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乳がんになった時のこと 16

「昨日手術したばかりと思えないぐらい、元気」

腕と体を引っ付けてたベルトを外され、導尿カテーテルを抜いてもらうと、私に繋がってる管は全部なくなった。薬が効いているからか、手術の跡が痛いということはなかった。そしてどこか体の調子が悪いという事もなかった。歩いて良いと言われた。朝ごはんはお粥で量は少なかったが、とにかく食べられることが嬉しかった。心配していた友人に「手術終わったよ〜!ご飯が少なくてひもじい」とLINEをすると、木曜日に時間があるので、何か持ってきてくれると返信があった。

手術の痕がどうなっているのか気になって、ぐっとえりもとを開けて見てみた。乳首は残っている。乳輪の部分に沿って切れ目を入れて乳房上部のガンを取り出したので、ぱっと見ためにはどこを切ったのかわからない。切開した部分は糸で縫わずに透明なテープが貼ってあり、それで「ここを切ったんだな」とわかるぐらいだった。ただ部分摘出と言ってたけど、どこの部分に乳房が残っているだろうと思うぐらいシワシワのぺったんこになっていた。左右を比べると笑ってしまうぐらいの差だった。

でも本当に手術をしたのかと思うほど体は元気だった。痛いところといえば、1日寝たきりだったので腰ぐらい。暇すぎてパソコンを立ち上げてニュースをチェックした後、長女のニットキャップを編み始めた。

ノックの音がした。見たことのない先生が入ってきて「遺伝子診療科の〇〇です。体調はどうですか?」と言った。例の遺伝子検査をどうするか、相談に来てくれたのだった。前回、主治医の先生が話してくれた内容をまた話し、例のアンジェリーナ・ジョリーが切除手術をしたくだりを話してくれた。私は言葉を選びながら言った。

「仮に私にその遺伝子があったとしてもう片方の乳房や子宮のも切除手術をする場合、保険は適用になりませんよね?」「残念ながら、ならないです」「仮にその遺伝子がなかったとしても、もう親が乳がんだった時点で子どもは乳がんのリスクに備えなくてはいけないんですよね?」「そうですね、20歳をすぎたら検診をお勧めします」「それって私の姉とか姪っ子もですよね」「はい」

自分のがんが何に由来しているか知りたい気持ちもあったが、今回の検査は見送ることにした。遺伝性だったとしても自分で予防的手術を受けるのは金銭的にもハードルが高いし、遺伝性じゃなかったとしても、私の親族は乳がんの発生に気をつけなければならない。予防医学がもっと進めば、遺伝子検査も保険適用になるんだろうなと思った。

次の日はやっとシャワーを浴びることができた。シャワーから戻ると、友人がコロッケとケーキを持って来てくれていた。「めっちゃ元気やん」彼女はがんとわかった時に最初に相談した相手で、長年共に仕事をしてきたディレクターだった。仕事がなくなったらどうしようと話すと、大丈夫、今までの仕事ぶりを知っていれば、急にクビになったりはしない。プロデューサーにちゃんと話した方がいいと勧めてくれた人だった。
「えー。痛くないの」「それが全然痛くない。痛み止めが効いてるのあるんだろうけど、不思議なぐらいに元気です」そう言って、2人で持ってきてもらったコロッケをもぐもぐと食べた。

「おっぱい見る?」と聞くと「見たい見たい!」といった。私たちは何度か一緒に旅行して温泉にも行っているのでそこら辺はかなりフランクだった。首元から見せると「めっちゃシワシワやん」「干し柿みたいじゃない?」「まあそこまでは言わんけど…」「いや、でも昨日よりはシワシワ加減が復活してきてるわ。昨日はもっとぺっちゃんこだったから」「へー。肉が移動していってるのかな」「そんなことある?」「背中の肉がこっちに寄ってくるんちゃう?」とアホなことを言って笑い、退院したらご飯に行こうと約束して帰って行った。

夜、LINEにサッカーのユニフォーム姿の息子の写真が送られてきた。その日は公式戦の日で、同じチームのお母さんがわざわざ送ってきてくれた。新しいユニフォームだった。息子はキーパーなので、みんなとはユニフォームが違い、ソックスからトップスまで全身黄色でキル・ビルのユマ・サーマンかよと笑ってしまった。1勝1敗だったと書いてあった。応援に行ってやりたかったな、と思った。

明日は退院だった。家に帰れるといそいそと片付けをしながら、もし抗がん剤をするならまた入院するのかとちょっと憂鬱になったりもした。

#乳がん #健康 #シングルマザー

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