自分の先天性中等度色弱と強近視の人生とは? その8
上記に示す写真 ”夕暮れ時の東京駅”周辺
「芸術」という世界と”孤独な自分”は・・・
「この日本に生まれ育って良かった事って?一体?何だろう・・・?」
音楽活動を10代前半からやり始める自分は、それまででも”不当な差別と虐待行動”を、世間知らずな学校教育関係者以外であっても、塾も含めた習い事などで、受けていた時代だったなあ~
唯一、習っていた習い事の習字・算盤塾であっても、そうだった!
それでも、約6年は、続く事が出来ていたなあ~(上手くできていないと、頭叩かれたり、張り倒されたり・・・あたりまえだった)
でも、それよりもサッカー部や嵩山少林武術、古武術○島神○流の方が、とても、溶け込んでいた気がする
(やっぱり、罵声や体罰は、あったぞ!
でも、歯を食いしばる事もしたし、抗議もしたからな!そこからは、改善も進んでいったなあ~
習字・算盤塾は”月謝払い”だったが、その他は、学校の部活だったし、そして”尊敬する知人”によって習っていて、月謝払いよりも、道場の掃除や炊事を手伝ったり、機械修理なども9歳、10歳頃から(大人用の自転車や家電品の修理修繕、ラジオ、ステレオコンポ、楽器など)出来るものは、やっていたり、その時、下町にいる頃でも、引っ越した先の所でも、草取りや畑などの野良仕事、鉢植えに季節の花などを育てていたから、そういった奉仕活動で、”周り”は、わかってくれたし、理解も早かったからなあ~)。
自分のオイルショック期である小学生時代というのは、地方だと、まだまだ封建社会の名残である文化が、とても良い形で残っていたから、現代っ子(平成生まれ以降の人達は、特に!)は、余程の過疎地域でないと体験できない事ばかりだから、”情けない話”ばかり聞くような現代・・・
どこか切ないよねえ~
心を無にする事ができる時間と空間で”味わえる事”・・・それが旋律、物語が浮かんでくるキッカケとなっていた事に気付く自分がいた・・・
(写真の頃とは、時代が古いが、初めて親友と行った関東地方方面への旅行先の一つが、東京駅であった。 その夕暮れ時の夕陽を見ていた時・・・ふと・・・ちょっとしたメロディー(旋律)とリズムが、自分の頭の中で、浮かんできたのだった・・・)
「『作曲』や『物語、絵を創作してみたい!』」
という意欲へと、自然に思いつくようになっていたなあ~
昨晩から、生まれた秋の季節を感じる・・・
本当に”乾いた心地良い風”を感じるようになった・・・
電機系開発業技術屋の自分も、まだまだ”芸術の顔”も、
のぞかせていきたいだけなのかな・・・?
それでは、今回は、ここまでと・・・!
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