遠山緑

1978年生まれ。

遠山緑

1978年生まれ。

マガジン

  • 乳がんになった時のこと

    35歳で3人の子どもを連れて離婚に踏み切り、テレビの作家の仕事がようやく波に乗り始めた39歳の時に乳がんの診断を受けました。それから3年経って、ようやく手術や治療など、あの時に感じた恐ろしさや心細さや怒りを思い出して書けるようになりました。同じような思いでネットをさまよっている人もいるかもしれません。これを読んで少しでも気が楽になってもらえれば嬉しいです。あなたは1人ではありません。

最近の記事

乳がんになった時のこと 23

*今回の話は、今落ち込んだりナーバスになっている方には向かないと思います。でもこの話を書くために、長い体験談を書き続けました。コンディションの良い時に読んでもらえればありがたいです。 「取り返しのつかない事をした」 心療内科で出された薬を1ヶ月ぐらい続けると不眠と頭痛はだいぶマシになった。 でも、脇の痛みや指のしびれ、疲れやすさや、ホットフラッシュ、おりもの増加、生理不順なんかの地味なトラブルは続いた。それでもなんとか仕事にしがみついて、仕事量は入院する前に戻して頑張ってい

    • 乳がんになった時のこと 22

      「がんになって失ったもの、得たもの」 春になってすぐ元気になったかというと、残念ながらそんなことはなかった。 胸の放射線焼けは照射が終わって1〜2週間をピークにきれいになっていったが、問題はホルモン療法の薬、タモキシフェンだった。それこそ、この治療方法はしんどくないと言われていたはずだったが、そう甘くはなかった。 夜中に突然暑くなりドバっと汗をかいて起きると言うことが4〜5回あった。この薬を飲むと更年期障害のような事が起きるとは言われていた。おそらくこの大汗はホットフラ

      • 乳がんになった時のこと 21

        「誰かになにかを伝えたいけど、なんと言っていいかわからない」 日に日に右のおっぱいは赤いと言うより黒く焼け焦げてきて、やけどみたいな状態になっていった。治療の中盤ぐらいから軟膏を処方されていたので、服でこすれて痛い箇所に塗った。口内炎も口の中に4つぐらいでき、ご飯が食べにくくなっていた。こっちにも軟膏を塗るようにと薬をもらった。倦怠感が強くて眠ってばかりだった。ネットを見ても、放射線治療ごときでこんなに大騒ぎしてる人はおらず、ほとんどの人が放射線治療をしながら仕事に行ってる

        • 乳がんになった時のこと 20

          「しんどくないって言ってたのに」 放射線治療は25回。平日は毎日通う。土日は空けてもいいが、3日以上は空けられない。なので12月末から照射がスタートする私は、お正月の2日も1度照射に来るようにと言われた。インフルエンザなど感染症にかかったら、他の患者さんにうつる可能性があるから、必ず電話してくれとも言われた。 毎朝同じ時間に家を出て、電車とバスを乗り継いて病院に通う。私は朝10時10分に予約をしていたので、ほぼ出勤しているような気持ちで淡々と通った。 がんセンターに入っ

        乳がんになった時のこと 23

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        • 乳がんになった時のこと
          23本

        記事

          乳がんになった時のこと 19

          「雪山で白うさぎを探すようなもの」 12月だった。病院の外の庭にはクリスマスツリーが飾られて、小さいけれどイルミネーションもあった。それを見ると心が和んだ。 放射線科はがんセンターの中にあった。 そこは後から建設されたのか入り口が複雑で、中央検査室の前の廊下を通って行く。たくさんの人が検査待ちでソファーで座ってる前を通らなくてはいけない。みんな「あの人、がんなのかしら」と思うんやろな…と前を歩いた。自意識過剰だと今は思うが、その時は「がん」という文字の入った建物に何かしら

          乳がんになった時のこと 19

          乳がんになった時のこと 18

          「抗がん剤のゆくえ」 座るときに見えた「グレード3」の文字は見間違いであってくれと思ったけど、 本当だった。 先生はメモ用紙を取り出して、私のがんのデータを書いて渡してくれた。 浸潤性乳管癌 1.4cm×1.3cm 核グレード 3 ER 90% PgR 70% HER2 2+ Ki67 10% 「ちょっと残念なんですが…」という言葉から先生の説明は入った。「この核グレードと言うのが、がんの性質です。3というのが一番悪くて、転移しやすいがんという事なんです」

          乳がんになった時のこと 18

          働く母とPTA〜時間がない!〜

          本当は3月中に「乳がんの記録」を書き上げたかったのだけど、仕事が一気に押し寄せてきて、ゆっくり考えて書く時間が取れない…。フリーランスだから、仕事がないより、むしろありがたい事なんだけど、なんだかな〜。もうちょいバラけてほしい。noteを始めた時はそこそこ余裕があったのに。 仕事に加えて、子どもの学校のPTAを引き受けてしまい、その引き継ぎやらなんやらでも時間を取られる。私が住むのは小さい古い町で、どうやら昔からの付き合いやらしがらみが山ほどあるらしく、それを目の当たりにし

          働く母とPTA〜時間がない!〜

          乳がんになった時のこと 17

          「待つ時間は長くて辛い」 入院中は全然しんどくないし、痛くもなかった。現代医学ってすごいなと感心していたが、退院して家に帰った途端。自分の布団で寝るようになったら、急に体がだるくなり、傷跡が痛くなってきた。しょうがなく毎日のように痛み止めを飲む日々だった。そして、入院していた時は単に興奮状態でアドレナリンが出まくりで元気だっただけ、という事に気づいた。 人間だから歩くときに腕をふる。そうすると、脇の傷が内側からシクシクと痛んだ。耐えられないので左手で脇の傷を押さえて、右手

          乳がんになった時のこと 17

          乳がんになった時のこと 16

          「昨日手術したばかりと思えないぐらい、元気」 腕と体を引っ付けてたベルトを外され、導尿カテーテルを抜いてもらうと、私に繋がってる管は全部なくなった。薬が効いているからか、手術の跡が痛いということはなかった。そしてどこか体の調子が悪いという事もなかった。歩いて良いと言われた。朝ごはんはお粥で量は少なかったが、とにかく食べられることが嬉しかった。心配していた友人に「手術終わったよ〜!ご飯が少なくてひもじい」とLINEをすると、木曜日に時間があるので、何か持ってきてくれると返信が

          乳がんになった時のこと 16

          乳がんになった時のこと 15

          「手術の日」 次の日の朝は忙しかった。手術室には8時半に行くことになっていた。前日、看護師さんは両親に8時過ぎには病室にいてくださいと説明をした。でも子ども達の送り出しがあるのでそんなに早く来れない。私は「いや、別に両親に来てもらわなくても大丈夫ですが」と言うと、看護師さんは「そういうわけには…」と困った。死ぬ可能性は低いとはいえ、手術は手術なのだ、やっぱり見送りは必要らしかった。結局子ども達は少し早めに学校や保育所に行くことにして、時間に間に合うように来てくれた。 手術

          乳がんになった時のこと 15

          乳がんになった時のこと 14

          「入院当日」 月曜日の朝。子どもたちを送り出して、10時に入院。午後から検査。その日の夜から絶食で、次の日の火曜日朝9時から手術。2〜3日様子を見てから退院という、なるはやなスケジュールだった。病院へは父と母と私で車で行った。私が実家に戻ってからこの3人で出かけるなんて一度もなかったので、変な感じだった。 大きい病院だけあって、その日に入院する人も30人ぐらいいた。順番に呼ばれ流れ作業的に病棟に上がる。その後個室に呼ばれて主治医の先生と執刀医の先生の2人から手術の説明を受

          乳がんになった時のこと 14

          乳がんになった時のこと 13

          「平然としてても怖いもんは怖い」 遺伝性の乳がん。もしそうなら子どもにも遺伝する可能性は高く、姉たちや姪っ子たちも乳がんになる可能性が上がる。これはまいった。私が悪いのではないけれどまじで申し訳ないと思った。 ちゃんと調べた方が良いのか…、でも検査費用はかなり高額だ。そしてそうだった場合、本当にアンジェリーナ・ジョリーみたいにもう一方の乳房も子宮も摘出するの?恐らく予防手術は保険適用外だ。アンジェリーナ・ジョリーぐらい稼いでいるならまだしも、それは今の私には現実的ではない

          乳がんになった時のこと 13

          乳がんになった時のこと 12

          「色々な選択肢が出てきてそこそこ迷う」 とにかくそれからは、いろんな所に説明しまくった。仕事のディレクターたちにも乳がんだと伝えたし、何なら会議でみんなの前で話した。乳がんであることを言うと、ほぼ全員が気まずそうな顔をする。いやいや、全然まだ死ぬレベルじゃないから大丈夫ですよ、すぐ戻ってきます。でも見た目はちょっと変わるかもしれないからお伝えしといたほうが驚かれないと思って。そう言うと「そうなの?」と少し気は緩むみたいだけど、明らかになんて言ったらいいのかわからない…みたい

          乳がんになった時のこと 12

          乳がんになった時のこと 11

          「どこまで他人に話すべきか」 誰に、どの程度まで話すか。これはガンの治療を始める人は悩む問題だと思う。 まず子どもにどう伝えるか。長男が小5、長女が小1、次女が保育園の年少組だった。まだ小さい。不安を与えないように、全く教えない方がいいかもしれないと思った。次に一緒に仕事をしているディレクターや作家のみんなに、どこまで説明するべきなのか。その他、子どもの学校・保育所・習い事周りの人々。小学生2人はは学校の課外教育であるサッカーチームと吹奏楽グループに所属している。これは親

          乳がんになった時のこと 11

          乳がんになった時のこと 10

          「とりあえず我が身の不幸を嘆く」 家に帰ると母への説明が待っていた。これも気が重いタスクの一つだった。 数日前からじわりじわりと外堀を埋めつつあった。例えがんだったとしてもサイズは小さいから手術で摘出さえしたら大丈夫。5年生存率は90%を超えるってデータもあるから大丈夫。女性の10人に1人はかかるって言われれるがん出し、症例も多いから研究も進んでるから大丈夫。とりあえず安心材料だと思そうなことは全部言っておいた。ただその時は「まだがんって決まったわけじゃないからね」という前

          乳がんになった時のこと 10

          乳がんになった時のこと 9

          「おっぱいがなくなるより仕事がなくなる方が怖い」 がんだと宣告されたその足で取り引き先に報告するのもどうかしてるが、ゆっくり考えている時間はなかった。 入院まであと1ヶ月半。私はテレビで番組ごとに契約しているフリーランスの作家なので、複数の番組のプロデューサーに事情を説明しなくてはいけなかった。そして仕事は椅子取りゲームのようなもので、私ごときの作家が抜けていつまでもその席を空けておいてくれるわけはない。何ヶ月も穴が開くなら、新しい作家を雇うだろう。そうなったら収入はゼロ

          乳がんになった時のこと 9