鏡野哲

つれづれに、ただつれづれに

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つれづれに、ただつれづれに

最近の記事

【日常】開始

明日から、リアルとZOOMのハイブリッドな授業が始まります。 正直、どちらか片方の方がイメージしやすい。 ZOOMの方はパブリックビューイングをイメージすれば良いのでしょうか。 不安はあるけど、いつも通りに楽しくなるように心がけて、しゃべり倒すしかないですね。 緊張しますね。失言をしないようにしないと。

    • 【古文・漢文】訳

      訳す。これほどに難しい行為はないでしょう。 文化の違いが言葉の違いであると考えるならば、異文化コミュニケーションを言葉の上でサラリとやってしまう。こんなに恐ろしいことはない。 ただし、学校教育の中では、比較的単純です。 逐語訳&文法的理解を示すのが第一義。 知識を確認することが目的の場合が多いから、こうなります。 意訳or解釈or説明は、第二義。 内容を理解できているかを問うため、多少文学的になっても大丈夫ですが、意味内容をもれなくすべて書くのは、難易度が上がるから、得点

      • 【日常】嬉しいことなど

        たまには、こういうことも。 「ダディ・ロング・レッグス」の再演を今日知った。とても嬉しい。坂本真綾さんの舞台をもう一度、生で見たいと思っていたから最高だ。授業を放り出してでも行きたい。放り出さないけど。 「四月は君の嘘」は中止になってしまったが、生田絵梨花さんや唯月ふうかさんが見られなくなったのは残念だ。チケット取れてたのに・・ 「カジャラ」も中止になってしまった。チケット取れてなかったけど。また、小林賢太郎さんの表現を見に行きたいなぁ。 826askaさんのライブ配

        • 【古文】活用の見分け方

          活用を見分けることが何の役に立つのか。 正確に読み取るために必要なんだよ。 とは、よく言いますが、活用を問題なく理解できる頃には、正確な読み取りができるようになっている。という矛盾は気づいても言わないお約束のアレです。 とはいえ、古文は、当時はともかく、現代では筆記された文学ですから、じっくりと前から後ろからじわじわと攻めながら読むしかありません。そこで、紛らわしい解釈をスッキリさせるのが、活用なのです。要するに、識別をするということ。 基本的に、言葉には「つながり」、今

        【日常】開始

          【漢文】以てを以て

          「以」は質問が出やすいですよ。モテモテですよ。 だって、意味が多いもの。「為」くらい多いよ。 さて、「以」は「もちヰル」を原義と考えるのがよさそうです。 「~を使う」ということですね。 「~を使ってする」だと「もっテス」という動詞になりますね。 道之以徳(之を道くに徳を以てす)『論語』為政 上の文だと、「人々を導くのに徳を用いる」だから、ぴったりです。 では、前置詞的に使う場合はどうか。 以杖叩其脛(杖を以て其の脛を叩く)『論語』 「杖を使って、その脛を叩いた」→「杖で

          【漢文】以てを以て

          【漢文】返読は変。特定の人向け

          さて、研究レベルの難しいことはさておき、学校で通常教える範囲かなと思うレベルで、返読をひもといてみよう。 ① 来たる有りて反る無く、得難くして失ひ易し。(8字) ② 常に恍惚として失ふ所有るがごとし。(7字) ③ 士は己を知る者の為に死す。(6字) ④ 少年老い易く学成り難し(7字) ⑤ 楚人に盾と矛とを鬻ぐ者有り(8字) これは、実際に出題した復文の問題。順番に考えよう。 ① 来たる有りて反る無く、得難くして失ひ易し。(8字) 何も考えずに、順番に漢字にすると、こう

          【漢文】返読は変。特定の人向け

          【古文】音便と已然形

          穏便に音便を語るために、とんちんかんなことはしないでおこうと思いつつ、配信では、連濁のことから話し始めました。 連濁は、語が結合することによって、後ろに接続する語の最初の音が濁音化することですが、音便は、前の言葉が変化するという現象なのです。というわけで、音の変化は音便だけではないよというところから始まります。 さて、音便は4種類。 ・イ音便 ・ウ音便 ・撥音便 ・促音便 こうやって並べるだけならば、撥音が「ん」で、促音が「っ」と覚えるだけのことですが、無表記という残

          【古文】音便と已然形

          【古文】活用形

          活用形について講義形式で話したことを、覚えているうちに再録しようと思います。 ①古文の活用形とは! 未然形=まだ起きていないことを示すよ  打消…当然、やっていない  推量…やってたら、推測しないでしょ 連用形=今やっていること&やったこと  存続…今まさにやっている  過去…当然昔のことだよね  希望…こうだったらよかったのに~(ほら、過去だ。英語でもそうだよ) 終止形=もうすぐやること&いつもやること  ex.今から勉強する…まだ勉強始めてないよね。これからするつもりだ

          【古文】活用形

          【古文・漢文】反語の訳

          反語の訳はいつも話題になる。 反語とは何か? を、振り返っておくと、現代語だとこんな感じ。 (明らかな毒を目の前にして) こんなもの食べる人いるの?(いるわけないよね) 古文だと、と思ったが、漢文は、要するに訓読の現代語訳なので、共通ですね。例文を挙げておきましょう。 盍ぞ各爾の志を言はざる どうしてそれぞれが自分の志を言わないのか(言えばよい) まあ、ちょっと変化球の例文だけども、大抵の学習者が通る例文だからいいでしょう。これを、次のように訳してもよいという考えが

          【古文・漢文】反語の訳

          目標はなぜ満点か

          大小を問わず、試験の目標は満点であるべきだろうと考えているし、実際、やる気のあるときは、満点以外を目指したことがない。 こんなことは優秀な人の論理だとか言われることもあるが、根本的に勘違いをされていると思っている。 目の前の問題を解けなくてもいいと思わないだけなのだ。 目の前に問題がある。満点回答をしようと思う。これを繰り返すとたどり着くところは満点しかない。 大体失敗するときは、赤点にならないようにこのくらい出来ればいいやと思っているときだったり、平均くらい取れていれ

          目標はなぜ満点か

          【漢文】学習法?

          漢文の学習とは何か? 内容を理解すること? 文章が読めればいいの? どうすれば文章が読めるの? そもそも日本語? まあ、漢文の導入では、以上のような疑問に答えながら話をするのが一般的だろうと思う。 漢文を学校教育で行う以上は、読みこなすスキルと内容を読み解いた先の教養を手に入れてほしいとは思っている。 中国の文化に影響を受けて、日本文化が進化を遂げたのは歴史が嘘でなければ疑う余地はない。そして、漢字に端を発する文字を今使っている。 で、漢文だが、軽く言えば、今使っている

          【漢文】学習法?

          物語の始まり

          昔々あるところに、おじいさんとおばあさんが暮らしていました。 昔々とはいつだ! あるところとはどこだ! おじいさんとおばあさんは人だ! 最後だけ、何か違いますね。人だ! ではなく、誰だ! ですね。 まあ、昔話のおじいさんは、苦難や怪奇現象に立ち向かう強い心を持ったスーパーおじいさんですから、人かどうか疑わしいですね。 冗談はさておき、このおじいさんとおばあさんは誰ですか? わからないという匿名性に昔話の妙があるわけですが、ただ、物語の始まりは、そうではないですよね。 宇

          物語の始まり

          ロマチックな読解

          高校生の時に、先生に言われた言葉で最も印象的だった言葉は「君の読解はロマンチックだ」というものです。まあ、ディテールは違うと思いますが、だいたいこんな意味のことを言われました。 理想的な結論を追い求めすぎてしまうのが、欠点だということなんですが、そもそもこの評価がポエティックですよね。よくもまあ、生徒の答案を読んでロマンチックだという評価語が出てきたものだとその言語感覚がすごいなぁと思います。 さて、教員になって私もこういう評価をすることがあります。それはパターンが決まって

          ロマチックな読解

          【漢文】復文

          バファリンの半分は優しさであるように、漢文の授業の半分は中国語でできています。 三分もかからずに説明できるこの短文が案外、大切なのです。 あ、この文、音読すると多分リズムいいですよ。 さて、漢文の理解度を測るために、書き下し文から、漢文に戻すという作業をさせることがあります。復文と呼んでいます。中途半端な理解だと、わけがわからなさすぎて、相手を憎みたくもなるこの作業ですが、原理は簡単です。 漢文法の通りに並べればいいだけです。中高生は日本語でも英語でも語順整序をやっている

          【漢文】復文

          固有名詞の破壊力

          固有名詞が出てくると,こういう目ぇして見るなどとFORKリスペクトするのは、簡単なのですが、実際に固有名詞は通じるか通じないかで取り扱いが変わりますよね。 固有名詞を出して話すときに相手も共通して知っている場合には、否応なく想像力が働いて、話のイメージを膨らませるわけです。たとえば、ここで私が、山手線の話を始めれば、山手線のことを知っている人々は、あの緑のぐるぐる回る電車を思い浮かべるわけです。 ところが、田中君程度の限定だと微妙ですね。ん? どの田中だ? と悩んでしまう

          固有名詞の破壊力

          古文になれる

          古文に限らないのだが、様々な言語に触れて慣れるための極意は結局、数多く触れることなのだと思う。 言葉に触れるといっても、言葉に触ることはできないから、言葉を声にして発することで、言葉と体の距離を近づけることを「触れる」と表現するのだろう。 言葉の習得の障りになっているのは、言葉に手触りがわからないことだ! 「さわり」を使うために、無理をしたわけですが、日本語以外は大抵分かち書きをしているので、関係ないですが、分かち書きをしない日本語は、単語の切れ目がわからない。だから、古

          古文になれる