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自分の先天性中等度色弱と強近視の人生とは? そろそろ・・・ちゃんと自己紹介 その2

中学生時代に、とてもひどかった”荒れる学校現場”

前もって書いておくが・・・
ここから先は”仁義なき戦い”に限りなく近い文面も登場する事となる。
自分の若い頃とはいえ・・・この時は北海道から沖縄まで全国区と呼べるぐらい・・・グレた連中、どっちつかずの半端者達、秀才級の連中と、大きく分けて、三つと思うが、当時の学校教育関係者、治安部隊関係者、厚生労働関係者など霞ヶ関関係といった中央省庁の役人達まで巻き込む時代でもあった事を書いておく。

自分個人は”グレなかった”し、秀才でもない!ましてや”どっちつかずの半端者でもなかった・・・

中学に入った時・・・本格的なバンド活動をしてみたい希望が強くなった!

当時の義務教育というのは体罰あたりまえ、教職員であっても、詰め込みお受験教育と強制加入のクラブ活動を実行する事などがあり、鍵っ子であった自分には、とても窮屈なものだった。
サッカーをしたくても”グレた馬鹿野郎ども”は、入った中学のスポーツ関連のクラブにも多数いた事もあり、呆れ返り、全く入る気もなかった(親の勧めたとある日本の武道系クラブに入ったが、ここで”ちょっとした事件”に自分は味わってしまう事になる。
いまだに解決に到っていない事だが、当時の学校、保護者関係者達や生徒関係者達には”問題”の一つとなり、自分は、そこをやめる事になるのだが・・・そこから自分は自分の”本性”が完全に出てしまい・・・余程の奴等でない限り、相手もしたくない!と近づきにくい存在の自分となる。
(この事件の事は、後々の記事に詳しく書こうと考えている)
個人的には「餓鬼(ガキ)ばかり(教職員や治安部隊、政官の連中も含めての事)の娑婆に用は、ない!”食っていかない”といけないからバンド活動をしてみたい!」
と、自分の心に誓い、下町の慕う人達や友人達にも声をかけ、音楽活動へ入り込む事になるのである。

とある新聞専売所の人達に
「とある新聞社の音楽関係のコンサート事業、興行関係の人達のところへ行って、プロでなくていいから、ジャズバンドをしている人達が、どこでライブコンサートをしているのか?聞きたいんだ。時間とかつくってくれない?」

そこの専売所のおじさんに取り次いでもらう事になったので、その後、とある新聞社の部署の人達のところへ連れていってもらい、ライブカフェやライブハウスの存在を教えてもらったうえに・・・
「小さなライブコンサートへ、今度、取材で行くからついてくればいい」
と、ジャズ専門のライブハウスまで連れていってもらった事・・・ここから”自分は本格的なバンドをつくり活動したい!”と決意する事になるのである。

”荒れる学校時代”の学校環境というのは”まるで血みどろ化した戦場”になっていたところもある!公の偉いさん達とどれだけ癒着したところで、当時の治安部隊、学校教育関係者達も”静寂化”させる事に、空手に使う樫製の杖、竹刀、木刀、警棒、そして拳銃を構えた連中もいる・・・だが、それに向かっていったグレた連中の中に、とても切ない事だが”幼い頃からの友人達”もいた・・・

現代の10~30代前半ぐらいの年代の時とは違い、”子供の数”だけでも、かなり多い時代・・・
1クラスに男女45~50人はいたし、10クラスは、あった。
”不当な競争”(親や身内関係者達が贈収賄をしているきっかけは、これにも原因がある。子供に希望どおりの学校に入らせたいからである)は、あたりまえで「故郷・古里閥、学閥、民族閥(帰化人、渡来人系は特に!)」を考えて動いている傾向は、まさに「世の中の”不正のオンパレード”・第一段階」である!と断言できた時である。

卒業式に身内の誰かが来て・・・「○○卒業おめでとう!」なんて台詞・・・
一体?何の誰のためのお祝い?
多少学校休もうが、遅刻しようが、この国の学校教育関係者は”賄賂”によって、○○入学、○○卒業・・・”認めている”わけよ?
他の国であっても、こういう”不正”はない?とは決して言えないが、この当時は、どのくらい”グレた”者達であっても、嫌々学校だけはいって”独学”やっていた自分であっても、お受験勉強のためだけの半端者であっても”同じように卒業という事ができている”のである。
これは、この後の高校、大学であっても、ある意味・・・同じ”裏取引と不正”で、他にわからないように行われている(何度も書くがお中元、お歳暮という習慣からである)。

この頃の自分を振り返ると・・・もう既に”音楽活動”と人生が重なって生きていくのだろう・・・と、先行きが見えていた自分がいた。

ちなみに、この時の色覚”公開”検査は、中1と中3の時、実施されていた。

また、高校受験制度が、全国で初めて”単願推薦制度”という”情けない腑抜け試験制度”が始まった。
普通科というお受験専門科という学校へも行けない。他の専門学科も行けないと思っていた自分だったが・・・
その時から”色覚差別を訴えていたドクターの運動”により、工業高校であっても”試験が受けられるようになった”。
自分は電子機械科か?高等専門学校か?受けたかったのだが、受けさせてもくれなかったのであり(これにも”裏がある”)、仕方なく”苦学”であったが、とある私立の電気の男子校へ入学が決まった・・・。

卒業式当日、制服警察官が、整列している卒業生の列の前後に、前5人、後ろ5人は”待機”している「異常な光景の儀式」・・・
これが「荒れる学校時代の儀式」の一つであった事・・・実にバカバカしい時代と社会環境であった・・・。


今回は、これにて、お粗末様・・・













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