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戦争についての雑想から始まる

先ほど、NHKの、前の戦争の、ドキュメンタリーを見て、衝撃を受けた。
最近、知って、それも、衝撃を受けたのだが、どうも、海外の人たちは
、地域によっては、日本人が、しみじみと思うほど、原子爆弾と、広島に投下されて、皮膚が垂れ下がって、ゾンビのように歩いた人がいたこととか、
投下された直後に、影だけ残して、蒸発してしまったひととか、(これは、イブクラインが作品を作る際の、ヒントになったそうだ。)
要は、簡単に言ってしまえば、原爆の引き起こす、地獄を、甘く見ているし、教育されていないし、私たち日本人が感じているほど、恐ろしいものであるようには、思っていないようなのだ。
日本には、広島のピカ、とか、はだしのゲンとか、原爆ではないですけど、
ほたるの墓とか、戦争の悲しみを今に伝えている、物語や、資料が、本当に沢山、残っている。そもそも、戦後、という言葉自体に、悲しい響きが影を落としていると思う。それは、戦勝国の気持ちとは、おそらく、全然違うものなんだろう。僕は、人間が、人間に対して、核爆弾を使うことのできる、メンタリティーが、理解できないし、想像を超えている。僕は、1979年生まれなんですけど、僕の父は、1950年生まれで、父は、よく、戦争を知らずに、僕らは生まれた、という団塊の世代の、有名な曲を歌っていた。それから、僕のおじいちゃん(とても、好きだった)は、人間魚雷の、回天(かいてんと読みます)に乗って、玉砕する予定だったんだけど、たまたま、その前に、怪我をして、その病院で、治療をしているうちに、戦争が終わってしまったそうだ。まあ、だから、僕がいるんですけど…。
おじいちゃんと、おばあちゃんの家には、二階に、天皇陛下の、大きな、豪華な、写真が飾られていた。僕は、キリスト教の、人間愛の、教育の影響で、隣人を愛せよ、ということが、大事だと思っているんですが、キリスト教の、中学校の先生が、いつも、すごく、温和な、優しいまなざしの、大好きだった先生が、とても、重要なことを、話すといったおももちで、教室で、私たちに話した。それはね。昭和天皇が、マイピープルといっていて、私は、それが、許せない、ということを、私たちに、伝えたんだ。先生が、なぜ、マイピープルに、そんなに反応したのか、先生じゃないから、わからないけど、それは、なぜなら、イエス様が、藁の上に、庶民の家に、お生まれになったことと、関係していると思う。それは、なぜなら、例えば、仏陀は、王子様ですよね。とっても、天国みたいな、生活をしていたんですけど、あるとき、ふと、外の世界を見たら、病人も、死人も、転がってたんですけど、そういうものをみて、立場を捨てて、旅に出てしまいます。それで、いろいろあってから、菩提樹の木の下で、静かに、思って、観想して、大事なことに、気がつかれたんだそうです。
 慈しみっていうのは、なにか、なんなのか、
ぼくなんかは、本当に、たいしたことはないので、
宮沢賢治の、ひでりのひには、おろおろ歩き
みんなには、でくのぼうと呼ばれ、それだけど、
死にそうなひとのもとにいて、じっとしていて、
こわがらなくて、いいといい
こわがらなくて、いい、の?
この、センテンスに、触れたときに、
とても、はっとしたのを、覚えています。

ひとが生まれて、この世界から、消えていくときは、
本当に、はかないものですが、
それは、例えていうならば、
明滅するシグナルや、
風に揺れる、星のまたたきのようなもので
星のまたたきは、虚空で、群青の空で、
あらわれては、きえたりしますけど、
そういうものに、似ていて、
いとなみなんだと思います。


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