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シリコンバレー最大の秘密と呼ばれた「1兆ドルのコーチ」(植田かもめ)

植田かもめの「いま世界にいる本たち」第16回
"Trillion Dollar Coach: The Leadership Playbook of Silicon Valley's Bill Campbell"
(1兆ドルのコーチ:ビル・キャンベルのリーダーシップ戦略書)
by Eric Schmidt(エリック・シュミット)他 2019年4月出版

スティーブ・ジョブス、エリック・シュミット、ラリー・ペイジ、シェリル・サンドバーグ……。シリコンバレーの著名な経営者たちには、実は共通の「コーチ」がいた。

ハウ・グーグル・ワークス』を著したグーグル会長のエリック・シュミットらのチームによる本書は、フォーチュン誌が「シリコンバレー最大の秘密」と呼んだという知られざる伝説のコーチ、ビル・キャンベルについての本である。

2016年に亡くなった彼を知る80名以上のリーダーたちへのインタビューを基に、彼の人格と考え方を再構成する本書は、全体がひとつの長い追悼文のような一冊だ。すべての追悼文がそうであるように、美化されている点もあるかもしれないが、「こんな人がいたのか」という発見ができる本である。

ビル・キャンベルって誰?

いくつかの企業でCEOを務め、アップルの役員でもあったビル・キャンベルは、驚くことにリアルな元コーチだ。彼がビジネスの世界に身を投じる前の職業は、コロンビア大学のアメリカンフットボールコーチだったのである。

転身して成功を収めた彼は、一番業績が悪化していた頃のアップルでスティーブ・ジョブスのコーチを行い、グーグル創業者たちに対するアドバイスも行った。「1兆ドルのコーチ」という本書のタイトルは、比喩ではない。彼がアドバイスを与えてきた企業の価値の合計は数兆ドルに及ぶのだ。

本書が紹介する彼のパーソナリティは、知り合いにはみなハグをして、ビジネスの話に入る前に家族の話を欠かさない人情味あふれる性格だ。一方で、"Don't fuck it up!"(しくじるなよ!)が口癖の、強力なリーダーシップを発揮する人間でもあったという。

感情はビジネスに必要か?

ただし、ビル・キャンベルという特別な個人の紹介に終わるのではなく、いくつかの論文や研究を参照しながら、ビジネスについての基本的な問いに対する答えを探っていることも本書の特徴だろう。それは次のような問いである。

・才能にあふれた人がいるならば、マネージャーやコーチは不要で、好きに仕事をさせたほうがよいのではないか?
・他人を出し抜く人のほうが、他人を助ける人よりも高い成果を挙げるのか?
・ビジネスでは冷静さこそが重要で、感情を出すべきではないのではないか?

上の問いに対する答えはすべて「ノー」で、それを体現していたのがビル・キャンベルであったのかもしれない。

シリコンバレーのような環境には、本書が「スマート・クリエイティブ」と呼ぶような優れた人材が集う。でも、そうした才能のある人材が「チーム」として活動していないと大きな成果は挙げられない。ビル・キャンベルは、個人に対するコーチである以上に、チームを機能させるコーチだったという。

また、彼は名だたる経営者に対して「いかに周囲の人間を助けるか」を伝えるコーチでもあったという。「より高みに登るほど、どれだけ他人を成功させられるかが、あなたの成功を決める」と本書の前書きでアダム・グラントは語る(グラントは『GIVE & TAKE』の著者)。FacebookのCOOとして知られるシェリル・サンドバーグは、ビル・キャンベルのコーチングを受けていたグーグル時代に「会議中は必ず最後に発言をすること」というルールを与えられたという。たとえ自分が正しい答えを知っていても、周囲が成長するチャンスを奪わないようにするためのアドバイスだった。サンドバーグは「書店には自己啓発(self-help)という棚があるのに、他人の支援(help-others)という棚がない」と嘆き、周囲を成功させることの重要性を語る。

そして本書は、通常ビジネスの場で使われることの少ない言葉であると前置きした上で、ビル・キャンベルについてのインタビューで多くの人間が口にしたのは「愛」だったと語る。本書が紹介する研究によると、人はビジネスの場で「冷たい人間ほど有能で、温かい人間は能力が低い」という先入観を抱く傾向があるという。これはビル・キャンベルには当てはまらなかった。彼本人は、アメリカンフットボール・コーチとしての成功は感情を消して冷静でいること(dispassion)にかかっていると信じていたという。けれど、ビジネスの世界では、他人への共感(compassion)が成功のカギになるという研究が数多くあると本書は紹介する。だから、彼はフットボールよりもビジネスの世界で成功できたのかもしれない。

エリック・シュミット、ジョナサン・ローゼンバーグ、アラン・イーグル著"Trillion Dollar Coach"(1兆ドルのコーチ)は、2019年4月に発売された一冊。

執筆者プロフィール:植田かもめ
ブログ「未翻訳ブックレビュー」管理人。ジャンル問わず原書の書評を展開。他に、雑誌サイゾー取材協力など。ツイッターはこちら

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