失われた10支族 / 日本とユダヤの関係とは?! 1
こんにちは、TOYOです。
私たちは一体、真実の歴史というものを知っているのでしょうか?
私たちが教えられてきた歴史は、その時々の支配者によって捏造された、
完全なる嘘の歴史です。
今回は、イスラエルの失われた10支族と、日本とユダヤの関係について、
考察していきたいと思います。
イスラエルの「失われた10支族」
旧約聖書のアブラハムが、メソポタミアのウルからカナンの地を目指して出発したところから、イスラエルの歴史は始まります。
やがてイスラエル王国は、北朝イスラエル王国と南朝ユダ王国に分かれました。
北朝イスラエル王国は、紀元前722年にアッシリアにより滅ぼされます。
10支族の指導者達は、捕虜としてアッシリアに連行されました。
これを、「アッシリア捕囚」と言います。
この10支族の行方は文書に残されていません。
そのため、残りの2部族によって「失われた10支族」と呼ばれたのです。
この「失われた10支族」の一部の支族が、どうやら日本にやってきたようなのです。
失われた10支族とは、行方知れずの10部族のことです。
1.ルベン族
2.シメオン族
3.ダン族
4.ナフタリ族
5.ガド族
6.アシェル族
7.イッサカル族
8.ゼブルン族
9.マナセ族
10.エフライム族
を指します。
「エフライム族」が最初に日本に渡来しました。
エフライム族は、日本では「秦氏 (はたうじ) 」と呼ばれました。
この秦氏が、日本に「天皇制」と「神道」を作りました。
日本とユダヤの関係(日ユ同祖論)
天皇について
昔は、天皇のことをミカド (ミガド) と言いました。
この「ミ」とは、ヘブライ語で「~から」という意味、または所属を意味します。
つまり、ミ・ガドは「ガドに属する者」という意味になります。
日本とユダヤの共通点
「君が代」
日本国家である「君が代」ですが、実はこの歌詞は日本語ではなく、ヘブライ語であるとされ、ヘブライ語で解釈するとこのようになります。
「さくらさくら」
さくらさくらもまた、発音はほぼ一緒です。
「かごめかごめ」
これらは日本の歌ということになっていますが、ヘブライ語のわかる方は普通に意味を理解できるようです。
ヘブライ語とカタカナ
ヘブライ文字と日本のカタカナは上記のように、よく似てますね。
発音もよく似てます。
コカ・コーラに至っては、発音も日本語と同じ。そのまんまです。
これは敢えてわかっていて、この名前をつけている可能性もあります。
相撲とヘブライ語
相撲はヘブライ語で「シュモー」と発音します。
「ハッケヨイ」は日本語としてはまったく意味が通じませんが、
ヘブライ語では、「投げつけよ・やっつけよ」という、理解できる意味になります。
「ノコッタノコッタ」も「投げたぞ・やったぞ」という意味になります。
神社
神社の基本的構造ですが、上が「幕屋 (まくや) 」といって、モーセ、ダビデの時代まであったイスラエルの移動式神殿です。
入口に門があり、その先に鳥居のようなものがあり、「手水舎 (ちょうずしゃ/ちょうずや) 」と呼ばれる手洗い所があり、拝殿、その向こうに本殿があります。
そして、「至聖所 (しせいじょ) 」と呼ばれる場所に「契約の箱 (アーク) 」を置きます。
お神輿は「アーク(契約の箱)」だった!
上がイスラエルの契約の箱、下が日本のお神輿です。
これは同じものを表しています。
また毎年剣山で執り行われる伝統である祭りで、御輿を担いで、山頂まで登る行事は、古代イスラエルの行事「シオン祭」の名残と言われています。
日本に渡来した彼らは、その「シオン祭」を、日本で復活させることにしたのです。
シオン祭で、彼らがそれを肩に担いでシオンの都を練り歩くという行事が、そのまま日本のお神輿の行事となっています。
また、神輿を担ぐときの掛け声は、「エッサ、エッサ」と言いますね。
この「エッサ」は日本語ではありません。「エッサ」はヘブライ語です。
ヘブライ語の「エッサ」とは、「運ぶ」という意味です。
鳥居
左側の門にある2つの柱は、フリーメイソンでも重要視される柱です。
右が「源氏鳥居」で、このように昔の鳥居は二本の柱にしめ縄を張っただけのものでした。
とてもよく似ていますね。
十六菊家紋とダビデの星
上は伊勢神宮、下は眞名井神社 (元伊勢籠神社) ですが、どちらの石灯籠にも皇室の家紋である「十六菊家紋」とダビデの星「六芒星」が残されています。
ダビデの星は、日本では「籠目紋 (かごめもん) 」 と呼ばれていました。
じつは、エルサレムの旧市街の城壁の中の「ヘロデ門」にも、同じ16菊花紋が今も掲げられています。
聖徳太子
私たちに知られている「聖徳太子」は、じつは実在しない人物である可能性が高いのです。
「聖徳太子はいなかった」というのが今現代の解釈です。
学校の教科書では、聖徳太子ではなく、「厩戸皇子 (うまやどのみこ) 」と表記されるようになりました。
その人物は、飛鳥の橘で生まれたと伝えてられています。
厩(うまや、馬屋)の前で生まれたので、「厩戸皇子 (うまやどのみこ) 」と呼ばれ、キリストの生誕と似ているといわれています。
この「厩戸皇子」は用明天皇の第二子で、実在した人物です。
上記に上がられてる4つも間違いであることがわかってきました。
この聖徳太子とされた厩戸皇子は、仏教の聖人ではありませんでした。
三宝というのも、実際は「仏・法・僧」のことではありません。
「大阪四天王寺」も寺ではなく、「法隆寺」についても間違いがあります。
6世紀から7世紀にかけて、物部氏 (もののべうじ) と蘇我氏 (そがうじ) の争いが起こりました。
そして最終的には、日本に仏教が導入されることとなりました。
その戦いの中で、先陣をきって戦ったのが若干14歳の聖徳太子であるとされてきましたが、それはそもそも史実ではありませんでした。
聖徳太子は、日本における「仏教の祖」とされてきましたが、実際は聖人ではなかったのです。
また、仏教の用語である「仏・法・僧」という仏教の宝についても、事実は違っているようです。
『先代旧事本紀 (せんだいくじほんぎ)』 と呼ばれる、神道における神典によると、そもそも三宝というのは「仏・法・僧」ではなく、「仏教・儒教・神道」のことを指し、この3つの宗教はみな宝であり、平等であるという意味になります。
大阪四天王寺や法隆寺は、聖徳太子が建立したといわれており、法隆寺に至っては、日本最古の木造建築とされています。
また、大阪四天王寺については、そもそもお寺ではなく、神社だったのではないかと言われています。
大阪四天王寺から少し離れた場所に、「元四天王寺」といわれるところが
いくつかあります。
その一つが、じつは「玉造稲荷 (たまつくりいなり) 神社 」と呼ばれる神社なのです。
神社であるにも関わらず、なぜか「元四天王寺」と呼ばれています。
この元四天王寺と呼ばれる場所は、元々「神社だった」と考えられます。
神道のルーツ
神道において祀られている神は「八百万 (やおよろず) の神」とされていますが、奈良時代以前の神道では違っていました。
神道というのは、元々「一神教」でした。
その一神教が、シルクロードを渡って渡来してきた日本人の祖先によって伝えられたものが「神道」のルーツだったのです。
天孫降臨の真実
「天孫降臨 (てんそんこうりん) 」とは、『記紀 (古事記と日本書紀)』に記された日本神話です。
天孫「ニニギ」が「高天原 (たかまがはら) 」から「葦原中国 (あしはらのなかつくに) 」に降り立ったことから始まります。
日本の中心は、「葦原中国」と呼ばれていた時代でした。
葦原中国とは、日本神話において、高天原と黄泉の国の間にあるとされる世界です。
このニニギというのは、ヘブライ語の「ナ・ナギ」ではないかと考えられます。意味は「麗しの君」という意味になります。
「高天原」のタカマガハラは、日本語でタカマのハラ。タガーマ州のハランのことであり、ヤコブがいた場所を意味します。
※これは一つの説です。
「葦原中国」の葦・原はヘブライ語で、カヌ・ナー、カナンを意味します。
「高千穂」のタカチホは、タカ・ツィヨン、シオンの丘となります。
シオンの丘とは、今でいうエルサレムのことです。
つまり、「天孫降臨」の神話は、麗しの君がヤコブがいたハランから、カナンの地にやって来たという話ということになります。
最後までご覧いただき、ありがとうございます。
このブログ作成にあたり、
WONDER OTSUKAさんの動画「聖徳太子と失われたイスラエル10支族の謎」
を参照させていただきました。
https://www.youtube.com/watch?v=pgcunXTS1mU&t=683s
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