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5月29日【熱狂の記憶】浦和レッズが初めてヴェルディに勝利した28年前。スタジアムに「ハンドコール」が沸き起こった


その時…
Jリーグの浦和レッズの本拠地であった駒場競技場では、今では考えられないような光景が広がっていた。

1993年5月29日。
ちょうど28年前、今日と同じ日付のことであった。


1.熱狂のスタジアムを作るために

これまで、スポーツの素晴らしさや熱狂のスタジアムを作るためにはどうしたら良いかをテーマに記事を書き続けてきた。

その中で、応援するファン・サポーターの熱量を上げるためには、どうしたらいいか。その熱量が上がるトリガー(引き鉄)は何かということを深く考えるようにもなってきた。

そこで、ファン・サポーターの熱量が上がる瞬間を探るために、まずは自分が浦和レッズの存在を無二のものと感じるようになった体験を思い出し、そこで何が起こっていたのか、そこで心はどう動いたかを自分なりに紐解いていきたい。

その初回となる今回は、歓喜のスタジアムに初めて出会ったときのことを書き留めようと思う。



2.Jリーグ開幕元年 レッズvsヴェルディ

Jリーグがスタートした1993年。
日本に新しいプロスポーツが誕生したということ当時は、日本中が熱狂するような社会現象が起きていた。地上波のゴールデンタイムに試合が中継されるようなことも普通にあった。

当時の1番の人気チームと言えば、やはりヴェルディ川崎(現 東京ヴェルディ1969)だろう。今でも現役のカズを筆頭に、ラモス、武田、北澤、柱谷哲二とまさにスター軍団と言われるほどメンバーが揃っていた。

対する浦和レッズは、この日まで開幕4連敗。
攻守が噛み合わず、リーグ開幕のお祭り気分になれないような試合が続いていた。

そんな対照的な両者が、浦和レッズの本拠地である駒場競技場(現 浦和駒場スタジアム)することになった。


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(現在の浦和駒場スタジアム)

実は…いろいろ調べてみたけれど、この試合の動画はインターネット上では見つけることができなかった。
それどころか記事としてもほとんど残っていない。
よくよく考えると、まだインターネットが一般に普及していない時代のことで、記者もそうだし、サポーターの方も記事を残すということが出来にくかったのだろう。

だから、今のタイミングで記事で残すことは意味があると思う。

ここからは、自分の記憶の中と、わずかに見つけた記事を照らし合わせながらこの先を書いていきたいと思う。   
(もしかしたら、少し思い込みの部分があるかもしれないけれど、ご容赦いただければと)

※参考にさせてもらったのは、浦和レッズのオフィシャルサイトに10年前に上げられたコラム「18年前の今日(5月29日)」

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3.一進一退の攻防

スタジアムは駒場競技場。
4連敗中で気落ちをしているとは言え、スター軍団のヴェルディに一泡食わせてやろうと言う熱い気持ちでサポーター達は集まっていた。

しかし、その気持ちを打ち砕くように、前半8分柱谷哲二のゴールでV川崎が先制。

それでも自分たちのホームということで、前半は0-1のまま踏ん張る。

そして迎えた後半4分。浦和レッズの攻撃が牙を向く。池田が遠めからシュート。名取篤に当たったボールを河野が蹴り込み、同点!
これまでの試合で相手の先制点に追いついたことが一度もなかった浦和レッズ。

いける。勝てる。
そんな雰囲気にスタジアムが包まれた。 

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(写真はオフィシャルサイトのコラムより転用させてもらっています。使用不可の場合はご連絡ください)


4.武田選手の試合を決定づけるゴールが突き刺さる!しかし

しかし、世の中そんなに甘くない。
試合の後半、ヴェルディの武田修宏が放ったシュートがゴールネットに突き刺さった。
喜ぶヴェルディの選手とサポーター達。

浦和側は、シーンとした雰囲気に。
でもその時、今では考えられないことがスタジアムで起こった。

スタジアムがざわつき始めたのだ。

「いま、手でトラップしたよな」
「ハンドだろ。ハンド」

VARが導入されている現在なら、審判団がレビューしてすぐに確認できるだろう。でも、当時にはそんなものはない。



5.スタジアムにこだまする大ハンドコール

スタジアムのざわつきはますます大きくなる。
このまま試合が再開されては、絶対にいけない。そんな気持ちがサポーター達の中で出たのだろうか。


なんとスタジアムが一体となって
「ハンド、ハンド」
と大ハンドコールを始めたのだ。

このハンドコールをバックに審判団の協議は続く。

そして、主審が笛を吹いた。

結果は、ハンド!
なんとゴールは取り消されたのだ。

「うぉー、やった!まだいけるぞ。」
浦和サポーターの応援が一気にヒートアップしていく。

この部分について、参考にした浦和レッズのオフィシャルサイトのコラムではこのように書かれている。

トラップ時にハンドがあったとして、取り消される一幕もあった。

さらっと書かれているけれど、ハンドの取り消しは実際にあった。やはり自分の記憶は間違っていないようだ。

このことが、実際のスタジアムで起きていたのだと確信に近いものが持てるような気がした。


6.試合は延長戦からPK戦へ。そして歓喜

試合はこのままVゴール方式の延長戦に入る。
延長の30分も両者得点がなく、当時のルールであった完全決着のPK戦に持ち込まれた。


なんとか初勝利を掴みとりたい!
これまで勝利から見放されていた浦和レッズ。
前年度に行われたナビスコカップ(現ルヴァン杯)の準決勝で同じヴェルディにPK戦で負けたことを思い出したサポーターも多かったに違いない。

勝ちたい。
スタジアムにヒリヒリするような緊張感が張り詰める。

そして…

勝った!

なんとPKで、スター軍団のヴェルディに勝ったのだ。
負け続けていたレッズのJリーグ初勝利。
それが今日5月29日だったのだ。

歓喜。
スタジアム中に赤いフラッグが振られ、紙吹雪が舞っていた。
スタジアムの中だけではない。浦和の街中にガッツポーズが起こっていたに違いない。

「やっぱり俺たちがついていないとダメだよな」
自分もそうだけど、サポーターの多くがこう感じたことだろう。

浦和レッズがアジアNo. 1の熱狂的なサポーターと言われることがある。その熱狂の原点の一つは、この試合だったのかもしれない。


当時の試合結果がベースボールマガジン社から出ている浦和レッズ10年史に載っている。

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記事はないけれど、当時の試合結果が残っている。


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今日と同じ土曜日だったとは、感慨深いな。

両チームとも懐かしい選手の名前が多い。
今でも現役を続けているキングカズ。ただただ尊敬としか言いようがない。
同時からキング的なオーラはあったけれど、今はゴッドの領域かもしれないな。

主審は有名な岡田正義さん。

当時の駒場スタジアムは、改修前で満員でも9,690人。
つまり、この勝利をスタジアムで見届けたのはこれだけしかいないことになる。
現在ホームにしている埼玉スタジアムは6万人を超える収容人数。多くの人が熱狂できるということは幸せという他ないだろう。

(先日、観客数についてこんなことを書いています)


この年、浦和レッズは負け続けダントツの最下位となった。
偉い方からJリーグのお荷物と比喩される屈辱もあった。

この年の悔しさは、後々のリーグ制覇、アジア制覇をした時の大きなバネになったに違いない。
(いずれ、その時の話も書きたいと思う)



7.スタジアムでは多くのドラマと奇跡が起こってきた

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あれから28年。
日本中にJリーグのクラブができ、素晴らしいスタジアムとサポーターが増えていった。

スタジアムでは多くのドラマと奇跡が起こってきたし、これからも起こり続けるだろう。

その瞬間に立ち会ったファン・サポーター達の熱量は高まり、熱狂が起きる。
そして自分達のアイデンティティと重ね合わせるような無二の存在へと繋がっていくのである。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


このマガジンでは、スポーツの持つ価値やスタジアムの熱量を上げていくために何が必要かを書き綴っています。

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