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雨はじめんの洗濯だ。
コップ1杯の生ぬるい水にありったけの砂糖とお日さまの光を入れてくるくるかき回し続けてるような意味のない時間は、本当に本当に心地よかったけれどずっとあのまま過ぎていくのも怖くて仕方がなかったなあ。
久しぶりに見たMステが過去曲の紹介ばかりになっているんだけど、このまま過去の情報量が押し寄せてきたら、紙がくるくる丸まって影になってしまうんじゃないか。
黙って本が読める人はすこぶる優秀だ。ひとたびページを繰れば、言葉の喧騒に飲み込まれてしまって、作者の語り文句なのか自分の妄想なのか記憶なのか、てんで区別がつかなくなってしまう。自分が書く話も顛末のないまま走る機関車みたいで、私はひたすら線路に頭を打ち付けて失神しそうになっている。
私のアイコンのモデルわんこ・チビ太が、なんと先日瀕死の危機にあったらしい。何事かと聞くと、大好物のササミにがっついて喉に詰まらせ、ひっくり返って痙攣し始めたと。ライスケーキ・キラーならぬ、ササミ・キラー。飼い主は号泣おろおろ、犬友達が喉に手を突っ込んで救い出したとさ。良かったね。
ものを書くということ
ものを書くという行為は、科学の実験に似ている。
体内の混沌とした液体のような広がりを空中から眺めて、静かに何かがせり上がり、浮上してくるのを待っている。
それは実験と言いつつも、仮説もゴールもない根比べなのかもしれない。
砂とも金ともしれないうごめきを、じいと見つめながらただひたすらに待つのである。
登場人物が、勝手に走り出す瞬間というのがある。
設定した顔付きや性質が、日頃とはまったく別の
ものを書く人で、言語から入る人と、静止画から入る人と、映像で入る人と、感情から入る人と、どんな人がいるんだろう。自分は静止画→言語に変換しながら書くタイプ。
世界を言祝ぐには、君のジギタリスになる必要がある