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乳がんになった時のこと 9

「おっぱいがなくなるより仕事がなくなる方が怖い」

がんだと宣告されたその足で取り引き先に報告するのもどうかしてるが、ゆっくり考えている時間はなかった。

入院まであと1ヶ月半。私はテレビで番組ごとに契約しているフリーランスの作家なので、複数の番組のプロデューサーに事情を説明しなくてはいけなかった。そして仕事は椅子取りゲームのようなもので、私ごときの作家が抜けていつまでもその席を空けておいてくれるわけはない。何ヶ月も穴が開くなら、新しい作家を雇うだろう。そうなったら収入はゼロ。家計はあっという間に立ち行かなくなる。がんを嘆いている場合じゃない、子どもたちを無事に大人にする事が私の人生の目標で、そうなってくると収入減の方が大問題だった。どうにかこの難局を切り抜けなければいけなかった。

制作部のデスクに行くと、プロデューサーは不在でチーフのディレクターだけがデスクでパソコン作業をしていた。他のディレクターたちはおらず、フロアにはあまり人がいなかった。スタッフはみんないつもロケだ編集だと飛び回っており、いつも多忙だ。私たちも顔を合わせるのは週に1回の会議だけなので、居る時に話さなければ、次にいつタイミングがあるかわからなかった。

そのチーフディレクターは私の同い年だった。10分お時間いただけますか?と言うと少し不審そうな顔をされたが、どうぞと空いてる隣の椅子を指さした。ここで話すのかと一瞬躊躇したけど、周りに人もおらず、かえって深刻にならずに話せるかもしれないと思った。

「すいません、ちょっと来月手術をしなくてはいけなくなって」
「おー、そうなんですか。」
「次の週の会議からお休みをいただきたいんです」
「マジっすかー」

チーフは軽い口調だった。先週も普通に資料も作って会議してるぐらいなので、
そんな重大な病気を抱えてる人間が目の前にいるとは想像もつかないだろう。
「え、どこの手術ですか?」
「がんです。乳がん」
自分の口から「がん」という言葉を出すときに、泣きそうになった。
それでもグッとツバを飲み込んで、平静を装った。
チーフは半分口が開いて、まさにあっけに取られたという顔をした。
「え…。」

「大丈夫です。死ぬようなレベルじゃないので。ステージ1です。ただ、若いので早く手術をしたほうが良いと言われています。1ヶ月半後に手術です。」
私はデスクにあった卓上カレンダーを指さした。
「今は調子が悪いわけではないので、普通に仕事はできるのですが、検査や準備や子どもたちのケアがあります。申し訳ないですが、会議は来週から休ませてください。リサーチなどは電話で指示していただければ、家でやります」
「はい」
チーフはまだ自分の目の前にがんにかかった人間がいることに驚いているようだった。しかも同い年の人間が。普段は独壇場でしゃべり倒すような、かなりおしゃべりな人だけど、呆然としてて言葉があまり出てこなかった。

「それで…図々しいおねがいなのですが」
これだけは、土下座をしてでも頼み込まなくてはいけない
「私はシングルなので、これで仕事がなくなってしまうと厳しいです。なるべく早く復帰しますので、席を開けておいていただけないですか?」
ここで間が空いたら嫌だなと思ったけど、
「それは大丈夫です!空けときます。…ちゃんと治療して戻ってきてください」
本当に考えて言ってるのか、わからないぐらいの速さで返事は返ってきた。
ありがたかった。

まだ治療方針が決まっていないのでなんとも言えませんが、治療中でもできる事はあるので、各ディレクターにはメールか電話で連絡をしてくれとお伝えくださいと言った。
そして話が終わったと立ち上がった時
「いつわかったんですか?乳がんって」と聞かれた。
「告知はさっきです。でもおそらくそうだろうとわかっていたので、そんなに。」
それ以上何か話すと泣いてしまいそうだったので、ロケがあるので失礼します、とその場からダッシュで立ち去った。


#乳がん #健康 #シングルマザー

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