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女の工程

女には工程がある。
女には工程がある。

そう独りごちて、女は洗面所の鏡と向き合った。
振り向いて映した背骨は、振り向き美人のそれというよりも川べの小魚のように頼りがなかった。
肌の上に張り付いた黒い髪。
指に通しながら上を向き、束を後ろに放り投げて顔を出す。
雫がわずかに散る。

この顔をつくるにも難儀なものだ。
自然が、できる限り美をまとえと強制するこの時代では、化粧というのは一種の様式美に近い。
頰の髪が張り付いていた箇所に、ファンデーションの跡。
そのまま指で拭うと、なんとなく滲んでいるが、なんとなく肌色としておさまっている。
そう、女にはおさまるための工程がある。
自然に急かされ、月に呼び戻され、終いには星に告げられる。
広告という広告、告知という告知の中を駆け巡る、そして女は女になるということだ。

彼女の大の親友である女は、後ほど愚かさの象徴として名画のように語られたそうだ。
ただし、決して真実ではない。
結末だけが語られた瞬間に、物語は物語としてのはしごを踏み外す。
工程は適度に語られる必要がある。
例えば、本当にカメラマンから逃げ出そうとしたのは誰か、という問いから始めるのも良い。
問いは工程だ。
紛れもなく、終わりを期待する前菜だ。

画には構図があり、構図には物語がある。
奇数は偶数に対比され、残るものはいびつに配置される。
ただし、画には工程は残らない。
撃ち抜かれる前には、かつて病的に慮られた物語があったのだ。
天と地。
青と赤。
砂糖と塩。
純粋なカトラリーの中で並べられた場合、それは工程ではなく、誰も気に留めない日常に成り下がるのだが。
昆虫の方がまだましだ。
数億年も前から生きていながら、その欲は生きることにひたむきに向けられている。

「私は知らなかった」

ただ、願っただけだったのに。
このままでいることを。
ただ、願っただけだったのに。
ただし、この時間軸は本当を知らない。
対称を願ったのは、二人であることを。

彼女は人の皮を果てしなく重苦しい水銀のように脱ぎ捨てる。
タオルの上に散らかった鱗は、水溜りのような光を放った。
皮と鱗のひとひらひとひらが擦れるにぶい音に、男は目を覚ます気配もない。
きっと暴力が行われようと、眠り続けるだろう。
白いベッドは亡くなりたての婆のように静まり返っている。
それは、そっと生き物を優しく夜に放つのだ。
蛇はそのまま目もくれなかった。
夜の冷たいコンクリートの上をなめらかに滑り出していった。

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