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われわれは、未来の世代に対する責任を果たしているか?(「2040年の日本」より)
少し批判的な表現が入ってしまうかもしれないですが、著者の思いの込められた表現を引用する上で失礼の無いようにしたい、そして自身への戒めも込めてという意図であると、ご理解いただければありがたいです。
今回は、野口悠紀雄「2040年の日本」 (幻冬舎新書 2023)で印象的な部分を引用し、少し思いの丈を述べます。
1 書籍&著者紹介
今回、引用させていただくのはこちらの書籍です。
https://www.amazon.co.jp/dp/4344986830
![](https://assets.st-note.com/img/1679787475973-VkZXM3oHiV.jpg)
書籍紹介
20年後、いまと同じ社会が続いていると無意識に考えていないか。2040年、国民の年金や医療費などの社会保障負担率は驚くべき数字になる。現在と同じような医療や年金を受けられると思ったら大間違いだ。事態改善の鍵を握る、医療や介護におけるテクノロジーの進歩は、どこまで期待できるのか。60年近くにわたって日本の未来を考え続けてきた著者が、日本経済や国力、メタバースやエネルギー問題、EVや核融合・量子コンピュータなど幅広い分野について言及。未来を正しく理解し、変化に備えられるかどうかで、人生の後半は決まる!
今回、こちらの内容について詳細な紹介はしませんが、主に著者の専門分野である経済に着眼して、各章で量的、統計的データを元に論じられています。
おしなべてみると、総じて日本の窮状が述べられています。
著者紹介
野口悠紀雄(のぐちゆきお)
一九四〇年東京生まれ。六三年東京大学工学部卒業、六四年大蔵省入省。
七二年エール大学でPh.D.(経済学博士号)を取得。一橋大学教授、東京大学教授、スタンフォード大学客員教授、早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授などを経て、二〇一七年九月より早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問。一橋大学名誉教授。専攻はファイナンス理論、日本経済論。著書に『情報の経済理論』(東洋経済新報社、日経・経済図書文化賞)、『財政危機の構造』(東洋経済新報社、サントリー学芸賞)、『バブルの経済学』(日本経済新聞社、吉野作造賞)などがある。
経済の専門家ですね。今年で83歳になられる方です。
2 われわれは、未来の世代に対する責任を果たしているか?
タイトルの内容は、書籍の最後に登場します。
1930年代後半から40年代前半に日本を背負っていた世代は、日本を無謀な戦争に引きずり込んだあげく、われわれを「焼け跡」という廃墟の中に投げ出した。われわれは、そのことに強い怒りを抱いていた。
われわれより少し上の世代が、日本を再建した。われわれの世代は、下働きとしてそれを手伝っただけだが、未曾有の経済成長という成功体験を共有した。
では、われわれの世代は、未来への責任を果たしたか?
残念ながら、失敗した。それは、日本円の実質的な価値が、1995年からの約30年間でほぼ3分の1に下落したという事実が、何よりも雄弁に物語っている。世界における日本の地位は、いまや、1970年代にまで逆戻りしてしまっ た。
われわれの世代はまた、次世代の教育を怠った。その結果、日本人の資質が目もあてられないほど劣化した。こうした問題があるにせよ、われわれはまだ臨界点を超えてはいないと信じている。つまり、現在の日本の状況は、まだ修復可能な段階にあると思う。そうであれば、われわれは一刻も早く日本の再建に全力を尽くすべきだ。
一応ですが、著者の日本人観や日本の再建像に全て同意する訳ではありません。ただ、この本で述べられている日本の未来予測は、自分は専門家ではないのでその是非がどの程度かは判断しかねますが、少なくともかなりの根拠をもって論じられていることは分かります。
そのような優れた知見をもった人生の先輩が、著作の末筆にこのように述べられていることに、大きな敬意を抱きました。
3 年功序列で「上」になった方々に思う
なぜ、自分にとって、上記の引用が印象的だったのでしょうか。
今後の日本について、見方や方法には議論の余地があるかと思いますが、年長者が自身の責任に向き合って、活字として表現されていることが、貴重だったからではないかと考えています。
現状の日本が、自分のいるコミュニティが苦しい状況にあるとしたら、どのくらいの人が、かつての自分がその責任の一端を担っていたと感じるでしょうか。
多くの人は、他人のせい、とりわけ政治や組織の「上位層」にいる人々の責任を論じるかと思います。
それは、昼間のカフェでも、夕方の飲み屋でも、地域コミュニティでも、あまり変わらないように感じます。
とりわけ、「最近の~」のフレーズに続くような言葉、暗に「自分たちの頃は良かった」という言葉は今でも耳にします。
大きな組織で出世するような方の一定数は、肌感覚ではありますが、まだまだその印象は拭えません。
その一方で
以前、自分が就職したての時、ベテラン女性が主任でしたが
今の保護者って、えーって思う人増えたよね。でも、その保護者育てたのは、わたしたちなんだよね
とおっしゃっていたのがとても印象的でした。
真摯に仕事に向き合われている方だと感じたことを、今でも覚えています。
4 そして、自分たち現役世代に思う
そして現在の自分。アラフォー、いわばバリバリの現役世代です。
つまり、言ってみれば最も「何とかできる」世代とも言えます。
ただ、現状はどうでしょう。
他人のせいにしていないでしょうか。
「最近の~」と言っていないでしょうか。
そう聞かれると、実はあまり自信はありません。
口にはしないように心がけていますが、端々に出てしまっているのかもしれません。
何より、
「われわれは、未来の世代に対する責任を果たしているか?」
と聞かれると、
返事に窮してしまうように感じます。
自分一人にできることは、大したことはないかもしれません。
ただ、それでも何かはできる世代、ポジションにいます。
自分たちの世代が、それぞれの場所で、「未来の世代に対する責任」を少しでも果たそうとすれば
未来に少しでも「正の遺産」を残せるのかもしれません。
83歳を迎えられる著者から、そんなことを考えさせられました。
5 終わりに
いかがでしたか?
不快に思ってしまった同世代の方がいらっしゃったらスミマセン
思わず「noteに書こう」と思ってしまう表現でした。
著者に比べればまだまだ生きた年数は短いですが、日々を大事にしたいと感じました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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