脳がこの概念を日本語で考え始める(その間英語脳は次のフレーズを英語で聞いている)→日本語脳が日本語で表現する(同時に英語脳は別の作業中)・・・#制約条件:【瞬でやれ!】

こんな感じで異なる脳が同時に稼働するのは、うわぁああああああ!!!って感じで爆発しそうになる。

話を戻して、結局、新時代はシアーミュージックさんのショート動画(MARIKA先生)でその部分だけ練習して、無事歌えるようになった。
その後、この曲って英語版あるのかな?と検索して、UtaAmaLeeさん)の『New Genesis』があったから聴いたら、その部分は『You wanna play a real game, unfurl the chain』になってて、「なるほど、それなら拍合うし!」ってのと、「そうだよね、そこは一文になるよね!」って言うのでチョー納得したのと同時に、脳とは不思議で不気味なものだなと思った。
「ゲームしたい?」って日常的によく聞く言葉だから、ここまでは絶対セット、同じ言語のはずって、脳が譲らなかったんだろうなぁ~と。
ついでに、自分の海賊版ハードのダメな部分も実感した。
僕は、the が必要な時は付ける。
僕自身がそのゲームって、強調したいからで、文法は考えてない。
ただ、文法も守らなきゃいけないと思うから、the を付けなかった場合は、全部複数形で片づける癖があるんだ。
なぜって、単数にすべきか、複数にすべきかが、わからないからだよ。
単数形だと喋る前に a か an の二択を考えなきゃいけないけど、複数形は言い終わる直前に気付いても大抵間に合うからね。
こんな理由で、まあ、アホなんだよ(笑)

ところで、日本語と英語がごちゃまぜでも、それをまったく感じない歌詞も稀にある。
それが、Creepy Nuts の『Bling-Bang-Bang-Born』だ。
違和感ないと言う人は多いらしい。
僕の脳はこれを、全文『ラップ語』と解釈しているように思う。
韻踏芸術だからって、半分右脳任せなのかもだけど、それでも普通に歌詞の意味は入ってくるから、左脳は歌詞を言語と認識してる。
だけど、『ビリケン』になると、もう言語じゃなかった。
字幕があれば、左脳は動いてる。
なければ、右脳に丸投げ。
歌詞は聞こえるし、意味は瞬間的にはわかっていると思うけど、日本語であっても頭の中に留まってはくれず、どんどん流れてく。
僕の脳はこの曲を、呪文詠唱か何かだと思ってるらしい。
唯一、『うるせー that's my business』だけ、左脳が拾って反応した。
それが、

「あ、今のは言語じゃん! 返答しなきゃいけないかもだから動かないと!」

って感じで、笑った。
この時、気づいたんだけど、脳にとって言語とは、人付き合いのためのもので、コミュニケーションツールで、「社会生活に必要だ!」と感じると、やる気を出すっぽい。
ああ、だから、外国語習得の最も簡単な方法は恋愛なのか。
遺伝子にとっちゃ、恋愛イコール 繁殖で、種の絶滅に関わる最優先事項だから、「全力で対応せよ!」との命令を下すんだろうなぁ・・・。

僕らは、自分の意思で生きているようで、実際は脳や遺伝子の都合に振り回される、憐れな生物かもしれない。

とにかくそんなわけで、『ビリケン』はユニバーサル規格の楽曲で、リスナーの母国語問わずに刺さる設計だなぁと思った。
note の運営さんが僕らに、「そのレベルの創作やってくれ!」と、秘かに期待をしている気がするけど、うん、そうなれば、面白いね。
数字でレースするゲームなんかよりも全然。

右脳に丸投げするのは左脳がサボりたいだけなのか気になって、字幕見たり外したりで実験してみたけど、右脳だけで聴く方が音に没頭できるから、一応そこは僕の意向に沿うように動いてくれてるようだ。
ルーズだけど、そんなに悪いヤツじゃないのかも?
怠けてばかりで、勉強はあまり覚えてくれないんだけどさ、でも、悪く言っちゃいけないよね。
僕がこの記事をこうして書けているのは、この左脳さんのお蔭だもの。
長年、どうもありがとう。
だけど、もうちょっと、漢字は読めるようになってくれないか?




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