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シネマ・エッセイ 〜暮らしに映画のエッセンスを

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人生の旅路という表現が意味するように、時に人生は旅に例えられる。映画は、さまざまな人生の縮図。旅をするように楽しむ。日常の、または非日常の暮らしにもっと映画のエッセンスが注がれた…
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#ザシネマ

映画『東京画』

映画『東京画』

巨匠・小津安二郎監督の墓跡には
「無」と一文字だけが刻まれている

小津監督を敬愛する映画監督および関係者は数多

小津作品には欠かせない逸材である笠智衆さん
監督からの演技指導に必死に順った笠さんは語る
「自分を忘れて 白紙になる術を学んだ」と

乾為天の二爻「見龍」
周りを見て頑強な型を作る時
一度できた土台は揺るがない
笠さんは小津監督から一生ものの役者としての「型」を授かった

いまはただ

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映画『666号室』

映画『666号室』

映画はひとつの言語であり

芸術である

16人の映画監督それぞれの映画に向ける眼差しがまぶしい

40年以上の時を経た今でも

その発言の所在は揺るがない

まさに易経の三易を物語っているようである

映画『都会のアリス』『まわり道』『さすらい』

映画『都会のアリス』『まわり道』『さすらい』

ヴィム・ヴェンダース監督最新作『PERFECT DAYS』を観て以来

この監督の映画思想が気になった

『都会のアリス』
『まわり道』
『さすらい』
ヴェンダース監督ロードムービー三部作

人生🟰旅🟰映画🟰芸術

こんな哲学方程式が
どの作品からも、ちらつく

“変化は必然だよ
また会おう ローベルト“
(『さすらい』より)

半世紀ほど前のヴェンダース監督は言葉に頼っていた

しかし最新

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映画『都会のアリス』

映画『都会のアリス』

「見る」と「観る」は、まったく異なる

「見たままのものが撮れていない」と自分の至らなさに
苛立つジャーナリストの青年

一方で、ひょんなことから共に旅をすることになった少女

「きれいな写真 空っぽね」

青年がポラロイドで撮った写真の抜け殻感を、一目で観抜く

少女との旅を体験し、彼はそれを経験に昇華させることができるのか

「体験」と「経験」も、まったく異なる

これも易経にはしっかりと記さ

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映画『緋文字(1972)』

映画『緋文字(1972)』

映画『PERFECT DAYS』を鑑賞して以来

ヴェンダース作品が気になり出す

ちょうど、サブスクのザ・シネマにて
彼の過去作17作品を配信中であることに気づく

いざ観るぞ!と意気込んでみた作品が『緋文字』

『PERFECT DAYS』とはまったく異なる風合いの映像世界に
気持ちが少々へこたれてしまう

癒しに愛犬の寝姿を描いて、気持ちを潤した

この後、ヴェンダースがどのような変遷を経て

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映画『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』

映画『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』

シャンタル・アケルマンという一人の監督に強く惹かれる

鑑賞しながら書き留めた言葉
「外側の変化は内側のゆらぎ(あるいは変化)の映し鏡にすぎない」

そして、最後の場面でジャンヌの上半身がテーブルの盤面に映し現れる

これが映画の隅々まで覆い、確証した

「すべては自分の内側にある」と

アケルマン監督、若干25歳の時に発表した作品
その年齢で、この境地に辿り着いていた

至臨である

私の貧弱な

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映画『パラダイスの夕暮れ』『真夜中の虹』『マッチ工場の少女』

映画『パラダイスの夕暮れ』『真夜中の虹』『マッチ工場の少女』

『パラダイスの夕暮れ』
『真夜中の虹』
『マッチ工場の少女』
※サブスクのザ・シネマにて鑑賞

アキ・カウリスマキ監督の“労働者3部作“

『枯れ葉』の原点が凝縮されている作品たち

どの作品にも、映画館あるいは映画鑑賞をする場面が映る
まるで、空気や水のように、暮らしの必需品であるかのように

昨晩、小倉昭和館の樋口館長の著書「映画館を再生します。」を再読していると、故佐々部清監督の言葉が目に入

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